映画の予習に。どろろの要素。感想&解説「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」
京都アニメーションといえば、「涼宮ハルヒの憂鬱」や「けいおん!」を手掛け、圧倒的な作画の力をもってして、アニメ界隈ではその名前を知らない人のいないアニメーション制作会社です。
オリジナル作品として「MUNTO」がありましたが、残念ながらあまり知られる作品ではなく、近年では、自社レーベルであるKAエスマ文庫で取り上げた作品をアニメ化することが多くなってきています。
KAエスマ文庫では、2020年5月現在において大賞は一度しかでておりません。
その現在におけるたった一度の大賞作品こそが、今回紹介する「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」なのです。
作画の美しさ、演出の絶妙さ、脚本の素晴らしさを兼ね備えた本作品について、映画の前の予習として、感想&解説をみていただければと思っております。
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セカイ設定
本作品は、異世界セカイにおける文学作品といってもいい仕上がりになっています。
異世界といっても、剣と魔法がでてくる世界ではなく、過去の現実世界をずらしたようなつくりとなっているので、異世界ものを見慣れない人でも違和感なく入り込むことができます。
ファンタジー要素とすれば、第一次世界大戦後ぐらいの戦闘をしているにもかかわらず、両腕が無くなった主人公の義手としてついているものは、タイピングをなんなく打つことができるぐらいの精密さと堅牢さを誇っており、戦闘レベルと医療技術のレベルが合っていない、という点ぐらいでしょうか。
あと、この世界の人たちの多くが文字を書くことができないので、手紙の代筆をすることを生業とする自動手記人形と呼ばれる職業が発展、重要視されている世界となっております。
その2点のファンタジー要素を飲み込んでしまえば、多少の虚実をいれた世界としてみることができるかと思います。
この設定そのものが実によくできておりまして、主人公のヴァイオレットは、その両腕で人を殺しましたが、その両腕を失い、義手となり、その義手で今度は人を救いっていく、という点で、両腕そのものが重要なアイテムと作用していると同時に、この世界設定なくしては、成り立たない物語ともなっています。
そして、ファンタジーだからこそできる主人公の設定は、アニメだからこそできる表現によって見事に結実しているのです。
さて、そんな世界における主人公は、どのようにして進んでいくのか。
これが、また素晴らしいです。
どう素晴らしいのか。
横道にそれながら解説してまいります。
戦後の戦いかた
最近の作品ですと、まさに戦闘をしている異世界ものでいえば「幼女戦記」がおすすめです。
神を信じなかった男が異世界に転生され、魔力の才能を頼りに戦争で大活躍する物語です。
これだけ聞くとよくある話と思うかもしれませんが、魔力というものが存在する世の中だった場合の、世界のIFが面白い作品でもあり、安寧を望む主人公が、認めたくない神に祈りながら戦線を拡大してく様は、他のファンタジーにはない熱量を感じるところです。
そんなわけで、物語というのはその戦争の最中を描くことのほうが面白く書きやすいものだと思いますが、「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」は、戦後を描いています。
戦後を取り扱った作品といえば、「パンプキンシザーズ」を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。
戦災復興を目的とした、ある意味できそこないの隊員たちが繰り広げる物語です。
戦争というものが残した傷跡がどのように人々に影響をもたらし、その理不尽なセカイがまかり通っているかを、特殊な設定のもと描いた作品となっています。
ファンタジーにおける大戦後の世界を描いた作品として、「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」が気になった方は、こちらをオススメします。
さて、「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」は、もっと個人レベルに焦点を当てた戦後の物語となっており、感情をもたなかった少女が、心を取り戻していく物語となっています。
心のどろろ
さて、他の作品の話ばかり引き合いにだしていますが、手塚治虫が誇る作品として「どろろ」を知らない人もいないでしょう。
どろろといえば、生まれる前に父親が妖怪と契約してしまったことで、身体を失いながら生まれてきた百鬼丸が、どろろと一緒に旅をしながら、自分の身体を取り戻してく話となっています。
この作品のプロットは、いろいろな作品に影響を与えており、もはや、一つの定型といってもいいものになってしまっています。
「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」でみてみると、彼女は戦争によって心をもたない人形のような存在として、殺戮の道具として生きていました。
ただ一人、自分のことを人間として扱っている上官、ギルベルト少佐は、彼女のことを道具としてみてはおらず、愛すべき存在として接していましたが、ヴァイオレットは、そのことに気づくことができません。
本作品の構成として素晴らしいのは、ヴァイオレットは、心をもっていないのではなく、言葉をもっていない。または、言葉を通じた感情の表現を知らなかったことにあります。
「命令を」
という彼女は、自分の言葉をもちません。
彼女は、ギルベルト少佐にようやく文字を教えてもらったものの、自分の感情や、他者の感情を推し量るのが苦手です。
何もわからない彼女が、名称だけは代筆を生業とする自動手記人形と呼ばれる職業につくという皮肉がきいています。
ちなみに、自動手記人形というのが、蔑称なのではないかと思っていたのですが、作中の中で、そうではないということが描かれています。念のため。
戦後のギャップ
またまた、他作品を引き合いに出しますが、みなさんは、京都アニメーション制作繋がりということで「フルメタルパニック」を見ていらっしゃるでしょうか。
フルメタルパニックは、ソ連が崩壊せず、アームスレイブなる機械が発展した世の中を舞台に、幼いころに紛争地帯で少年兵として育った主人公、相良宗介が、日本の高校生を守るということでおきるドタバタを描く作品になっています。
いつ殺されるかわからないという戦争状態でいる主人公と、お気楽な日本の高校生たちとのギャップが面白いのですが、「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」においても、そんなギャップによる面白さがみてとれます。
「なんだ、子供か」
と勘違いされる主人公のヴァイオレット。
ただ、一方で表情のなさと相まって、子供には「人形さんだ」といわれるぐらい整った容姿をしています。
生死不明の上官ギルベルトが生きてると信じながらも、ギルベルトがなぜ自分に対して
「愛している」
といってくれたのか。
その意味がわからず、文脈から読み取ることもできない彼女が、自分の感情を知るために、もっとも人の気持ちを汲み取らなければならない手紙の代筆屋をするという設定もまた、本作品でなければ成立しえない物語となっています。
演出と映像
物語の概要、その進め方も素晴らしいのですが、まずその映像表現のすばらしさに目がいってしまいます。
本作品はテレビ放映されたものとはとても思えないぐらいのクオリティの高さを誇っており、そのしぐさ一つ一つがよくできています。
映像によって主人公たちの心情を投影しているシーンもありますし、何よりも、キャラクターの演技が素晴らしいのです。
アニメで、キャラクターの演技? と思われる方もいるかもしれませんが、キャラクターがしている動作こそが、この作品のテーマを含めて深いレベルで表現されていることがわかります。
「それで、少佐は」
郵便車の社長であるホッジンズは、手を動かし、ポケットの中に手を入れます。嘘をつく、または本心を隠すという演技です。
「安心してよ。俺はあいつから頼まれてきたんだ」
そして、ポケットの中の手がぴくりと動きます。
また、無言ではあるもののその表情や、目線の動きでキャラクターの気持ちがわかります。
本作品は、大泣きしたりすることはほとんどありませんし、余計なことは言いません。
本作品にでてくる人たちは、基本的にやさしい人たちです。
気持ちを読み取り、そのうえで接してくれたり、怒ったりしてくれます。
ヴァイオレットは、そんな人たちによって、人間の感情を学んでいきます。
本作品は、言葉を伝える作品であると同時に、言葉にしていないことを読み取る作品になっているのです。
人の心を汲み取る
さて、そんな言葉をもたないヴァイオレットは、様々な人の出会いを重ねることで感情を学び、かつて自分が関わっていた場面もまた解釈することができるようになっていきます。
好きな人に対して、一度断るような手紙をかけという依頼人。
文字通り断りの手紙を書いて怒られたりして、人の言葉には裏と表があることを知ってみたりして、人の心をどのようにして汲み取っていくのかが、自動手記人形の大事な仕事であることを知っていきます。
もともと、ヴァイオレットは身体能力も知能も高いのですが、一気に頭角を現していきます。
しかし、そうなったらそうなったで、もっと複雑な人々の人生に踏み込んでいくことになるのです。
戦争をする中で、道具として扱われ、多くの人々に命を摘み取ってきたはずの人物が、自分の身体にしみついたやけどの跡に気づいていく姿や、気づいてしまったことで、過去の衝動的な自分に戻ることができなくなっているという矛盾が素晴らしいです。
あと、オープニング曲が内容とぴったりというのも、素晴らしいところですね。
「知らない言葉を覚えていくたび、面影の中、手を伸ばすの。だけど、一人ではわからない言葉も、あるのかもしれない」
どろろの弱さ
さて、先ほど手塚治虫の「どろろ」の話をしましたが、どろろが面白いのは、物語が進むにつれてどろろが弱くなってしまうことです。
はじめこそ、全身からくり仕掛けで痛みも感じず、音も匂いも疲れもなかったはずの男が、人間の身体を取り戻すことで、弱くなってしまうのです。
「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」においても、主人公であるヴァイオレットは、素晴らしい戦闘技術をもっているのですが、人を殺すことができなくなっています。
戦場でも一目おかれており、戦後においてもその身体能力は衰えることを知りません。
ですが、彼女は、心がわかるようになっていくことで、人を殺すことができなくなっていき、物語の終盤では危なく死にかけることになるのです。
不殺、というものは尊い考えですが、実際に殺そうとしてくる相手にそれをやるのは並大抵の精神力ではできないでしょう。
彼女は、状況を変化させるものとして、いくつもの依頼をこなしていきます。
物語の序盤から中盤にかけては、串団子形式に物語がでてきます。
串団子形式といってしまうと語弊があるかもしれませんが、ヴァイオレットが自動手記人形としてやってくることで、物語が動き出す、という作りとなっております。
その中で彼女は、少しずつ人間の感情を知っていくのです。
多少順番が前後しても問題ないという点では、物語の中盤は串団子のようになっており、4話と5話の間のイメージでつくられた「きっと愛を知る日がくるだろう」というエピソードあたりでは、いくらでも追加エピソードができそうなぐらいです。
ただ、物語後半にいくにしたがって、彼女自身に制限がかかってきますので、幅の広い作りも可能にしたよくできた作品となっています。
物語の終盤
だいたいの方は、「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」を最後までみているから本記事をみているとは思いますが、万が一のため終わりについては詳細には書きません。
ただ、本作品の物語が、実によくできた構成であり、それを可能にした演出によって成り立った会心作であることは間違いありません。
京都アニメーションは、悲惨な事件に見舞われてしまったことで制作も厳しいところもあるかもしれませんが、けた違いの良作を輩出している会社ですので、今後もぜひ頑張っていただきたいと陰ながら応援いたします。
改めて、本作品において、両腕の意味についてはよくできているところです。
人を殺めた手。
普通の作品でしたら、人を殺しておきながら、あたりまえの日常に戻ってくるということは、残念ながらできないでしょう。
故意であったにせよ、事故であったにせよ、人は罪を背負って生きていくことになりますし、ヴァイオレットもまたそれに気づいてしまいます。
ですが、大量の人々を殺めた彼女の両腕はすでに失われており、人を助けることができる義手もまた、さらに多くの人たちを助けるために壊れてしまいます。
「もう、命令はいりません」
命令を欲していたヴァイオレットは、誰かに命じられなくても、自分自身の言葉を見つけることができるようになりました。
恥ずかしながら、これほど涙を流す作品も久しぶりでしたので、ご覧になっていない方は、ぜひ、何度となく本作品をみていただきたいと思います。
以上、映画の予習に。どろろの要素。感想&解説「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」でした!!