ネットフリックスで見るアカデミー賞。「マリッジストーリー」
本作品は、Netflex資本により作られたものとなっておりまして、申し訳程度の劇場公開のあと、すぐにネットフリックスで独占配信が行われました。
2020年のアカデミー賞は、ネットフリックスによる映画が存在感を発揮した年になっており、今後の映画業界における大きな変化を感じさせる年となっています。
その中でも、今回は「マリッジストーリー」の面白さについて、ネタバレありで語ってみたいと思います。
まだ見てない方は、ぜひご覧いただいてからみてもらえればと思います。
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これは離婚の話
「マリッジストーリー」は、結婚の話ではなく、離婚の話となっています。
もっと踏み込んだ言い方をすれば、夫婦のすれ違いから破綻していくまでを描いたものとしてみることができると思います。
ボタンの掛け違いのような出来事が積み重なっていって、後戻りのできないところに到達してしまうという脚本の巧みさも含めて素晴らしい作品になっています。
また、アメリカの、ある程度お金がある夫婦による、離婚というのはどのように進んでいくのか、という残酷さを描いた作品にもなっているのが見どころです。
離婚についての訴状の書類を渡されて
「形だけよ。返事は急がないわ」
「こちらの訴状に回答がない。渡してから30日以上経つわ。法律では…」
と言われて、アダム・ドライバー演じるチャーリーは慌てて弁護士のもとに行きますが、断られてしまいます。
すでに奥さんが子供をつれて離婚の相談をしていたため、弁護士は公平性を欠くことになるからダメだと断られるのです。
驚く彼に、秘書の女性は
「相手が雇える弁護士の幅を狭めるためです」
と教えてくれます。
戦いはすでに戦う前から始まっている、ということがわかるシーンとなっています。
アメリカでの離婚というのが、どれほど過酷なものかがわかるという点において、面白いものを見ることができます。
法律家たちの戦い
本作品の見どころの一つは、その法廷でのやり取りや、その事前のやり取りです。
アダム・ドライバー演じるチャーリーは、優秀な弁護士を妻の策略によって雇えなくなってしまったため、ぎりぎり残っていた一人の老弁護士に助けを求めます。
その弁護士は、自分自身が3回の離婚経験があることで、離婚裁判に詳しくなったという人であり、子供を守るためにも極力法廷での争いは避けたい旨を伝えます。
チャーリーも、法廷ではなるべく争いたくないという心づもりでいますが、実は、弁護士との間で齟齬があったりします。
妻が自分にたいして法廷での争いを望んでいるはずがないと思い込んでいるし、費用もかかるから法廷での決着など考えてもいないチャーリーと、離婚をしてからが大事だ、ということをわかっている弁護士との温度差です。
しかし、「マリッジストーリー」の脚本の素晴らしいところは、人間の心の掛け違いによる亀裂の入り方のうまさです。
やられたらやり返す
「他の調停員を探そうか。調停は不要かもな。財産分与だけだ」
と、はじめは話をしています。
チャーリーは、離婚するという事態を重く考えていません。
何も知らない子供のようなもので、それがどういう意味をもつのか、ということをわかっていないのです。
二人がぎくしゃくしてうまくいかなくなったから、離婚する、という程度のものでしょう。
ですが、根本的な原因を、この作品では隠しながら進めていきます。
その結果、離婚しなくてもよかったかもしれない二人の仲は、離婚するしかないところに進んでいってしまうのです。
弁護士を雇う必要がないと思っていたのに妻が弁護士を雇い、裁判をするつもりがなかったのに裁判をはじめ、お互いが傷つけあわないで終わろうとしていたのに、殴り合いのような言葉の応酬になっていったりするのです。
何度も書きますが、本作品は結婚の話ではなく、離婚の話となっています。
ですが、本作品をみていると、チャーリーとニコールという二人の夫婦の話を描きながら、ありえたかもしれない現実も描いているところに脚本の素晴らしさがあります。
彼らは別れる必要があったのか
最終的に二人は別れてしまいますが、二人がお互いを深く理解し愛し合っていることは物語の全体を通して伝わってきます。
昼食を頼もうとするところで、ショックのあまり何も考えられないチャーリーに代わって、ニコールが細かいところまで注文してくれたり、物語のラストでは彼の靴ひもを結んでくれたりします。
この物語のキモとなるのは、二人が頑固である、ということです。
彼らはお互い深く愛しているにもかかわらず、素直になりません。
「話し合いをしよう」
といって、本当に話し合えるときには話し合うことができず、引き返せなくなってから彼らは本音を言い合うのです。
何度も引き返せる地点はありました。
離婚についての訴状を渡すときにもそうですし、お互いうまく終わらせるために、法廷に行かないで和解することもできたはずです。
チャーリーはたったの一度だけ浮気をしていました。
ニコールは、それがどうしても許すことができず、最終的に離婚になってしまうのです。
チャーリーからしても、子供ができて妻と心がすれ違っていたときに、たまたま一回だったという言い訳があるのですが、ニコールもまた頑固でありそれを認めることができなかったのです。
誰かは自分の分身
よい脚本というのは、メインとなる登場人物以外の人物たちが、ありえたかもしれない別の人生にみえるようにつくられていることです。
どういうことかといいますと、チャーリーとニコールは、浮気をきっかけに離婚騒動が始まったわけですが、物語の前半では、ニコールの母親が、自分の旦那とのときの話をニコールにしています。
「チャーリーと二人でパームスプリングスに行くの。パパとママはそれで危機を乗り越えたわ」
旦那が同性愛者で、荷物係の男と浮気していた、ということでショックを受けたりしたものの、リゾートに旅行に行って事なきを終えたという経験を語ってくれます。
実は、ニコールの姉も離婚経験者ですし、なぜか、母親はその娘の分かれた旦那といまだに友達だったりします。
未来の彼らの一部でもありますし、まわりの人間の言動などが、彼らのいろいろな未来を暗示してくれているのです。
アドバイスはみんな正しい
「恐ろしい経験をするだろうが、いずれは終わる」
「訴訟後の人生においてはどちらがかっても、夫婦が一緒になんとかしていくんだ」
「息子が第一のはずだ。裁判になれば巻き込むことになる。争いの負担は計り知れない」
「こっちが常識的に進めても、相手が非常識に攻めれば、常識と非常機の間で手をうつことに」
本作品は、アメリカにおける離婚の一つの物語にすぎないかもしれませんが、そのどれにも当てはまる要素がみえる作品となっています。
それぞれが、ぞれぞれの視点で間違ったことを言っていないという点で、非常によくできていると思います。
最終的には、何もわからない裁判官が、調査員に丸投げして、彼らの人生は、よくわからない人にゆだねられてしまうところなど、恐ろしい限りです。
演技
本作品は脚本的なところもそうですが、スカーレット・ヨハンソン演じるニコールにしても、アダム・ドライバー演じるチャーリーにしても、素晴らしい演技をしています。
ある意味で役者の演技に頼った長いシーンが何か所かありますが、いずれにしてもすさまじいシーンとなっています。
ローラ・ダーン演じる弁護士ノラが、靴を抜いでニコールの心に寄り添うシーンや、何より二人の不満をぶつけあうシーンなどは、演技がよくなければとても見れない場面だったはずです。
また、スカーレット・ヨハンソンは踊って歌ったり、アダム・ドライバーもまた歌を歌います。
彼らの心の内がわかるシーンとなっており、まったく間延びせずに見ることができます。
「私のほうが、あなたを愛していた」
そんなことを大声でいえるのに、離婚してしまう二人。
でも、本作品のラストは、決して暗いだけで終わったりはしていません。
かつてアドバイスされたように
「訴訟後の人生においてはどちらがかっても、夫婦が一緒になんとかしていくんだ」
という言葉が頭をよぎります。
お互いが意地になって泥沼の戦いを繰り広げることもあるでしょうが、二人は一緒に進んでいくのです。
関連映画
誘拐事件をもとに、夫婦それぞれの視点が描かれてみたりする傑作映画です。
スタンリー・キューブリック監督「ワイズ・アイズ・シャット」なんかも、夫婦そのものを語って映画になっています。
子煩悩だけれど、頭の毛は薄くなりお腹がでてしまった夫が、いつまでも夢を追いかけていたり、その姿に徐々に絶望する妻を描いた「ブルー・バレインタイン」も非常に身につまされる物語となっていたりします。
「マリッジストーリー」は、愛しながらも分かれてしまう人間の心の悩ましさを見事に離婚という、アメリカの気になる離婚事情と絡めた良作となっています。
以上、ネットフリックスで見るアカデミー賞。「マリッジストーリー」でした!