シネマトブログ

映画の評論・感想を紹介するサークル「ブヴァールとペキュシェ」によるブログです。不定期ですが必ず20:00に更新します

感想&解説。アニメと見比べて欲しい。ドラマ「打ち上げ花火、下から見るか、横から見るか」

打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか? - New Color Grading -

2017年に公開された、アニメ版「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」ですが、本作品の元となった作品は、あの岩井俊二監督が有名になるきっかけとなった作品でもあります。


アニメ版を見た方で、見たことのない方はぜひご覧いただきたい作品ではありますので、見比べてみるつもりで、ぜひご覧いただきたいと思います。

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もしも

さて、アニメ版についての解説については、別記事で詳しく語ってみたいと思いますが、本記事においては、ドラマ版の内容と、アニメと見比べる際の、ポイントのみ説明していきたいと思います。

 

キャラクターの配置そのものはかわりませんが、ドラマ版については、1993年にテレビで放映されたということもあり、ある程度時代的なものも色濃くでているところもポイントの一つでしょう。

もともと、「if もしも」というフジテレビのドラマシリーズの一作として作られたのが本作となっています。

 

基本的には、タモリが現れて、AとBどちらかに決断・行動をしていた場合に、その人はどのようにかわっていくか、ということをメインにした今みても実験的で面白い作品となっています。

 

・結婚するなら金持ちの女かなじみの女か。

・あるフェミニスト課長の秘書選び、美人かブスか。

 

という、当時は大丈夫でも、今公開したら、確実に非難を浴びそうなタイトルから、

 

・神がくれる幸運、分割でもらうか、一括でもらうか。

・誘拐するな男の子か、女の子か。

といった気になる内容のものもあります。

 

いずれにしても、どちらかを選んだ人間を描くのですが、このシリーズは、片一方の選択が妄想であってはならない、といったルールが課されたうえで作られた作品になっています。

そういった意味では、「打ち上げ花火、下から見るか、横からみるか」は、すでに、このルールを考えると、微妙にずれていることがわかります。

プールで勝つか、負けるか、の分岐ではありますが、打ち上げ花火をどう見るかは、本作品における分岐とは異なります。

 

ですが、その完成度の高さから、タモリさんの出演をカットしたりした映画版として公開されることになり、名実ともに岩井俊二という名前を世に知らしめるきっかけとなった作品になっています。

また、奥菜恵がその演技力の高さも含めて話題になった作品でもあります。

 

内容について

アニメ版をご覧になった方は必要ないかもしれませんが、改めて内容をおさらいしてみます。

 

主人公の典道は、友人の祐介とプールで競争をします。

彼は負けてしまうのですが、その際に、典道が好きな女子である及川なずなが、勝ったほうに夏祭りを一緒にいこうと誘ってくるのです。

祐介は、なずなではなく、男友達とともにお祭りに行くことを選んでしまいますが、本当は、主人公である典道を誘うつもりだった、というなずなに言葉に、自分があのときプールでの勝負で買っていればと悔やむところで、物語の分岐が始まります。

 

もともと、説明したとおり、本作品は、ドラマの中のルールの一つとして、分岐が露骨に描かれるところに特徴があり、そこについて改めて説明をする必要が、本来はありません。

この物語のルールが、あくまで分岐した場合に、どういう話になるのか、という点が重要になっていますので改めて説明する必要がないのですが、もしこのルールを知らなかった場合、まるで、典道の妄想がはじまったように見えてしまうかもしれません。

 

ですが、もともとが、そういうシリーズの一環だったということだけは、押さえておいていただきたいところです。


物語の構造を事前に知っておく、という点では、一度、アニメをみたあとに、もとの作品をみたほうが、内容がわかりやすいかもしれません。

 

プールで勝った場合のルートで、典道は、なずなと一緒にバスにのって駅にいき、そして、最後に花火を見て終わります。

大枠だけで書いてしまうと、そういう話としか思わないかもしれませんが、本作品は、子供たちの青春も含めてよく描かれた作品となっています。

 

少年たちの時間

少年たちの世界を描いた有名作品としては、スピルバーグ監督「スタンドバイミー」なんかは、面白かったりしますが、いずれにしても、少年たちによる少年たちの時間というものは特別です。

 

ドラマ版「打ち上げ花火、下から見るか、横からみるか」は、小学生の男の子たちに、女の子が入り込んだときの、少しだけ背伸びをした世界が描かれます。

 

「今日花火大会いくの? 二人で行こうよ。なんでって、好きだからよ。五時に迎えにいくからね。必ずいてよ」

 

日常に、がっぱりと違和感が広がる感じは、素晴らしいです。

突然ですが、小学生の男の子が、女の子を好きだ、っていうのは一種の幻想のようなものです。

事実、典道の友人の祐介は、なずなに告白されて、夏祭りに誘われても、その約束をあっさりと破ります。

「なずなに会ったら、行けなくなったって言っておいてくれ」

これの、分岐後の世界でも主人公が悩むところがありますが、そういうものです。

「男同士の約束ってさ」

祐介という男の分岐はそこで終わっていますが、典道は、彼女とともに、彼女の家出、もとい、駆け落ちに加担しようとするあたりは、そこでももしもが生まれているのがよい感じです。

女の子が女性になるとき

「女の子のはどこいったって、働けると思うの。年ごまかして、16歳とか言って」

「見えねぇよ。どこで働くんだよ」

「夜の商売、とか」

着替えをしながら、奥菜恵演じるなずなは言います。

最後のセリフを聞いて、典道が絶句する姿は素晴らしいです。

なずなは、典道と同じ12歳なはずですが、その言葉だけで、彼女が典道とは違うことがわかります。

それは、働く、ということについて実感がいまいちわかない典道が、急に、そのなずなとの逃避行に現実味を感じてしまう瞬間です。

なずなは、口紅をつけて、子供っぽい浴衣姿から、黒いノースリーブの服と赤い白玉模様のスカート姿になります。

正直、16歳には到底みえませんが、今までの白っぽい恰好との対比が考えられています。

振り回される少年

典道は、なずなにさんざん振り回されます。

トイレにいくといったなずなに突き合わされ、電車に乗ろうと駅にいるのに、突然、キップを買わないで、帰るといいだしたり。

「え? 電車がどうかしたの? なんのこと? バス、きてるじゃん、帰ろ」

もう無茶苦茶です。
こういう心の動きを典道はわかるはずがなく、女ってよくわからねぇな、といった顔でバスに乗って帰るのです。

まぁ、なずなからすれば、気が晴れたのでしょう。
もちろん、背伸びをした結果、彼女は少しだけ大人になってしまった、と言い換えてもいいかもしれません。


一方で、典道の友人たちは、暗い夜道で、好きな女の人の名前を大声で叫びだします。

しまいには、「観月ありさぁああああ」、と叫ぶあたりは時代を感じるところです。

アニメ版でも、観月ありさの名前が叫ばれます。

 

観月ありさには申し訳ないのですが、2017年公開時のアニメ映画で、この少年たちと同じ気持ちを観月ありさの名前で、視聴者に抱かせるのは難しいでしょう。まぁ、原作リスペクトというところではあると思いますが。

プールのシーンの美しさ

駅から帰った二人は、学校のプールに侵入します。

そして、あろうことかなずなは、服のままプールに入るのです。

「信じられねぇこと、すんなよな」

 

笑顔で、典道をみるなずな。

その夏の夜。再び、年齢相応の子供になって、なずなは二人ではしゃぐのです。

少年・少女たちは、それぞれ大人になっていきますが、そんな子供から大人になるわずかな間の瞬間を描いた作品が、「打ち上げ花火、下から見るか、横から見るか」になっているのです。

 

時に大人の表情になり、ときに子供のような無邪気な表情を見せる奥菜恵

「花火って、横からみると平べったいのかな」

本作品においての、花火の見え方というのは、子供っぽい疑問であると同時に、大人であれば、頭の中で答えをだしてしまうような問いかけでもあります。

でも、それを、まじめに横から見ようとする少年たちや、大人の力を借りて、下から見させてもらえる主人公。

 

「今度会えるの、2学期だね。楽しみだね」

なずなは嘘をつきます。

彼女は、新学期には転向してしまうのですから。

でも、彼女には、平べったい花火の世界も見えているはずなのです。

もしも、というのは、だいたいにおいてできの悪い妄想となりがちですが、本作品は、そんな揺れ動く少年少女の心を掬いあげるような映像表現となっています。

 

これが、テレビドラマで放送されていたということを考えると、すごいものを感じますが、今の時代を考えると、どうしても古めかしく感じてしまうのも仕方がありません。


アニメ版もありますので、ぜひ、アニメ版とセットで見ていただくとより面白さがわかると思います。

以上、感想&解説。アニメと見比べて欲しい。ドラマ「打ち上げ花火、下から見るか、横から見るか」でした!

 

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