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シネマトブログ

映画の評論・感想を紹介するサークル「ブヴァールとペキュシェ」によるブログです。不定期ですが必ず20:00に更新します

組織はつらいよ。シンゴジラの予習復習に。/岡本喜八「日本のいちばん長い日」  

 日本のいちばん長い日

シン・ゴジラが下敷きにした岡本喜八監督「日本のいちばん長い日」について、どういった話なのか、現代に生きる我々がどのようなところをポイントに見ていくと内容が入ってきやすいのかを含めて、シンゴジラの予習・復讐をかねて解説してみたいと思います。

一番長い日とはいつ?

物語の冒頭では、突然ポツダム宣言について言及されます。

ポツダム宣言とは、言わずとしれた日本軍への無条件降伏を求めた宣言です。

 

会議の上で、連合国からのポツダム宣言についてどのように日本が対応するかについて話し合われていますが、会議にいる人たちは、一様に、ぱっとしない意見しかいいません。

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詳しいことについては別途調べていただきたいと思いますが、ポツダム宣言は日本にとって到底すぐに納得できる内容ではありませんでした。

かといって、公に反対することもできない政府は中途半端な方策をとります。

何も発表しないのはまずいから、あたらずさわらずということになり、政府の公式見解は発表せず、新聞はできるだけ調子を落として報道するように」と。

 

結果として、日本はさらなる窮地へと向かっていきます。

このあたりは、シン・ゴジラで、事を荒立てないようにした結果初動対応が遅れた政府と同じであり、今も昔も日本という国は変わらないことがわかってしまいます。

そして、この物語における、一番長い日というのは、日本がポツダム宣言を受けることにしてからの、壮絶な歴史の変わり目の物語なのです。

 

天皇陛下はお写りにならない


さて、この物語を理解するうえで重要なことの一つとして、当時の日本における天皇陛下のありかたについて気をつけておく必要があります。

当時は、現人神(あらひとがみ)とされ、絶対的な存在だったのが当時の天皇です。

そのこともあって、映画においてもその扱いというのは非常に難しく、かといって、戦争映画をつくる上で、陛下の存在というのは切っても切り離せない問題でもあったのです。

恐れ多くも当時の人たちからすれば神と同等であったわけですから、映画にうつっている姿がたとえどんな人物であったとしても、非難されてしまったことでしょう。

そういった社会的な情勢もあり、「日本のいちばん長い日」では、天皇陛下は身体と、顔が少しだけ映りますが、そのほとんどは、ツイタテに隠れていたり、なんらかの形で隠されています。

それは、当時の見る側への配慮でもありますし、映画における神性を、顔をうつさないことで現しているという表現なのです。


もちろん、そんな陛下が声を録音した玉音盤は、大切に扱わなければならないものであることは、いうまでもありません。

 

これは組織の苦労話でもある。

 

さて、当時の日本の状況などわからなくても、わかりやすい表現があります。

それは、日本を会社だと考えた場合、この映画において、天皇陛下は社長であるという俗な考えをしていただければ、より一層この映画はわかりやすく、そして、組織における大変さがわかる物語にもなるのです。

 

ポツダム宣言を受けるにあたって、陛下はレコードに声を吹き込みます。

これが、玉音放送と呼ばれ、現在でもyoutubeで音声があげられていたりするものです。

当時はレコードに音声を吹き込むのですが、その際の人間のやり取りなどが現代でも同様の大変さだったりします。

 

NHKの職員が、録音機材を設置しているときに

「すぐに陛下にお聞かせすることは?」

と聞いてきます。
「録音再生機は用意しておりませんが、必要なら」

「必要かどうか不明ですが、陛下がそうおおせられる場合も」


必要がなかったとしても、万が一必要になった場合のために用意するのです。

これは会社勤めをしている人であれば言われたこともあるかと思います。
資料でもなんでも、必要かもしれなければ、事前に用意しておく。

これほど無駄なことはないと思ってしまうのですが、戦前からすでにそういう世の中だったのだとわかります。


また、組織の人間として、小さなメンツなんかも非常に大きな障害となったりします。

 

詔書案の審議

 玉音放送を流すためには、原稿が必要です。

陛下に読んでもらう原稿ですので、国のお偉いさんが集まって、文面について審議を重ねます。


1時間半くらいかかるから、6時には終わります、と言われ、それぞれのセクションで、自分の仕事の確認をします。
 
しかし、審議は一向に進みません。
一同、俯き、誰もがしゃべらない。

「私は 戦勢非にして、でいいな」

 海軍大臣が言います。

 

その言葉を聞いて、三船敏郎演じる阿南陸軍大臣

「個々の戦争では負けたが、最後の戦争は負けてはおらん。負けたとすれば、補給線のみで負けただけのことである」


さらに、日本の戦線がいかに悪くなったのかを、海軍大臣が、数字を駆使して、いかに悲惨な戦闘であったことを言い募ります。

ですが、
「多くのものがなぜ涙を飲んで死んでいったのだ。しかしこれは、誰にしても日本を愛し、日本の勝利を硬堅く信じたればこそのことである。しかるに、負けたというせんせいひにしてでは、これまで死んでいった300万人の人々にはなんと申し訳がたつ! 栄光ある敗北を与えてやらねばならぬ」

一体何の話かわけがわからなくなるところですが、力強く三船敏郎は言います。

 

「『戦勢非にして』はなく、絶対に『戦局好転せず』と訂正すべきである!」

言葉の問題かい!
と驚くところですが、一度みた段階では、一種の冗談のようにも聞こえて面白く感じてしまうところですが、2回見ると印象は変わります。

 

阿南

三船敏郎演じる陸軍大臣は、はじめ頑固な軍人かと思います。


ですが、映画を理解するにつれて、彼は組織のトップとして、そして、一人の日本人として、非常に人間らしい人間として描かれていることがわかります。

陸軍大臣は、文字通り、陸軍の一番えらい人間だと思っていただければ簡単です。

ですが、組織において、部下たちを抑えるということが必要になります。

日本が負けるということを認めたくない人間は、勝手に戦争をやめようとする人たちに対して、実力をもってやめさせようとしてしまうのです。

特攻をすれば、日本はまだ戦える、と。

 

それを阿南陸軍大臣は、組織の代表者として、兵士たちの気持ちを慮り「戦局好転せず」という言葉に訂正させたのです。

今の我々からすれば小さなことですが、当時の兵士たちからすれば、そんなわずかな言葉が非常に大きな意味をもっていただけに、阿南大臣もひくことができないわけです。

組織の代表としての彼は、納得できないポツダム宣言を受諾することはできないけれど、役割を終えたあとの彼は、一人の日本人として、年齢を重ねたものとして行動を行います。

その複雑なキャラクターを演じきる三船敏郎の演技が冴える映画でもあるのです。

 

組織のいいところと悪いところ

 

さて、組織ものとしてみてみると、この映画は、組織のよいところと悪いところをしっかり書いているところが素晴らしいです。


物語の前半は、主に悪いところが描かれます。

先ほど述べたとおり、詔書の文面一つ陛下に届けるだけでも、総理の承認から、各大臣の復唱と、面倒なことが目白押しです。

時間がないという中なのに、悠長に手続きをやっている姿をみていると、ハラハラしてくるところです。


文面が決まっても、清書しろとか、誤字があっただのと、しょうもないことに力と時間をつかわなければならないところが悲しいところです。


また、本格的に危険な組織としての問題も提示されています。

この物語の前半は、ポツダム宣言受諾に関する会議やまわりの動きを取り扱ったものですが、後半は、それを受け入れることができない兵士たちの反抗に物語が移っていきます。


とあることを行って、軍が決起する命令書がでてきます。
それに疑問を呈する人間がでてきますが。

「軍隊は命令で動くものだ。上司の命令は、ことのいかんを問わないはずである」

と言われて、従ってしまいます。

少なくとも軍隊において、命令に対してなぜその命令をするのか、なんてことを兵士は考えてはならないのです。

そのため、何をしても許されると思ってしまう人間の、組織としての悪い部分が示されています。


劇中では、戦争に旅立とうとする若者たちの映像がところどころ挿入され、低い声で軍歌が流れます。

若鷲(わかわし)の歌なのですが、その内容は、元気良く敵に殴りこみをかけてこい、といった内容です。特攻する人間の歌なのです。

これは、当時の戦争高揚映画「決戦の大空へ」の主題歌であり、当時の人たちに広まった音楽でもあります。


その曲と共に、戦争がいよいよ末期であったことがわかってしまうのです。

 

組織を守るのもまたルール


一方で、組織としてのいい面もあります。

軍部が玉音放送をとめようとして、NHKに軍からの言葉を放送させようとしますが、局員はそれをさせません。

その理由は

「現在は、警戒警報発令中であります。東部軍の許可ないかぎり、一切の放送は禁じられています」

銃をつきつけられても。局員は首を縦に振りません。


組織の動きが悪くなるのも、暴走するのも、それを阻止するのも、すべてルールによるものだというところが、いかんなく描かれているのも重要な点です。

 

日本の未来

「死ぬのは俺一人。死ぬよりは生き残るほうがずっと勇気がいるのだぞ。俺ぐらいの年配になると、腹をきるのはそれほど難しいことではない。難しいのは、むしろ、あとに残るお前たち若いもののほうだ」


シンゴジラでも、若いものたちが日本をかえていく、といった台詞がありますが、日本のいちばん長い日でも、未来は常に若い人間が決めるということが示されています。


三船敏郎は、最大級のスター俳優でしたが、この頃になりますと人気にも翳りがでてきます。そのこともあって、俳優である三船敏郎もまた世代交代をもあつかったこの映画に出演したというのは、非常に意義深いことであったと思われます。

 

日本のちいばん長い日は、まさに、阿南陸軍大臣が日本を守り、そして、組織を退き個人となり、若い者たちに道を譲る、という、世代交代の物語でもあるのです。


そして、戦争が終わったんですねといった人間に対して志村喬が言います。

「まだ終わってはいない。手続きが必要なのだ。いや、儀式が必要なのだ。日本帝国の葬式なのだからね」

 

この映画にかぎりませんが、物事はルールに基づいて動くことが大変です。

この映画においてはそのルールの複数の面が示され、最後には、日本帝国が終わるためにもまた、儀式が必要である、ということが示されるのです。


組織論としても、世代交代の物語としても、様々な見方で楽しむことができる「日本のいちばん長い日」ですが、シンゴジラを見たあとでも、見る前でも、決して損をすることはありませんので、機会があれば是非ご覧ください。


以上、組織は辛いよ。シンゴジラの予習復習に。/岡本喜八「日本のいちばん長い日」でした!

 

決定版 日本のいちばん長い日 (文春文庫)

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シン・ゴジラの解説については以下としなります。

 

cinematoblog.hatenablog.com

 

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