ウイルスの予言。角川映画記念すべき一作「復活の日」
ウイルスが関係する映画作品というのも数多くあり、どのような騒動になっていくのか、その最悪のシナリオがわかる、という点で、今見ると違った見方ができる作品がありますので、注目の一作を紹介していきたいと思います。
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角川映画第一作
角川映画といえば、一時期のブームをつくったといっても過言ではない日本映画を代表する作品群と考えて差し支えないと思います。
そんな角川春樹が「これを映画化するために会社を継いだ」と豪語するほど、熱の入った作品となっています。
製作費は、25億から31憶ともいわれているそうで、画面をみれば、こりゃーお金かかっているな、というのがわかる作品となっています。
ただ、あまりに製作費が巨額になりすぎて、興行収入的にはよかったのですが、製作費のほうが収益を上回るという結果になってしまっています。
このことがあったおかげか、そののちに低予算のアイドル映画路線にかじを切ることになったのは、歴史の皮肉としかいいようがないところではないでしょうか。
米ソ冷戦の時代
では、内容に入っていきたいと思います。
この作品を理解するにあたっては、米ソ冷戦という状況を頭にいれておく必要があります。
当時、核戦争による人類滅亡ということは、わりと近しい存在でした。
核爆弾の恐怖等を描いた、スタンリー・キューブリック監督「博士の異常な愛情」なんていうのは、見たことがある人も多いのではないでしょうか。
ウイルスが拍車をかける
そんな中、研究所から持ち出された凶悪なウイルス「MM-88」が、飛行機事故によって世界に広がってしまいます。
ウイルス騒動の出どころは別として、人類というのは、結局、人間同士の争いの果てに、滅亡のスイッチを押してしまうのだな、ということがわかる内容となっています。
ウイルスはたちどころに広がり、イタリアかぜ、として広がっていきます。
スペイン風邪からきている名称ですが、1964年に出版された作品でありながら、その日本の状況については、現在のウイルス騒動に似た様相を呈しているのは、皮肉といえるところです。
スペインやイタリアで流行したウイルスは、またたくまに日本に広がり、医療崩壊を起こしていく様は、マスクをつけないで対応にあたる緒形拳演じる医者の存在はあるものの、その雰囲気そのものは、現代の日本においても、それほど違いがあるようには見えません。
医療従事者が、全員机の上やそこらへんで、倒れている姿は、世界の最悪のシナリオを連想させてしまうところです。
傍観者としての希望
さて、世界や日本では次々とウイルスによって人々が死滅していく中、唯一助かっていた人たちがいます。
それこそが、草刈正雄演じる吉住たちを含んだ南極の人々です。
日本に愛する女性を残してでてきてしまったわけですが、この女性は、日本での悲惨な状況を伝えるとともに、吉住に後悔の念を起こさせる一因ともなる女性です。
南極は、崩壊する世界をある意味見守ることしかできない役割としてでてきます。
カリフォルニアにいるトビーという少年と無線がつながるのですが、一人きりになってしまったと思い込んだ少年が、拳銃を見つけてしまうところは、傍観者としての無力さがわかるシーンとなっています。
世界がウイルスになすすべなくやられてから、南極の人々の行動が始まります。
残された人類は、どのように生きるのか、というところも見ものです。
人類の縮図
南極には、様々な国から調査隊が派遣されています。
日本のみならず、各国から人々があつまり、今後の対策を考えるのですが、国同士の中の悪さであるとか、その中でのリーダーシップの取り合いのようなことが、ウイルスを経てもなお、人類が団結できないさまを表しているようです。
ただ、そんな中でも生命は生まれるもので、基地の中で生まれた子供の存在を告げられると、争っていたはずの人たちが、建設的にがんばろうとする姿は、ほほえましい限りです。
勝手に、日の出を意味するグリーという名前を付けてほしい、とかいってくるおっさんはどうかと思いますが、それでも、新たな希望というのは、絶望的な状況にあってこそより一層大事になるということなのでしょう。
事件
とはいえ、モラルや規律が大事なる瞬間も描かれます。
南極のメンバーの中で、女性の比率が極端に少なかったことから、暴行事件が勃発。
えてして、こういう極限状況ではそのようなことが発生してしまいますが、こういう異常状態の中で、人権が制限されてしまうという事態も示されています。
ここからは、ネタバレとなります。
ウイルスが人々を殺してしまうこともありますが、核戦争の残骸によって、「復活の日」の中でも、人類滅亡の危機が訪れます。
この映画のすさまじいところは、ここで核兵器がとまらない、ということです。
普通であれば、ギリギリのところでミサイルの発射が止まるはずなのに、目の前で地震が発生し、核ミサイルによって大変な事態が発生してしまうのです。
歩く男
ボロボロになった布をまといながら歩き、教会で死者と話す姿をみると、もはや並の人間にはみえなくなっています。
ちなみに、本作品は、本当に南極で撮影しています。
当時の日本の景気の良さと、思い切りの良さをはっきりと感じ取れる作品となっていますが、ほぼ英語でしゃべりつづける本作品が、24億円もの興行収益を獲得した、というのはにわかに信じられないところです。
ウイルスの影響もあって、ウイルス関連への意識は高まるばかりだと思います。
そんな中だからこそ、映画から受け取れる情報も変わってくると思いますので、この機会に名作をみてみるのも一興ではないでしょうか。