シネマトブログ

映画の評論・感想を紹介するサークル「ブヴァールとペキュシェ」によるブログです。不定期ですが必ず20:00に更新します

楽しき我が家 『火垂るの墓』

たびたびこの季節に放送される映画『火垂るの墓』(1988年、88分、原作:野坂昭如)。今年も金曜ロードショーで放送されます。

 

今回は高畑勲監督の代表作であるこの『火垂るの墓』を取り上げてみたいと思います。

あらすじ

舞台は兵庫県、戦争末期。空襲で母親と家を失った兄妹、清太と節子。二人は親戚の家に置いてもらうことになったが、口うるさく、邪魔ものあつかいをする叔母との生活に耐えかね、家を出る。行くあてのない二人は池の近くの壕に住むことを決める。栄養失調により次第に衰弱していく節子。清太は貯金を全額おろし、精のつくものを食べさせようとするが、すでに節子は事切れていた。節子の遺体を燃やし、骨をドロップの缶に入れた清太は自身も栄養失調に陥っており、駅の構内で息を引きとる。霊となった二人は、戦後復興を果たした町を丘の上から眺めるのだった。

 

演出・二つの小道具

兄・清太と、その妹・節子の短い生涯を描いた作品。

非常な緻密な絵と抑えた演出で、全体的に静かな印象を与えます。

 

細かな枝葉をそぎ落とし、兄と妹の関係をたんたんと描くことに終始しているので、彼らが陥る境遇の悲惨さが普遍性を帯びて、発表から30年近く経った今でも十分に鑑賞に耐えうる作品になっています。

 

同時公開された宮崎監督の『となりのトトロ』がファンタジー的手法で現実を描いたのに対して、こちらの『火垂るの墓』はリアリズムの中にファンタジーをはめこんでいます。

 

映画の特徴として、息絶えた二人が要所要所にあらわれ、過去の自分たちを振り返るという演出が挙げられます。これには二人の無念さ・哀れさが切に感じられます。

 

重要な小道具を二つ取り上げてみます。

 

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一つめは、映画の中で何度も登場する「蛍」。

 

これは、儚さ、暗闇の中の頼りない明るさ、魂などを象徴しています。

 

序盤・中盤・終盤と場所を変えながらも、複数回あらわれます。

二人が逃げるように転がり込んだ壕の蚊帳の中に、たくさんの蛍を放ち、それらが光るシーンは大変すばらしいです。

 

二つめは「サクマ式ドロップス」です。

 

空襲で焼けてしまった家の庭から掘り出した生活用品の中に入っていました。

節子が好きで、清太にたびたびねだっています。

 

清太にとっては、戦争中ではあったものの、母親も存命で楽しかった日々の思い出の品物といえます。

 

物語終盤、栄養失調により節子が死んだあと、清太はその灰をドロップの缶に入れます。節子が好きだったサクマ式ドロップス。清太は駅の構内で倒れた時も、大事に懐に忍ばせていました。

 

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清太と節子

親戚の家から逃げだした二人。他人との関わりを避け、夜中に畑を荒らしたり、空襲時に火事場泥棒をしたりして、無理やり生活を成り立たせようとします。着物などを盗んだ際には、母親や家を奪ったはずの空襲に対し「もっとやれ!」などと喜んでいる場面さえあります。

 

地域コミュニティから隔絶されることは、何者にも干渉されない生活を手に入れられることでもあるのですが、社会情勢の変化を知る術を失うことでもあります。それゆえ、清太は終戦も知らないのです。

 

清太は母親が死んだときも節子が死んだときも、大声で泣き喚いたりしません(少なくともそのような描写はありません)。それがリアリズムを生み、無常さを視聴者につきつけます。

 

ただ、日本が戦争に負け、父親も(おそらくは)戦死したことを知ったときは、清太は取り乱します。

 

母親は爆撃を受けて大怪我をしている様子を、節子は次第に衰弱している様子を事前に見ていたので、覚悟ができていたのかもしれません。

 

しかし、清太は日本が戦争に負けるとは夢にも思っていなかった。

 

母親や実家を失い、親戚の家から逃げ出しながらも、何とか節子と二人で生きようと決心したのは、戦争が終わった後、きっと父親が日本に帰ってきて、また一緒に暮らせると思っていたからなのかもしれません。

 

敗戦、そして父親の死を知ったとき、「本当に二人だけになってしまった」という実感が彼の心中に広がったのではないでしょうか。

 

節子の死の描写に関して。

 

それまでの無邪気で寂しがりな節子の姿をしっかりと描いているため、衰弱していく様子(顔の生気のなさ、ぐったりとした体、か弱い声、光を失った目)、意識が混濁していく様子(好きだったドロップの代わりにおはじきをなめる、兄に泥団子を振舞う)は見ていてこちらが辛くなるほど痛々しいです。

 

スイカを食べさせてもらった節子が「兄ちゃん、おおきに」と静かに呟くシーンがあります。感謝の言葉を最後に残して、節子は亡くなります。もちろん、今まで一緒にいてくれてありがとう、という意味でもあるのです。

 

楽しき我が家

エンディング近く。

戦争が終わり、裕福そうな家庭に賑やかな姉妹が帰ってくる場面。

 

『埴生の宿』のレコードがかかり、清太たちの住んでいた荒れ果てた壕へと映像が切り替わります。

 

幸福と不幸を対比させているわけですが、荒れた壕には生前の節子が楽しげに駆け回る様子が差し込まれます。

 

空腹で、孤独だったが、それでも二人で楽しく暮らすことができた二人だけの家。

 

『埴生の宿』は『楽しき我が家』というタイトルでも知られています。

 

傍目に見れば貧しく、みすぼらしい壕も、清太と節子にとっては『楽しき我が家』だったのです。

 

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