人でなしの恋 北野武『Dolls』
こんばんは、ニャロ目でございます。
今回は北野武監督作品『Dolls』(2002,113分)を取り上げてみます。
一連の監督作品の中でも芸術性の高い一本。
果たして、どのような意味を持つ作品なのでしょうか?
『Dolls』というタイトルの意味
この作品は「さまざまな理由から、『人ではないもの』になった3組に待ち受ける破滅」を描いています。
『人ではないもの』、それを北野監督は「人形」ととらえ、北野流の表現を使って見事に描いています。
それでは、その3組の男女を整理してみます。
・恋人である佐和子との結婚よりも、会社での昇進のために社長令嬢との婚約を選んだ松本と自殺未遂により記憶を失ってしまった佐和子の物語
・かつて恋仲だった、年老いたヤクザの組長と、昔の恋人のために弁当を毎週作り続ける良子の物語
・かつてトップアイドルだった春奈とアイドルオタクの温井の物語
この3組が微妙な連関を持ちながら物語が進んでいきますが、それぞれに悲劇が待ち構えています。
物語の冒頭、文楽・人形浄瑠璃『冥途の飛脚』が演じられます。けっこう分数も長いです。正直、自分はこの『冥途の飛脚』については詳しい内容を知らないので、大きなことはいえないのですが、表層だけ見てみますと、これから演じられる物語が、比喩や誇張などに溢れた「人形=人ではないものたち」のお話だ、ということをあらわしているのではないかと思います。
それは3組の男女が特殊な状況にあるということを意味します。
この作品のメインとなる松本と佐和子の物語。
松本は当初は、自殺未遂をして、人間であることを辞めようとした佐和子を世話する役回りを演じていました。結局、彼も贖罪の気持ちからか、社会的人間であることを辞め、二人は「繋がり乞食」となって全国をさまよいます。
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長年、恋人を待つ良子に毎週会いにいくヤクザの男。彼も人の道から外れた人生を送ってきました。
事故で重傷を負ったアイドルと、熱狂的なファンである温井。温井は彼女のためを思い、カッターで自分の目を切り裂きます。盲目な愛ゆえに、彼もまた人の道を外れるのです(ちょっと谷崎潤一郎『春琴抄』みたいな話ですね)。
このように自ら「人の道を外れた者」が最期には死を迎えます。
具体的には、松本と佐和子、ヤクザ、アイドルオタクの4人の死が暗示されます。
「人の道を外れた者=人形」と捉え、『Dolls』というタイトルをつけたのではないでしょうか。
余談ですが、ホームレスの二人や、アイドルオタクの服装がやけに綺麗で高そうなのも、物語の虚構性を強調していると思います(それにしてもヨウジヤマモトの服…だと思うけど…美しいです)。
北野流の味付け
この映画のメインとなるのは、松本・佐和子カップルです。
おそらくですが、彼らの物語だけでは2時間という長い時間を持たせるのが難しいため、ほかの2組の話を挿入したのだと思われます。なので、残りの2組の物語が少し弱いかな、という気もしてしまいます(長さ的にも、映像的にも)。
さて、今作も北野作品らしく、登場人物たちがよく歩きます。特に松本・佐和子組は日本を歩き回りながら季節・自然の美しさを見せてくれます。
自ら人であることをやめた彼ら(松本、佐和子、ヤクザ)は歩いている途中で死を迎えます。これも非常に象徴的です。
また、この作品でも北野映画特有の「庇護するものとされるもの」の関係性が、松本・佐和子組で描かれています。
松本は自分が裏切ったせいで佐和子を追い詰め、彼女は自ら死を望みます。
結果的に命は助かりましたが、記憶を失い、松本のことも忘れ(物語終盤でふっと思い出しますが)、子供や幼児のように歩き回ります。
松本は当初は彼女を庇護しながら、旅を続けます。しかし、彼女は決して松本を許しません。紐でくくりつけていなければどこかに逃げてしまいます(もとはといえば、彼のほうから逃げ出したんですけどね…)。
そのため松本は佐和子と自分に紐をくくりつけて、簡単に離れないようにします。「繋がり乞食」の誕生です。
庇護するものと庇護されるものという関係性から、彼女と同一の立場に、自らを堕としたのです。
この部分に、北野作品の進化を感じました。
殉愛ドールズ
さて、贖罪の気持ちから自らも佐和子と同じ立場にたった松本。それを象徴するのが二人を繋ぐ紐です。
これは二人の絆であるとともにお互いを縛る鎖でもあるのです。
松本・佐和子パートの冒頭。
桜の咲く美しい景色の中、「繋がり乞食」である二人が道を歩きます。
これって、もちろん誰にも祝福されていませが、結婚式を暗示してますよね多分。
二人が現実では挙げることのできなかった結婚式。
かつての友人の顔もちらっと映りますし。
ちぎれた蝶や置き去りにされる天使の像や潰れたおもちゃなども、物語の不安感・不穏な空気をあらわしてます。
二人はさまざまな季節・場所を旅してきて(ところどころ死をイメージさせるような風景が挟み込まれます)、かつて訪れたと思われる雪山のホテルにたどり着きます。友人たちの前で婚約発表し、ネックレスを渡すという過去の記憶が写されます。
その当時、
松本「ごめんな」
佐和子「ありがとう」
というやりとりがあるのですが、これは『HANA-BI』のラストの台詞にも通じますね。
その思い出の直後、現実世界に戻って、佐和子が不意に松本にそのネックレスを見せます。記憶が若干よみがえったのでしょうか。佐和子にっこり笑う→しだいに泣き顔になる→松本、嗚咽しながら佐和子を抱きしめる、というほぼ無音のいいシーンです。
これは無言でありながらも、かつて交わした「ごめんな」「ありがとう」を再び言い合っているのです。
かつては、(指輪でなくこんなネックレスで)「ごめんな」、(指輪じゃなくてもいい、結婚してくれて)「ありがとう」でしたが、(裏切ってしまい、さらにこんな境遇となってしまって)「ごめんな」、(戻ってきてくれて)「ありがとう」というふうにも感じ取ることができます。
ラスト近くでついに松本の謝罪は受け入れられたのです。
結局、松本と佐和子の二人は雪面から転落して、紐が木にひっかかって(木の根にひっかかるのは物語冒頭でもありました)二人が宙吊りのまま果てる、というエンディングを迎えます。
現世での幸せは掴めなかった二人。その腰につけられた紐に象徴される紐帯は死の際でも一緒という、「純愛/殉愛」を視覚化する上手いラストシーンだったのではないでしょうか。
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