ファイナルの前に心の準備を。感想「劇場版 銀魂 完結編 万事屋よ永遠なれ」
全国の銀魂ファンの皆さんお待たせしました。
終わる終わる詐欺で、いつまでも終わることのない作品「銀魂」も、連載が終わり、ついに、映画によってアニメーションも終わりを告げる。
様々な想いがあるとは思いますが、今回は、映画「劇場版 銀魂 完結編 万事屋よ永遠なれ」について、ザ・ファイナルを見る前に、気持ちを盛り上げるためにも、感想&解説を書いてみたいと思います。
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銀魂とは
本記事を見ている人からすれば、もはや説明するまでもない事柄と思います。
SF人情なんちゃって時代劇コメディーと、原作者の空知英秋氏がいうように本作品は、かなりめちゃくちゃな作品となっています。
なんでもありの世界観ながら、登場人物たちの人情味あふれる心に、腹をかかえて笑った人たちは数知れないことでしょう。
銀魂の面白いところは、その和洋折衷なんでもありの世界観と、各キャラクターの面白さに尽きるでしょう。
甘いものが好きな、凄腕の男、坂田銀時。
彼がはじめた万事屋稼業によって、問題をかかえた人たちの問題そのものもそうですし、依頼人や関わる人間たちの心も解決していく、という点において、まさに人情物といえるかと思います。
日本映画でいうところの「男はつらいよ」シリーズの、寅さんのように、だらしのないところがありながらも、人々を助けて、明るくしてくれるという点において、かつての日本映画が持っていた面白さを引き継いだキャラクターといえるかと思います。
ノーモア映画泥棒
映画「劇場版 銀魂 完結編 万事屋よ永遠なれ」は、原作者自らが原案を手掛けた作品となっており、映画でなければできない銀魂らしさが込められた作品となっています。
冒頭からして、「NO MORE 映画泥棒」がでてきます。
これは、映画の盗撮などを防いだりすることを目的としたマナームービーとなっておりまして、映画館に一度でも行ったことのある方であれば、記憶に残っているのではないでしょうか。
2020年からは、新作になってしまいましたが、5年以上もの間、今回の映画の内容となっており、劇場で実際に見た人たちは、そのいたずら心にわくわくしたのではないでしょうか。
映画の一作目である「銀魂 新訳紅桜編」は、あくまで原作をベースにした内容でしたが、「完結編」は、まさに映画のために作られた作品というところが、冒頭からわかります。
映画のためのオリジナル
本作品は、映画オリジナルとなっており、言ってしまえば、こういう話が銀魂のどこかの回であっても不思議ではないな、と思わせる内容になっています。
映画泥棒に扮したキャラクターが実は時間泥棒という名前のタイムマシンで、5年後の未来にとばされてしまった銀さんは、崩壊した江戸の町で、再び過去に戻るために奔走する、というのが大まかな流れとなっています。
未来の世界では、銀さんは失踪したことになっており、そのことが原因で色々な人たちに問題が起きてしまっています。
誰かが不在だったせいで、かかわった人たちが不幸になるというのは、「素晴らしき哉、人生」なんかを彷彿とさせます。
ツッコミ担当の、ぱっつぁんこと、志村新八が、すっかり、やさぐれたイケメン風のメガネくんになっていたり、ゲロを吐くヒロイン、神楽が、すっかり大人の女性になっていたりと、サザエさん方式でなかなか年齢を重ねないはずの本作品において、異世界のような面白さがあるところです。
「北斗の拳」まるだしなキャラクターたちが、銀さんを取り囲むところは、ジャンプ作品でもありますし、その手のギャグが入ると、銀魂らしさを感じてしまうところでもあります。
映画のアクション
アニメーションというのはやはり動きが重要となっておりまして、新訳紅桜編でもよく動いていましたが、本作品でも、十分映画としてはじない動きを披露してくれます。
ここからは、軽いネタバレになります。
主人公ということもあって銀さんは作品中で最強の部類に入るキャラクターとなっていますが、本作品では、銀さんVS銀さんというのをみることができたりするのも、ファンであれば熱い気持ちになれるところではないでしょうか。
映画愛で終わる
さて、詳しい内容については、映画を見ていただきたいと思いますし、見てきていると思いますので、省きます。
ただ、本作品がちゃんと、映画ならではになっているという点については、最後に語りたいと思います。
本作品が、映画泥棒で始まるのは、まさに映画ならではの演出です。
一応、それが、作品の流れそのものに関係するっていうのも、イキな演出です。
銀魂は、キャラクターたちが、世界がおかしくなっていて戸惑うというのは、幾度かみたことのある導入ではありました。
気づいたら、おできになっていたり、数年後になってみたり、様々な設定で、銀魂という世界観をずらしながら、物語が作られています。
ただ、映画版では、銀さんたちが、戦い続けていた攘夷戦争と呼ばれるところまで、物語がさかのぼっています。
タイムスリップものというのは、いわゆるタイムパラドックスというのがあって、ごちゃごちゃしてしまうところですが、本作品は、映画という特性や愛を語りながら、それが結果として、物語を貫くものとして機能しているところが面白いところです。
物語の冒頭で、「アレ勃ちぬ」という、大変ふざけた劇中劇が紹介されます。
某国民的アニメーションスタジオ。
もとい、スタジオジブリ「風たちぬ」をそのまま、下品にパクったタイトルです。
公開されて年月がたってしまうと、たんなるひどいタイトルに思えるだけですが、本当に同じ時期に公開された作品だと思うと、よく怒られなかったものだと思うものです。
文字の色と形まで似せているので、なおのことヤバイですね。
また、「けいおん」をライバル視した発言がちょこちょことでてくるあたり、時代を感じるところでもあります。
映画が物語を救う
細かい考察というのは控えますが、銀さんが未来の世界で自分を殺し、その後、すべての元凶となった自分を殺すために過去へと戻ります。
銀さんという存在が消えていく中で、関わった人たちから次々と銀さんの記憶がなくなり、最後には、神楽と新八も、銀さんを忘れそうになったところで、たまがやってきます。
これまた古い話になってしまうかもしれませんが、時間の流れを唯一移動できることになった時間泥棒こと、たま。
彼女が、銀時のデータをもっていたおかげで、再び、新八たちも過去に行き、さらに過去を上書きすることができた、というのが今回の総括したラストでしょう。
大事なのはボディではなく、データだ、というのは聞いたことのあるセリフです。
フィルムが劇場で配られるというのがあったりして、よくあるグッズ関連のギャグをふくらませただけかと思いきや、映画というものが、フィルムによってつくられていて、戻ろうと思えば過去に戻れる、というメタ的な話となってはいます。
まさに、映画というフォーマットをつかった銀魂になっているのが「劇場版 銀魂 完結編 万事屋よ永遠なれ」だったりするのです。
本作品については、映画愛に溢れた形での作品となっていることから、再度見返していただきながら、気持ちを盛り上げてもらいたいと思います。
以上、ファイナルの前に心の準備を。感想「劇場版 銀魂 完結編 万事屋よ永遠なれ」でした!