戦争、終わらぬ戦争。 北野武『BROTHER』
ニャロ目です。
今日は北野武監督の『BROTHER』(2001年、114分)を取り上げてみたいと思います。
舞台を日本からアメリカに移した北野映画。
はたして『BROTHER』とはどういう映画なのでしょうか。
物語について
難解といわれていた初期作品から比べると『HANA-BI』『菊次郎の夏』と、次第にエンターテインメントを意識するかのようにわかりやすい表現を多用するようになった北野監督。
今作『BROTHER』は世界を視野に入れた、さらに観やすい仕上がりになっております。
■登場人物
山本(ビートたけし)
デニー(オマー・エップス)
ケン(真木蔵人)
白瀬(加藤雅也)
加藤(寺島進)
原田(大杉漣)
石原(石橋凌)
『BROTHER』はタイトル通り、アニキと舎弟との関係性を描いた作品になります。
特に、山本と加藤、白瀬と石原といった兄弟分の関係性がわかりやすく描かれています。
その中でも、加藤の山本に対する忠義の精神は世界の観客にどう写ったのか、大変興味深いです。
カメラについて
まずは冒頭、アメリカに降り立った山本を捉える印象的な斜めの画面が出てきます。
これは異分子である山本の存在を際立たせ、不安感を煽る見事な構図といえます。北野映画でもあまり見られない構図ですね。
また後に監督する『アウトレイジ』などにも通じる、登場人物を正面、もしくはやや斜めから半身・表情を見やすく捉える映像が多いかなと思います。
これはエンターテインメント性を主眼においた作品では基本の撮り方です。ただ、あまり人物の顔や半身だけをカメラで追ってしまうと、少し下品な(というと語弊があるかもしれませんが…)説明的すぎる画面になってしまいがちなのですが、北野映画独特の抑えたカメラの動きのおかげか、うるさい印象は受けませんでした。
不可解な日本人
日英共同制作ということで(?)、今作品はヤクザ社会独特の儀式、取り決め、ならわし、掟などが提示されています。「アニキ」という日本的な概念と不可分であるためです。
ヤクザ映画やヤクザ文化に詳しくない人々からすると違和感を持つことも多いでしょうが、北野監督は意図的に使っています。
特に、誠意を表明するために自らの体を傷つけるシーンが多かったですね。
指詰めは複数回登場しますし、原田は腹を切って外様である自分を信用しない組織の幹部に向かって、その覚悟を見せます。
加藤にいたっては、日本人街のボスである白瀬と石原を山本と手を組ませるために、拳銃で自分の頭を撃ちぬきます。
こんな過激な説得方法がかつてあったでしょうか!
加藤の山本を思う気持ちの強さが伝わります(伝わりすぎです)。
凶暴な男・白瀬もこの加藤の男気に参り、山本と兄弟分になることを決意しました。
小道具と衣装
この映画の印象的な小道具といえば、鞄ですね。
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アメリカに旅立つ前に、山本が原田の子分から渡されます。
物語中盤では、デニーを逃がす時に、今度は山本がその鞄(札束でいっぱい)を渡します。
ヤクザ特有の誠意を、指詰めなどではなく、「物を入れて渡す」という行為で見せてるわけですね。「物」だけではなく、「気持ち」をプレゼントしているわけです。
そういえば、かつての仁侠映画では「財布ごと金を渡す」というシーンが度々出てきました。これも任侠道特有の「気持ちのやりとり」ですね。
そう考えるとこの映画は、相手には容赦しないが、仲間内では兄弟分の関係をはっきりさせ絆を描いているので、ある意味「仁義ある戦い」をやっているのだ、ともいえるのではないでしょうか。
もうひとつ、今度は衣装について。
世界を標準に捉えたためかどうかわかりませんが、今作では山本耀司(Y`s,Yohji Yamamoto)が衣装デザインを担当しているそうです。
確かに今作の衣装(スーツ)は画面映えします。特にたけしが着ているシャツと靴がすごく綺麗で、そこばかり見てしまいます。
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気分はもう戦争
さて、今作も武は「凶暴な男」を演じています。
しかも今回は相手はただのヤクザではなく、アメリカのマフィア組織です。
日本人や黒人などが手を組み、白人と対立するという構図なのですが、巨大なマフィアに楯突いたら最後、勝ち目はありません。
彼らの組織力、資本力、ネットワーク、どれをとっても状況は不利です。
それでも山本たちは引くことはありません。
舐められ、仲間を殺し殺され、異国の地を血で汚しながら山本たちは無謀に戦うのです。
負けを認めて頭を下げることは、ヤクザの矜持に関わるのです。
日本でのヤクザ同士の争いから逃れるようにアメリカに渡った山本。
義兄弟であるケンをドラッグの元締めに殴られたため、山本がボコボコにしてしまう。全てはそこから始まります。
どこにいっても戦争。山本が行くところ、全て戦場と化します。そういう生き方しかできないのですから、まあ仕方ありません。
偽装された死と装飾された死
花岡組の親分を殺された原田は、自らの組の若い衆を守るために相手方の組へと移ります。
しばらく経ち、危険な男である山本の処分を命令されますが、彼とは旧知の仲。もちろん殺すつもりはないので一計を案じます。ホームレスを殺し、山本の身代わりにしたのです(死の偽装)。
死んだことになった山本は、偽造パスポートを使い、アメリカにいるはずの義理の弟を探しにいきます。
その後、ドラッグ販売をしながら山本率いる組織は勢力を拡大。日本人街のボス・白瀬も陣営にひきいれてより一層暴れますが、マフィアに目を付けられ、売り上げの半分を上納することを命じられます。
血みどろの戦争が続く中、生き残りである山本とデニーはマフィアのボスを誘拐。
山本は仲違いしてデニーを殺した、とボスに勘違いさせた上でボスを解放します。
ここでも「死を偽装」したわけですね。
デニーは鞄にいっぱいの現金と山本アニキの心意気に涙を流しながらマフィアの追撃を逃れるため車を走らせます。
一方、山本は近くのモーテルで休憩。ケンとは連絡が取れず(死を確信)、店員には「日本人は不可解」と言われます。
直後、追っ手のマフィアが到着したことを確認。
山本は「修理代だ」といって金を店員に渡し、殺されるために扉を開けます。
デニーを逃がすため、戦争を終わらせるため、粋に散るために、山本は自ら死を演出し、作り上げたのです。
それは、闘争に明け暮れ、巨大な敵に刃向かった男に相応しい死に様だったのではないでしょうか。
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