ネタバレ。夫婦一緒の仕事は難しい。感想&解説「天才作家の妻 40年目の真実」
世の中には、夫婦で一つの商売をしているという方も数多くいらっしゃると思います。
それぞれが働いてお金を稼いでいるという方も多いとは思いますが、本作品「天才作家の妻 40年目の真実」では、文筆業を営む老夫婦を描いた作品となっています。
この作品に興味を覚えた方というのは、だいたいの内容をご存じか、あるいは、すでに内容をみた方が大半だと思いますので、ネタバレありで、感想と、解説をしていきたいと思っています。
天才作家を支えた妻の葛藤とは、どのようなものか、みていきたいと思います。
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ノーベル文学賞の受賞
物語は、老夫婦が寝ているところから始まります。
物語の全体の流れとしては、ノーベル文学賞を受賞し、式典に出席、その後、飛行機に乗って帰路につくところで物語は終わっています。
特別激しいシーンがあるわけでもないのですが、物語全編を通して、常に緊張感が漂っており、飽きるようなタイミングがありません。
中でも、アカデミー賞主演女優賞ノミネートのグレン・クローズの演技はすさまじく、その目線の動き一つとっても、常に葛藤を続けながら夫婦生活を続けてきた妻を見事に演じています。
余談ですが、ノーベル賞といえば、ダイナマイト製作者でお馴染みのアルフレッド・ノーベルが残した財産をもとに設立された財団によって運営される最高に名誉な賞となっています。
毎年12月10日に行われており、晩餐会のメニューについても話題になる、世界的にも注目されるビックイベントの一つです。
そんなノーベル賞にノミネートされるもののなかなか受賞できないジョセフとジョーンの二人。
それが、ついに念願かなって受賞したとの知らせが入ったところから物語が動き出します。
違和感
「天才作家の妻 40年目の真実」を知っている人は、実は妻がゴーストライターとして執筆をしており、旦那はあくまでお飾りである、ということをご存じだと思います。
ただ、この作品における二人がたんなる、ゴーストライターと、作家としての表の顔という関係ではないことは、作品をみているとすぐに気づくと思います。
もちろん、女性が作家として活躍できなかった時代に、文学的を志したかった女性の物語としてとらえることもできる作品です。
ですが、本作品をそちらでみてしまうと少しもったいないと思いますので、多少の解説をしてみたいと思います。
若き日のジョーンは、大学の教授に恋をしている学生でした。
作品を書いて才能を見出されるものの、当時の女流作家というのは不遇であり、別の女流作家からは
「およしなさい」
と止められます。
「出版しても、母校の本棚に収まるだけ」
そのシーンで面白いのは、その女流作家が、適当に見つけた本をジョーンに渡したときの音です。
「聞こえた? 一度も読まれていない本の音」
図書館にあるだいたいの本はこんな感じだと思いますが、ヌチャっと音がします。
女流作家は、それを吟味して渡したのではなく、いたって適当に抜き出して、彼女に渡しました。
いかに女性の作家が少ないか、そして、読まれないかというのが、本の音でわかる素晴らしくも、残酷なシーンとなっています。
そう、彼女が若かった時代は、女性の作家は活躍できない時代だったのです。
そうして、ジョーンの夢はついえたかのように見えました。
教授との恋
「教授の妻、面白かったよ。君の描くキャッスルマン夫人が」
「奥様じゃない。架空の人物です」
すでに妻と子供がいたにも関わらず、ジョーンと関係をもつジョセフ。
本作品で重要な点は、まさにこのあたりにあります。
これは、ジョーンという女性の愛の物語であり、愛があるからこその葛藤の物語となっています。
また、女性からみた、男という存在の非常に身勝手さと、自己中心的で、傲慢なところをこれでもかと見せつける作品になっています。
恋愛においては、惚れたもののほうが弱いと言われますが、まさにその通りで、ジョセフ教授に恋をしてしまったがために、ジョーンは、彼が死ぬまで尽くすことになるのです。
もちろん、夫であるジョセフだってたんなるぼんくら、というわけではありません。
名誉にふさわしいのは妻
ノーベル賞というのは大変名誉な賞です。
開催するにあたっては国王陛下まで来てメダルの授与が行われ、多くのマスコミや関係者が注目します。
何日も前から現地入りして、リハーサルを行って、取材を受けて、ということをやっていれば、人間どんどん疲弊していくものです。
ましてや、何度も、ジョーンは聞かされるのです。
「この度の受賞は、ひとえに妻のおかげです」
と。
妻と夫が、家庭を営む以上、必ずお互いがお互い協力しながら物事が進んでいくものではありますが、どちらか一方が、過剰に何かをやってあげている、という状態はあまり健全とはいえません。
わかっていることではありますが、物語の後半では、ジューンが、実際は一人で作品をつくっているというがわかってきます。
「彼女が彼の服を畳む描写だけど、長すぎる」
「わざとよ。彼を待つ時間の退屈さを単調な作業に重ねて書いてるの」
二人は、一緒に作品を作るパートナーでしたが、やがて、妻の思惑に旦那が付いていけなくなり、そのうち、子守などを父親がやるようになっていきます。
その結果、旦那は料理の話を人前でするようになっていたりするところが面白いです。
妻は、毎日8時間も執筆して作品を作り上げているのに、旦那は料理をしたり、対外的に話をするだけ。
または、編集者きどりで意見するだけの存在になっており、内心思うところがありながらもジョーンは執筆を続け、最後にはノーベル賞受賞にまでなります。
しかし、それを、旦那が我が物顔でもっていく、というのは、納得できないところでしょう。
メダルを捨てる描写から、彼らは本当のところ、賞がほしいわけでない、というところもポイントです。
本当は、心の奥底ではちゃんとつながっている、夫婦なのです。
創作って
さて、ちょっと、話を創作のほうに移して考えてみたいと思います。
ジューンは、男性作家しか活躍できない状況を憂いたと同時に、愛するジョセフのために、執筆を進めます。
ジョセフは、ジューンだけではなく、別の女学生にも手をだしてしまっており、とっくに奥さんとは離婚、教授という身分もなくなりすっかり落ちぶれてしまっています。
何度も言いますが、これは愛の物語です。
ジューンからすれば、何度も浮気をするダメな旦那ではありますが、ジョセフのことを深く愛しているのです。
そして、ジョセフが書いてきた作品「クルミ」は、駄作でした。
ジューンは、彼が書いてきた作品をあっさりと否定します。
「率直な感想。いいとは思わなかった。リアリティがない」
ジョセフは、怒ります。
「こんなんじゃ無理だ。君との関係は」
「作品とあなたへの愛は別物よ」
まさに、ここがポイントです。
大なり小なり作品をつくって誰かに見せた人間であれば、ジョセフの気持ちはよくわかるのではないでしょうか。
作品と本人は別物というのは、頭ではわかっていても、いざ言われると理解できないものです。
物語というのは、自分の非常にナイーブな部分を削りだして作るものであり、それを他者に否定されることは、そのまま自分自身の人間性を否定されたように感じるものなのです。
作品と自分を分離して考えられるようになってくれば、やがて慣れていくものではありますが、それでも、ツライ作業であることにはかわりありません。
ジョセフには、女たらしの才能がすくなからずあったとしても、小説を書く才能はなかったのです。
ただ、まるっきりゼロではなく、編集をする才能はいくばくかあり、一方で、ジューンは、表現力や何かはあっても、アイデアがない、というところが明らかになります。
共同執筆
共同執筆をする作者というのは案外に多くいます。
漫画家でいえば、「カードキャプターさくら」や「ツバサクロニクル」なんかで有名なCLAMPは複数人のユニットですし、藤子不二雄も二人でやっていた時代もあるわけです。
推理小説でいえば、エラリー・クイーンなんかも二人組で執筆をしています。
とはいえ、「天才作家の妻 40年目の真実」での彼らは、あくまで旦那の名義にすることを選んでいます。
それを悪いとはいいません。
すべてを明るみにだすことがだけが正しいとは思いませんし、それが二人の結論であれば他人がどうこういうことではないためです。
本作品においては、妻であるジューンだけが過剰に大変だったのではないか、作家としての名誉だけを旦那がもっているのではないか、ということも一つの焦点となっていますが、物語のラストで、妻は、そうではないことに改めて気づくのです。
旦那の浮気癖
ジョセフは、若いころは男前であり、年齢を重ねてからもそれなりに渋いのは渋いですが、かなりの浮気性を持っています。
それがかなりの回数にわたっていることを妻であるジューンは知っていましたし、そのこともあって、かなり敏感になっています。
事実、ジョセフは、カメラマンの女性にキスをせまろうとして、ジューンが設定しておいた時計のアラームで立ち止まったりしています。
ことあるごとに何かを食べて、欲望には弱い人物であることがわかります。
人前では、妻のおかげです、とかいいながら、しっかり妻への裏切りを図っている。
若いころから変わらずに、女性を口説くときには、ジェームス・ジョイスの一説を唱え、クルミの愛の言葉を書いて渡す。
本人がイケていると思っているだけで、実際はそこまでのものではなく、ただ有名人だから浮気ができたりする、ということもあるでしょう。
ですが、ジューンは、それを怒り、赦し、それでも、二人で生活を続けてきたのです。
女性からすれば、本当都合のいい女性を描いてまったく、と思うでしょうが、これは、創作における業も描いた作品となっている点も見逃せません。
創作における業
さて、この作品を最後まで見た方は、妻だけでノーベル賞をとれたと思うでしょうか。
旦那のやり方の良し悪しは別として、旦那の行動によって、ジューンは、何度も葛藤することになります。
「君と離婚したいといったことがあったか。」
「だから、浮気を?」
「どの浮気も後悔してるさ」
「あなたは泣いて謝り。私は毎回許した。私はその怒りを小説にしたの。あなたはご満悦だった。私は怒ったり悩んだりする代わりに、この場面をどうやったら描けるか。私の結晶よ。これは、誰と浮気したときの作品?」
彼女をこれほどまでに苦悩させたのはジョセフです。作品の数だけ、彼女の苦悩や葛藤があるのです。ジョセフがゼロから出したアイデアは、数冊、彼女の愛では山ほどあるところが笑えます。
「君の発想は貧困だった。ただのお堅いお嬢ちゃんだ。元ネタは僕だ」
創作というのは残酷なものです。
もちろん、二人が心穏やかに暮らして、創作もできればそれがいいのでしょうが、創作というのは、よくも悪くも、悩み苦しみ、葛藤することでしか生まれないものです。
ひどい話ですが、ジョセフがいなければ、ジューンは作品のアイデアを思いつくことができなかったでしょうし、ジョセフもまた、ジューンがいなければ、たんなる浮気性のダメな男だったはずです。
どちらがより頑張ったとか、そういう問題ではありません。
物語の最後に、まったくの第三者であるキャビンアテンダントの人が言います
「二人をみて思ったんです。特別な絆だと」
「なぜ?」
「一緒にいるご様子から…」
といって、アテンダントはその後の話を言いません。
その後、妻がゴーストライターだったという言質をとりたい記者がやってきますが、ジューンは
「この間の話だけど、あなたの憶測は事実じゃない。ジョーの名誉を傷つけたら訴えます」
と言って、真っ白な手帳を開きます。
彼が亡くなってしまったことで、彼女からは葛藤がなくなり、作品のアイデアが思いつかなくなってしまったのです。
そういった意味で、作家である夫婦はいなくなってしまった、という物語となっています。
夫婦の物語であり、創作者の物語でもある本作品は、考え方の違いや、お互いがどのように愛を示しているのか、ということを含めて見逃せない作品となっています。
関連作品
本作品とは関係ありませんが、オススメの映画も載せておきます。
夫婦というのはどういうものか、ということを示した作品としては、スタンリー・キューブリック監督「アイズ・ワイド・シャット」ははずせないところです。
結婚して10年目の夫婦が迎える倦怠期を、どのように打破するかといった物語となっています。
また、夫婦仲というは、他人からみてもわからないけれど、夫婦というのはこういうものなのだ、ということを教えてくれる「ゴーン・ガール」
離婚するということは、どういうことかを教えてくれる「マリッジ・ストーリー」といった、結婚や夫婦にまつわる物語も、映画作品には数多くありますので、この度の作品で刺激を受けた方は、ぜひご覧いただきたいと思います。
また、この作品と姉妹のようでもあり、同時に異なる流れを描いた作品も見逃せません。
ティム・バートン監督「ビック・アイズ」は、この作品の画家版となっており、目の大きな少女を書く女性画家が、旦那が書いたということで作品を売っていました。ですが、離婚をきっかけに、自分自身の書いた絵がだと主張するのですが、という物語です。
創作や夫婦仲というのは、難しいものです。
以上、ネタバレ。夫婦一緒の仕事は難しい。感想&解説「天才作家の妻 40年目の真実」でした!