どちらから見るか。/クリント・イーストウッド「父親たちの星条旗」「硫黄島からの手紙」
クリント・イーストウッド監督が硫黄島プロジェクトと称して作成した2部作品。
「父親たちの星条旗」と「硫黄島からの手紙」について、主に父親たちの星条旗をメインにしながら、どのような物語かを解説していきたいと思います。
突然、英雄になってしまったとき、人はどのような末路を迎えるのか。
英雄と言う名のプロパガンダになってしまった人間が、どんな苦悩を抱えてしまったのか、フラッシュバックする想いを読み取ってみたいと想います。
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硫黄島からの手紙。
本作品を見るときに、「硫黄島からの手紙」と「父親たちの星条旗」のどちらからみればいいのか悩む人も多いかと思います。
そもそも、本作品は太平洋戦争の末期に行われた、硫黄島(いおうとう・いおうじま)の戦いと呼ばれる、第二次世界大戦の中でも最激戦地の一つを舞台としています。
硫黄島こそがメインの舞台ではありますが、「父親たちの星条旗」は、その後日談を中心とした作品となっているのです。
本来であれば「硫黄島からの手紙」をみて、「父親たちの星条旗」をみたほうがいいと思ってしまうところですが、硫黄島の戦いの概要を知るためにも、「父親たちの星条旗」からみることをオススメします。
この作品の面白いところは、色々なところで書かれていることではありますが、物事の2面性が見れるというところにあります。
アメリカ側からの様子がわかる「父親たちの星条旗」。
日本側の様子がわかる「硫黄島からの手紙」。
硫黄島の戦いをそもそも知っている人であれば、どちらからでもいいと思いますが、現代を生きる我々からすれば、アメリカ側の立場からみたほうがすんなり映画を見ることができると思われます。
2017年に公開されたメル・ギブソン監督「ハクソーリッジ」でもそうでしたが、日本人が恐ろしい存在として描かれています。
死を恐れず、突然現れては仲間を殺していく存在として、人間的な部分は控えめに描かれています。
「ハクソーリッジ」を見ると、日本兵がとてつもなく恐ろしいバケモノのような存在に描かれているのが印象的です。
「父親たちの星条旗」の日本兵もまた、あまり顔を描かれることがなく、同じような未知の存在として描かれています。
英雄はつくられる。
硫黄島の戦いの中で、重要拠点とされた摺鉢山(すりばちやま)に星条旗が立てられます。
そのときに一枚の写真が撮られ、星条旗を掲げたときの6人の男達の物語が「父親たちの星条旗」の発端となっています。
DVD等の表紙の画像がその写真です。
そして、6人のうち3人が生き残り、その3人が英雄として祭り上げられます。
その理由は、戦争をするためにはお金が必要であるためです。
どういうことかと言いますと、写真にうつった兵士を英雄としてまつりあげることで、戦争にために発行する国債を買うように国民に働きかけるためのプロパガンダとして利用するためでした。
英雄に祭り上げられてしまった男達3人は、国民たちからお金を集めるために、演説をしますが、硫黄島での戦いの傷跡がフラッシュバックしながら、彼らは、少しずつゆがんでいくのです。
「分かりやすい事実が必要だ。言葉などなくてもいい」
財務省のカーバー氏は言います。
「人々は、君らのためなら金をだす。写真をみて、希望を抱く」
また、時の大統領であるトルーマン大統領もまた「島を奪った勢いで、金を集めてくれ」というのです。
そんな作られた英雄として、まず壊れていくのはアイラ・ヘイズというアメリカ先住民族出身の男でした。
彼は、自分が英雄ではないという事実に耐えられず、酒を飲み、壊れていってしまうのです。
アイラ・ヘイズという人物は、現実においても同様に真面目であり、硫黄島のヒーローであるという重圧に耐え切れなかったのか、お酒におぼれていってしまうことになります。
実績のない英雄
もう一人の特徴的な英雄は、レイニー・ギャグノンです。
彼は、「前線には向いていない」と言われて、伝令係となっていた男です。
たまたま、写真撮影のときに手伝っていたことで写真の英雄となりますが、積極的に広報活動に関わります。
「私は、たんなる伝令です。本当の英雄は、死んでいった兵士です」
たくみに演説をこなし、恋人とは婚約発表を行う等話題をつくっていきます。
また、パーティー会場などでは、会社の社長たちから名刺をもらい、戦争後には、そのつてをつかってなりあがろうとするのです。
レイニーは、戦闘には参加していませんでしたので、本土アメリカに戻る際にも嫌味を言われます。
アメリカに帰国する飛行機にも定員があるのですが、レイニーが乗るために、一人の負傷兵が降りることになります。
半分以上腹いせでしょうが、彼はレイニーに質問します。
「君は負傷兵か?」
「ノー、サー」
(伝令なので、そもそも怪我などしません)
「君は、敵の小隊を素手で片付けたのか? 英雄に席を譲るんだ、武勇伝の一つもあるんだろう」
「ノー、サー」
(たまたま、手伝っただけですので、武勇伝などありません)
そう、彼は実績のないままに英雄になったのです。
仲間達からは後ろ指をさされ、世間からも英雄として称えられるものの、語れることは何もありません。
レイニーもまた、英雄と言う被害を受けている人物なのです。
英雄達の末路。
老人となり、無事最期を迎えようとする元衛生兵のドクが、息子に硫黄島の戦いとその周辺を語り、それを息子が語る形式となっています。
彼以外の二人の末路は、一般的に我々が想像するようなものではありません。
ここからは、ネタバレであり、歴史的な事実もありますので、気にする方は是非ご覧になってから戻ってきていただきたいと思います。
レイニーは、もらって名刺に電話をかけますが、誰も相手にしてもらえません。
しかも、英雄として中途半端に有名になってしまったために、うまくいきません。何度も転職したあげくに用務員として一生を終えます。
用務員が悪いというわけではありませんが、英雄にならずに、平凡に暮らしていたほうがレイニーという男は身の丈にあっていたに違いないのです。
一方で、アイラ・ヘイズは、アメリカ先住民として演説を行う機会もあります。
彼のおかげで、認められる機会がなかったアメリカ先住民にも光があたったわけですので、功績としては大きいのですが、彼自身は英雄という自分に耐えられなかったのです。
レイニーのように英雄というのを大いに利用しようとすればよかったのでしょうが、アイラは、写真に写っていたのは別の人物だと思っていたこともあって、英雄という嘘に耐えられなかったのです。
そのため彼は、あえて目立たないように実直な生活を行おうとします。ですが、世間がそれを許してはくれません。
農作業をして、一般人と同じように働いているにもかかわらず、そんなことを考えないで人々が寄ってきてしまいます。
「あんた、あの人だろ。英雄だ。一緒に写真をとろう」
そういって、お金を渡されます。
それを見ていた農作業仲間からは、
「ヒーローさん、カゴが重いから手伝ってくれよ」
と嫌味を言われるのです。
彼は英雄ではないのです。そして、英雄である彼に居場所は存在しないのです。
結局、お酒に溺れてしまい、悲惨な末路を迎えてしまいます。
「英雄とは人間が必要にかられて作るものだ」
ドクの息子が語ります。
英雄とは、たしかにあこがれるかもしれませんが、実際に自分がそんな立場になったとき、どんな風にして心がゆがまされてしまうのか、悲惨な運命が描かれた作品が「父親たちの星条旗」となっています。
ただ、英雄であるから悲惨だというだけでこの作品は終わってはいません。
エンディングでは、戦いを終えた兵士たちが、軍服を脱ぎ海で遊び始めます。
その姿は、兵士とか英雄とかそういうものではなく、たんなる人間として写しているのです。
戦争で戦うものも、英雄も、おそらくは、敵の人間ですらも、同じ人間なのです。
日本兵側もまた人間であり、色々な人間がいるということがわかるのが「硫黄島からの手紙」となっています。
こちらはこちらで、玉砕しようとするだけではない日本人や、国とかではなくただただ死のうをする人間など、色々な日本人の側面を見ることができます。
クリント・イーストウッドという名監督が自らメガホンをとり、アメリカ側、日本側のそれぞれでどのような立場があるのか、その中でも、色々な人間や考え方がみえてくる作品となっていますので、本作品が気になった方は、是非ともセットでみて頂きたいと思います。
以上、「どちらから見るか。/クリント・イーストウッド「父親たちの星条旗」「硫黄島からの手紙」でした!
当ブログで取り扱ったことのある戦争映画は以下となります。