シネマトブログ

映画の評論・感想を紹介するサークル「ブヴァールとペキュシェ」によるブログです。不定期ですが必ず20:00に更新します

県民の空気感がよくわかる。感想&解説「翔んで埼玉」

翔んで埼玉

日本アカデミー賞もとった「翔んで埼玉」ですが、この作品は、「パタリロ!」で有名な、魔夜峰央によるギャグマンガとして、1982年から連載された作品を映画化しています。

なぜ、今「翔んで埼玉」なのか、という点は気になります。

その決定的な事柄はわかりませんが、30年以上の時を経て、SNSでその存在が拡散、そのあまりに特異な内容から、話題を呼び映画するという運びになった稀有な作品です。

本作品は、ギャグマンガですので、一歩引いた目でみてしまう人も多いかと思いますが、堅苦しくない作品でありながら、日本の中にもたしかに存在する空気感を感じ取ることができる作品となっていますので、そのあたりを含めて感想を述べていきたいと思います。

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映画化のうまさ

もちろん、1982年に連載された作品がそのまま映画になったわけではありません。

そこには、現代版に見事にアップデートされ、且つ、一種のばかばかしさをうまく緩和しながら、納得できるファンタジーを取り入れている匙加減、脚本と演出の妙があるということは、否定できない事実だと思います。

 

本作品は、埼玉県に住む家族が、東京に向かって移動する道中に、作中作として「翔んで埼玉」の世界が描かれます。

物語の最後には、ラジオの中で語られる世界と現代が繋がっているというアクロバティックな脚本によってつなげていくのですが、物語を最後までみた人間であれば、その脚本の流れも違和感なく、あるいは、慈愛をもって受け入れることができるでしょう。

秘密のケンミンSHOW

知らない人のほうが少ないでしょうが、かつてはみのもんたが司会を務め、日本という国が小さな島国にも関わらずこれほどの多様性があるということを世に知らしめたテレビ番組「カミングアウトバラエティ!!秘密のケンミンショー」をご存じでしょうか。

この番組は、日本の各都道府県においてこれだけ違いがあるということを面白おかしく紹介した番組として、高い視聴率を誇っています。

食文化の違いが大きいところではありますが、「翔んで埼玉」は、都道府県による文化の差を、極端な差別や、郷土愛といった観点を際立たせることによって、面白さを引き出しているのが特徴です。

住んでいる地域によっては、ピンとこない人もいるかと思いますが、県民意識といったものが強い人であれば、共感できる内容となっていますし、そうでない人にとっても、こういうものなのか、と知るには非常に面白いものとなっています。

 

特に、埼玉に住んでいる人たちの、東京へのあこがれや、他の県との意識の違いをこれでもか、とみせつけてくる点はおもしろすぎるところです。

 

格差社会とは

劇中の中で語られる、埼玉解放の人物、麻実麗(あさみ れい)について語られる物語は、すさまじいまでの差別と偏見との闘いに溢れています。

東京都民と埼玉県民とでは絶対的な差があり、埼玉県民は通行手形がなければ入ることすら許されない土地となっています。

この作品は、人種(?)差別の作品としてみることもできますが、あくまでギャグがメインということと、その少なからずもっている劣等感といったものを戯画化しているところにその特徴があります。

「埼玉県人には、そこらへんの草でも食わせておけ。埼玉県人なら、それで治る」

このセリフだけでもはや無茶苦茶です。

同じ人間にも関わらず、扱いはゴミのようです。

にもかかわらず、それを言われた埼玉県人は、おずおずと帰っていくのです。


物語の後半で、GACKT演じる麻美麗が、埼玉県人に根深くある劣等感や無力感にうちかてず、絶望するシーンがありますが、差別や格差というのを覆すのは難しいことがわかります。

都会指数

物語の前半は、GACKT演じる麻美麗が、東京都民が信じている都会指数なるものを信じることそのものが、バカらしいということを示すところがメインになります。

都会指数をあげるため、アメリカに留学していた埼玉県人である麗。

彼は、都会の中の都会人、二階堂ふみ演じる壇ノ浦百美(だんのうら ももみ)と対決することになります。

もっとも目をひくのは、東京テイスティングです。

これは、東京のとある地域の空気を瓶の中に閉じ込め、それの匂いをかぐことで、どこの場所かを当てるという驚異的な競技(?)です。

そんなもの、わかるわけないだろ、と思うでしょうが、麗はそのわずかな特徴を頼りに、次々と地名をあてていきます。

ハイブランドの香水の匂いと、飲食店のダクトからあふれ出る高級食材の匂いとか入り混じる、気品高い。銀座、いや、かすかに香る赤子たちの匂いに、昼下がりのランチどき。これは、マダムたちの集まるハイソな町、白金」

「1分45秒。会長よりハイペースだ」

匂いだけで地名を当てるのも驚異的ですが、それのあてる時間の速さまで競うわけのわからなさ。

一見、あほらしくみえる争いにも関わらず、緊張感があふれます。なぜか、引き込まれます。

アメリカのにおいがするぅ」

と、いいだす一般都民も含めて、なぜか匂いで判断をするというところは、むしろ原始的なのでは、と思ったりもしますが、そんなツッコミも含めて見どころ満載です。

圧倒的な都会指数、そんな麗は、埼玉県人である家政婦さんを助けてしまい、自らもまた埼玉県人であることがばれてしまいます。

ちなみに、こういった謎の格付けチェックによって、その人物の格を描く点については、これまたテレビ番組「芸能人格付けチェック」を思い出させるところです。

とくに、そこでの重要な人物がGACKTというのが、すでに意図的なキャスティングなのがたまりません。

これは、解放の物語

埼玉県人だとバレてしまった麗と、麗のことを好きになってしまった百美が埼玉へ行き、やがて、茨城の人たちとのいさかいを含めて、戦いが行われる、という物語となっています。

それを随時、現代パートのブラザートム島崎遥香麻生久美子が演じる人たちによって、現代においても県民性の違いを再確認していくような多重構造の話となっています。

茨城と埼玉の河を挟んだ戦いなどは、それぞれの有名人をあげて、その格付けによって戦って(?)みたりしますし、明確な勝ち負けがはっきりしているわけではないのに、たしかに勝った負けたがわかるところは、 一種のリテラシーがもとめられる映画かもしれません。

また、百美は、二階堂ふみが演じていますが、設定上は男です。

これは、県民同士の差別の物語であると同時に、マイノリティの物語にもなっています。

えてして、弾圧する側が弾圧されるマイノリティであることを隠していたりする、というのは、映画「J・エドガー」なんかでもあったりするわけですが、「翔んで埼玉」が、実は、いろいろなメッセージを隠し持っていながらも、気軽にみれる映画となっているのは、素晴らしいです。

ネットの冗談

1982年に発表された本作品が、現代版に見事にアップデートされている、と思う点はいくつもありますが、中でも、インターネットでまことしやかにバカにしつつも愛されている妄言の数々を取り入れているのも興味深いです。

 

 
なんていう漫画もあるぐらいなのですが、グンマとは、ネットの中で発生した群馬県を愛しつつもバカにした言い方です。

「翔んで埼玉」でも、群馬の田舎さが、ビジュアルとして表現されています。これで、批判とかこなかったのだろうかと思ってしまいますが、愛情のあるネタというのはえてして喜ばれるものなのでしょう、たぶん。

 

そんな、ネット界隈のネタまでとりこみつつ、最後には、はなわによる埼玉県の歌によって終わるあたりは、わかっているなぁ、と思うところです。

郷土愛を感じる作品となっており、アカデミー賞とるのか、といわれるとなかなか疑問を覚えなくもありませんが、作品そのものの熱量に関していえば、巨大であることは間違いありません。

以上、県民の空気感がよくわかる。感想&解説「翔んで埼玉」でした!

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