シネマトブログ

映画の評論・感想を紹介するサークル「ブヴァールとペキュシェ」によるブログです。不定期ですが必ず20:00に更新します

あゝひめゆりの塔、感想。映画そのものが慰霊碑

あゝひめゆりの塔


戦争映画は数多くありますが、その中でも、沖縄での悲劇を描いた作品として有名なものに「ひめゆりの塔」があります。


太平洋戦争の末期に行われた沖縄戦によって命をおとした、ひめゆり学徒隊の悲劇が描かれています。

厳しい現実というのは、誰しもみたくないものですが、何度も映画化されている中で、舛田利雄監督「あゝひめゆりの塔」について、感想と解説を述べてみたいと思います。

 

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戦争を忘れるな

物語の冒頭から、若き日の渡哲也が現れます。

世の中は空前のディスコブーム。

20前後の若者達が踊り狂っています。

渡哲也が、相思樹の歌をディスコでリクエストしたようなのですが、なぜこの歌を要望したのかをきかれて答えます。

「この人たちをみているうちに思い出したんですよ。同じ世代の若者達たち。沖縄師範の女学生達。この歌をうたい、そして死んでいったんすよ」

「つまり今日の時点から、戦争当時のことを考えようとなさるんですね。戦争で死んでいった当時の若者達と、ここで踊っている若者達」

「いやぁ。あれから20年。その20年の時間のもつ意味ですよ」


悲惨なものがあったにもかかわらず、それを覚えていない若者達に対する警告であり、不安を表したようにみえます。


あゝひめゆりの塔」は、ここから過去に話しが戻り、学徒動員がされる前の沖縄の、楽しい日常の光景が続きます。


現代を生きる人間への警告としては、本田猪四郎監督の「ゴジラ」こそが、その意識が強い作品といえるでしょう。


戦争のことを忘れた人間に対して、英霊のメタファーとして現れたゴジラが皇居の前で帰っていき、オキシジェンデストロイヤーによって海に消えていく様を描いた「ゴジラ」は、失われていった命の嘆きとしてみることができるのです。

 

ただ、ここで注意したい点は、「あゝひめゆりの塔」は戦争そのものの話しではなく、戦争の中で散っていった若者達そのものに対して焦点があたっていることがポイントです。

彼女達が歌う唄

嬉しいとき、悲しいとき、彼女らはそれを歌や踊りで表現します。


特に、相思樹の歌は繰り返しうたわれ、劇中でも何度も流れる曲となっています。

相思樹の歌は、詩人だった陸軍少尉太田博が作詞、引率の先生によって曲がつけられました。
映画の中では、太田少尉に聞かせるというエピソードが挿入されています。


卒業式のときには、卒業式の定番ソングである「仰げば尊し」を歌いますし、子供達が本州に疎開することになり、家族が別れ別れになる場面では、姿が見えないにも関わらず、「ふるさと(故郷)」を歌って、別れを惜しんでいます。


また、戦況が良くなったと思った彼女達が、軍歌である「轟沈」を歌い、戦争への勝利を思い、「嬉し涙に潜望鏡も曇る」とうたう様も、面白いです。


沖縄という土地柄もあって、島唄も唄われることもまた見所です。

水浴びのシーンで、彼女達が、キビナゴといった魚が取れて、それを喜ぶ様を表した島唄「谷茶前(たんちゃめ)」をうたって、喜びを表現する様は素晴らしいです。


戦争という非日常の中にありながら、常に喜びを見出していくという生き方はいまみたとしても色あせるものではありません。


ちなみに、近年の映画でいえば、「この世界の片隅に」は、主人公のスズさんが、戦争の中でも日常の楽しみや工夫をすることで強く生きる姿が描かれています。

どんな世界や、世の中であったとしても、その中でも喜びや楽しみを見つけ出す、というのは勇気付けられるところです。

 

 

cinematoblog.hatenablog.com

 

厳しすぎる世界

さて、戦争という厳しい世の中にあっては、女学生とはいえ大事な戦力です。


竹やりをもって、アメリカ兵と戦わなければならない、といわれて訓練をしてみたり、学徒動員ということで負傷者の手当てをしたりするのは、かなり大変な仕事だったはずです。

中でも、若い娘さんにも関わらず、動けない兵士に頼まれてトイレをその場でさせてあげる、というのは状況が状況であったとしても辛いものであったに違いありません。


切り取られた兵士の足を捨てにいき、その先では、そんな切り取られた手足が山になっている、という状況もあり、並みの精神では耐えられなかったことでしょう。

作中の中でも、自我が崩壊しておかしくなっていった生徒達が描かれています。

そして、その過酷すぎる世界の中、アメリカ兵につかまれば、死ぬよりも辛いことが待っていると、ことあるごとにいわれた彼女達は、自ら死を選んでいくようになっていくのです。


「お姉さま、もうだめね。死ぬのね」

  

先生たちの存在


そんな異常状態の中でも、引率の先生たちは、最後の最後まで彼女達を生かそうと必死でした。

校長先生は、敗戦が濃厚になったことをうけて、なんとか生徒達だけは助けようと必死に軍部にかけまわり、解散命令をもってまわります。


「君らをここまで引っ張ってきてしまってすまない。本当にすまない」

「なんのために今まで。先に死んだ奴はどうなるんだ」
という生徒達。

戦争という異常状態の中にありながら、生徒達は生きるか死ぬかしかないと思い込んでしまっています。

ですが、校長先生は彼らを説得します。

「自決するだけが勇気じゃないんだ。最後まで生きるんだ。生き抜こうとするんだ。いいな!」


戦争という特殊な状況にありながらも、教育者としてどうしていくのかを考えていた人たちもいたのだ、ということをしっかりと描いています。

 

ひめゆりの塔とは

 本作品は、実際にあった太平洋戦争の中でも、特に激戦地となった沖縄を舞台としています。


近年の作品では、「ハクソーリッジ」が、沖縄の前田高地における戦いを描いたものとなっています。

 

cinematoblog.hatenablog.com

 
また、クリント・イーストウッド監督による「硫黄島からの手紙」「父親たちの星条旗」も、ほぼ同時期を舞台にした作品です。

 

cinematoblog.hatenablog.com

 

本作品のタイトルは「ひめゆりの塔」ですが、物語をみていても塔はでてきません。

聳え立つ塔で何かがあったのか、という話しではありません。


ひめゆりの塔」は、沖縄県に今もある慰霊碑のことを指します。


本作品は、戦争によって命をおとしていった若者達の物語です。


特に前半は、何気ない日常が描かれており、色恋にすら発展しないままの淡い青春のやり取りが描かれたりしており、そのあとの対比もあいまって強烈な印象を残します。


余談ですが、このような演出で思い出されるのは、フランシス・フォード・コッポラ監督「ゴッドファーザー」は有名なところですし、ロバート・デ・ニーロ主演「ディアハンター」でも、繰り返しコサックダンスをみるシーンなど、平和で日常な世界を描くことで、戦争や血みどろの世界をより劇的に描く点に一役買っています。

 

映画そのものが慰霊碑

話しを戻します。


慰霊碑というのは、霊を慰めるという意味もありますが、二度と同じことがおきないように後世に知らせるものでもあるのです。


物語冒頭で、渡哲也が、半ば視聴する我々に向かっていった台詞の数々がいきてきます。


「楽しいかい?」
「まあね」「さあね」「ほかにやることないからね」「最高よ」

たったの20年で、若者達は忘れてしまっているのです。

だからこそ、本作品は、ひめゆりの塔として、今の我々に警告を発しているのです。

大変辛い映画ではありますが、同時に、その中で生きる人々の強さ、同時にもろさを感じさせる作品でもあります。

人間性を喪失していく先生や生徒、それでも、信念を貫く人たちがいたということが、慰霊碑の中に込められていると教えてくれるのが、「あゝひめゆりの塔」となっておりますので、戦争そのものとは別に、このように生きた人たちがいることを胸に刻んでみることで、見えてくるものもあるはずです。


以上、「吉永小百合主演、ああひめゆりの塔、感想。映画そのものが慰霊碑」でした!

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