笑えるのに、笑えない。映画「帰ってきたヒトラー」感想&解説
アドルフ・ヒトラーという人物は、物語の中でいまだに悪役として強い存在感をもって使われる人物です。
政治手腕や、演説の巧みさ。
後世への影響力含めてタブー視される人物でもありますが、このドイツ映画でヒトラーを現代に復活させ、しかも、それをドキュメンタリー風にとっていくという離れ業をつかった手法を含めて、本作品は、非常に面白い映画となっています。
ブラックユーモアというだけにとどまらない内容となっていますので、解説してみたいと思います。
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タイムスリップヒトラー
本作品の内容は、地下塹壕で自殺を遂げたはずのヒトラーが、なぜか現代にタイムスリップしてしまい、ザヴァツキという男と行動をともにする中で、ドイツ国に影響を及ぼすようになっていく、という話になっています。
ドイツ人にとって、良くも悪くもタブー視されているアドルフ・ヒトラーという人物が、現代によみがえって、人々の前に姿を現す。
このことをきっかけとして、人々への意識の波及するさまを映していくということも含めて非常に面白いつくりとなっています。
単にタイムスリップして、現実とのギャップがおもしろい、という作品であれば、ここまで人気の作品にはならなかったでしょう。
作中におけるヒトラーは、はじめこそパソコンもまともにつかえない人物でしたが、またたくまに知識を吸収し、それを活用していく様は、予感めいたものを抱かてくれます。
セミドキュメンタリー
仕事を首になってしまったザヴァツキ氏が、アドルフ・ヒトラーと旅をしてドイツ中をまわるというところが前半部となっています。
「帰ってきたヒトラー」のおもしろいところは、役者がその役のまま町の人たちと会話しているところです。
賃金が安いことに悩んでいたり、移民に対しての不満や、ドイツ人としてのナショナリズムに対する考え方などを人々から直接聞いています。
その中でヒトラーは、人々がかつてのドイツよりも精神的には荒廃していることを知り、「私がなんとかする」といって、人々の心を動かしいくのです。
ネオナチの集会にいってみたり、実際の政党でむちゃくちゃなことをしてきたりと、かなりきわどいこともフィルムに収めています。
撮影許可を得られなかった人たちの目線が黒くなっていたり、モザイクがかかっていたりするあたりが、リアリティを感じさせてくれます。
ドイツという国がどのようになっているかという批判や、風刺としても非常に面白い作品となっています。
そして、これが、たんなる風刺にとどまらないところは作品をみているうちに明らかになっていきます。
後継者たち

- 作者: アドルフ・ヒトラー,平野一郎,将積茂
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 1973/10/01
- メディア: 文庫
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政党の党首ともあろう人物が、ドイツ国内では手に入りずらいという理由で読んでいなかったりします。
それで、本当に後継を名乗るのか、と。
自分で物事を考えていないような人たち。
ヒトラーでなくても、ドイツという国が、現代という場所が、どのようなことになっているのかがわかるというものです。
選挙にすら人々は感心がなかったりするのです。
そんな中、動画配信サービスなどをつかって、政治的な利用ができるできないというのを常に考えて活用していく、ヒトラーに人気がでてきてしまうのは、映画内ではなくともわかるというものです。
コメディにとどまらない
さて、本作品の物語的な部分もみてみたいと思いますが、本作品は、ファンサービス向けの映像も用意してくれています。
総統はお怒りシリーズなどで有名な本作品ですが、「帰ってきたヒトラー」では、それのパロディをやっていたりして、知らなくても面白いですが、知っているとにやりとしてしまう場面もあります。
また、本作品は劇中劇をとりあつかった作品にもなっています。
現代にきたヒトラーが、本を著し、人気を得て、それを映画するという、映画の中で映画をつくっていくという構造になっています。
そのため、今見ている場面が、実際の時間軸なのか、劇中劇で行われているものなのかがわからないで進んでいく、という面白さがあります。
この手の作品を極限まで突き詰めた作品といえば、一人の男の人生を劇にし続けたフィリップ・シーモア・ホフマン主演「脳内ニューヨーク」が面白いです。
劇の中で劇をやって、その中でも劇をやっている、という頭の中がおかしくなりそうな映画ですが、「帰ってきたヒトラー」には、そういった要素もあるところが実験的です。
政治的なものの再興
ヒトラーという人物は当然ですが、バカではありません。
ユダヤ人を虐殺し、多大なる影響をセカイに与えてしまった人物ですが、その人物が、現代においても一定の人間の気持ちをつかんでしまうのは、やむえないことでしょう。
現代社会が、右傾化しているという事実もあり、2016年に日本公開された本作品ですが、年数がたつにつれてその傾向はより強くなってきているでしょう。
ザヴァツキが好きになった女の子のおばあちゃんが、ヒトラーをみて怒ります。
「でていけ!」
その反応をみて、ヒトラーは申し訳なさそうに
「英国の爆撃はもうさせない」
といいますが、もちろん、返答としては間違っています。
そのおばあさんは、家族をアウシュビッツ等の収容所で家族を殺された人物だったのです。
どんなに、ヒトラーという人物が国のことを思っていても、彼が起こした事実は変わらないのです。
ザヴァツキはそれに気づき、やがて、彼が本物のヒトラーなのだと気づいてしまうことで、なんとかしなければと行動します。
蘇るかもしれないヒトラー
ドキュメンタリー要素も入れて現代のドイツを映して、現実と映画が地続きであることをきっちりと示しています。
アドルフ・ヒトラーもはじめから独裁者だったわけではありません。
劇中でも、おばあさんが言うように
「みんな、はじめは笑っていたわ」
民主主義において、独裁者というのは、民衆が望んだ結果生まれるものなのです。
作中にでてくるゴールデンバームという男もまた、民主主義によって望まれ、やがて、独裁者へと姿をかえっていった。
喝采をもって迎えられたのです。
また、ドイツ以外でもその危険性を思い出す人もいるのではないでしょうか。
移民の排斥、アメリカ・ファーストを掲げるトランプ大統領。
「帰ってきたヒトラー」では、ヒトラーというSF的な、あるいはファンタジーな存在として描かれていますが、カリスマ性のあるヒトラーのような人物が現れたなら、この映画のようにならないと胸を張っていえるでしょうか。
ザヴァツキは、再び彼が虐殺などを行わないように、間違ったことを行わないように、彼を殺そうとします。
ですが、もはやそういうことではないのです。
気づいたときには、彼は精神病患者として病院に入れられて、まともじゃない人たちの声が町中にあふれる。
その可能性があるぞ、といっているのが「帰ってきたヒトラー」なのです。
「帰ってきたヒトラー」はコメディ作品ではあるものの、その根底に流れているのは、笑っているだけではいられない恐ろしい事実となっています。
政治的なメッセージを抜きにしても、本作品は、実験的でありますし、複雑な構造を面白く扱っている点も含めてみるべき点の多い作品となっています。
以上、笑えるのに、笑えない。映画「帰ってきたヒトラー」感想&解説でした!