子供は天使のままではいられない。リメイク前に。映画「ペット・セメタリー」
映画「ペット・セメタリー」は、巨匠スティーブン・キングが発表したホラー小説が原作です。
ペット・セマタリー(劇中ではスペルミスとして表記されています)という看板の掲げられたペット霊園の奥でペットの遺体を埋めると、それが戻ってくる、という話になっています。
死んだものを生き返らせるということだけでホラー感たっぷりですが、本作品には、それだけにとどまらない内容がみえかくれしますので、それを含めて解説&感想を述べてみたいと思います。
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事故が起こりそうな家
物語の前半は、何かが起きそうな雰囲気をぷんぷんとさせたいい演出で始まります。
主人公一家は、豪華な中古の家を購入し住むことになるのですが、この家には問題があります。
正確には、家そのものではなく、目の前にある道にあるのです。
家の前の道路ではスティーブン・スピルバーグのデビュー作「激突」をイメージしているとしか思えない巨大なタンクローリー車がひっきりなしに走っています。
主人公のルイスが新居に到着そうそう、目を離したすきに長男のゲイジが道路に歩いていってしまいます。
しかも、娘が怪我をしているちょっとした隙にです。
危なくタンクローリーが突っ込んでくるところで、お隣に住んでいる老人ジャドに助けられます。
この道路と、交通の激しさだけで、嫌な気持ちが生まれるはずです。
3歳ぐらいの息子のゲイジ。
目を離すとどうなるかわからない、本当に怖い年頃です。
悪霊も何もでてきていないにもかかわらず、この状況だけで恐怖を生み出す、という演出には舌を巻くところです。
動物たちの眠る墓
「ペット・セメタリー」というタイトル通り、本作品には動物たちが眠る手作りの墓がでてきます。
昼夜問わずに走っている車のせいで、動物たちがひき殺されてしまっており、その動物が数多く安置されているという曰くのある場所です。
主人公もまた、チャーチという名前のロシアン・ブルーの猫を飼っているのですが、この猫がタンクローリーにひかれるんじゃないかという不安はすぐにでてきてしまうところです。
ちなみに、この猫が非常にかわいいので、猫好きな方は必見です。
物語の前半は、そういった日常を描きつつ、医者をやっている主人公のもとにきた患者の霊によって、主人公が悩まされる状況が描かれます。
物語の転機となるきっかけは、娘が飼っている猫・チャーチが死んでしまっているのを発見するところからはじまります。
ジャド老人は、主人公に言います。。
「生き返らせることができるとしたら」
父親になりきれないルイス
「ペット・セメタリー」の物語そのものは、だいたい察しがつくのではないかと思います。
以下はネタバレを含めて解説していきますので、気になる方は念のためご了解の上ごらんいただければと思います。
さて。
改めて、物語の概要を説明しますが、娘がかわいがっていた猫チャーチが死んだことをきっかけに、ジャド老人が、主人公にミクマク族の秘術を教えてしまいます。
死んだはずのチャーチが腐臭をただよわせながら戻ってくるものの、彼らはかろうじて日常を続けます。
ですが、目を離した隙に息子のゲイジがタンクローリーにひかれてしまい死亡。
悲しみにくれた主人公は、ペット・セメタリーへと遺体を運び、復活の儀式を行ってしまいます。
そこでやってきたのは、殺人マシーンと化したゲイジであり、多くの犠牲を払いながらゲイジを殺すというショッキングな内容となっています。
さて、この物語は、単なるホラーとしてみるともったいない映画となっています。
主人公のルイスは、ゲイジを殺します。
そして、死者を復活してはいけないと身に染みてわかったはずなのに、彼は、ゲイジに殺されてしまった妻を再び復活させてしまいます。
よくあるハリウッド映画的に考えれば、悪霊となった我が子を、みんなで協力することで倒し、最後には無事家族の葬儀をする、とかそういう方向にいくはずです。
では、なぜ、こんなバットエンディングになるのでしょうか。
それは、彼が、父親になりきれていないからにほかなりません。
子供に対しての対応
「パパ。もしチャーチが死んだら、あのお墓に入るの? いつかは死んじゃうんでしょ」
娘のエリーは言います。
そして、ルイスはこう答えるのです。
「チャーチは元気だ。大丈夫。高校へいくまで生きるさ。ずっとだ」
娘に対して、死というものをはっきり教えません。
チャーチが死んでしまった後も娘が霊感的なものを働かせて、
「あの子の夢をみたの。車にひかれてパパ達がペットセメタリーに埋めてたわ。本当に元気?」
といっているにも関わらず、
「もちろんさ」
といってごまかします。
もちろん、この時点でチャーチはミクマク族の秘術で復活しています。
ですが、本来であれば猫の死を隠さず、素直に言うべきなのです。
生きている以上、いつか死ぬときがくる。
ですが、ルイスははっきりといわないまま過ごしてしまいます。
続いては、お手伝いにきていた人が自殺し、葬儀の後に娘は問いかけます。
「ミッシーさんは天国へ?」
「人々はいろいろ信じている。天国や地獄にいくという人もいる。ろうそくが消えたみたいに真っ暗になるという人もいる」
このセリフは、彼は一般論を語っているにすぎません。
「パパもそう?」
と聞かれます。
ここでは、はっきりというべきなのです。
ですが、彼はあいまいな顔で
「いいや。命は続く」
と言ってしまうのです。
そのことで、妻のトラウマも呼び起こしてしまうところにつながっていくのもうまいもっていきかたになっています。
姉の死についてトラウマをもっている妻からすれば、死後の世界があるということは、死んでいった姉が存在している、ということに他ならないからです。
ルイスのあいまいな対応のせいで、娘は何度も死について考え学ぶ機会があったにも関わらず、
「神様には人を生き返らせる力があるのよね。その気になれば。信じていい?」
と言ってきてしまいます。
それに対して、ルイスは
「いいだろう」
と答えてしまうのです。
彼は、その気になれば死者を生き返らせる術を知ってしまっているからです。
その気になれば、死んだ息子も復活させることができる、と。
何がそんなにずるいのか
ジャド老人が、主人公に警告します。
復活した人間は、以前の人物とはまったく別物だ、と。
ですが、結局、ルイスは墓から息子を掘り出して、埋葬地に埋めてしまいます。
戻ってきたゲイジは当然の如くジャドを殺し、母親を殺し、主人公であるルイスもまた殺そうとします。
アクションシーンについては映画を見ていただくとして、最後にゲイジは「ずるい。すごくずるい」といって、再び息を引き取ります。
注射一発で即死するゾンビというのも謎なところではありますが、何より注目するべきは「ずるい」という言葉の意味でしょう。
言葉をそのままとらえるのであれば、注射をつかった方法で殺すという方法がずるいのか。
はたまた、勝手に生き返らせておいて、自分勝手にまた殺すことについてずるい、といったようにも聞こえます。
ですが、「ペットセメタリー」という映画が、親になれない親を描いたものだとすると、すこし違って聞こえてきます。
子供は天使じゃない。
ルイスは、子供たちを天使のように育てているといってもいいと思います。
自分からは、死といったものや、世間の汚いものに触れさせないようにしており、子供を子供のままでいさせようとしています。
娘のエリーが天国や神様による復活が可能だと思ってしまっていることもルイスの対応のせいだということは前述のとおりです。
そして、復活させたゲイジに対して、ルイスが望んでいたのは、親が勝手に信じたもっともかわいい純真な子供なのです。
凶器をもって殺そうとしてくるゲイジに対して、フラッシュバックの映像からもわかるように、天使のような都合のいい姿だけをみて、豹変してしまったとみるや殺してしまう。
これを、ずるいといわずなんというのでしょうか。
ルイスは、ずるいです。
そんな身勝手な親を批判している映画になっているのです。
だからこそ、本作品は、バッドエンドになるのです。
なぜ妻を埋葬地へ
ルイスは、ゲイジを倒し、家に火を放ちます。
本来であれば、苦々しい思いは残るものの無事助かった、というところで終わるはずですし、自分の犯した罪を悔いて生きることになるはずです。
ですが、
「ゲイジのときは待ちすぎた。だがレイチェルはうまくいく。死んだばかりだ」
といって、死んだ妻を復活させるために埋葬しにいくのです。
彼は懲りていないのです。
一番子供だったのは、ルイス自身なのです。
医者という仕事をしておきながら、死というものに向き合うことができず、子供たちとも向かうことができなかった。
その結果、自分の都合のいいことばかりに目をむける存在になっていたのです。
そして、戦いの中で何一つ学ばなかったためです。
「男の心は岩のように固い」
結局、悪霊となった我が子に「ずるい」といわれても、何も気づくことないからこそ、彼は、まったく懲りることなく妻を生き返らせようとするのです。
そのため、最悪なエンディングを迎えてしまうのです。
なるべくして不幸なエンディングに迎えるという点で、脚本がしっかりしているところも「ペット・セメタリー」の魅力といえるでしょう。
補足
妻もまた不完全です。
姉のゼルダの死にとりつかれています。
「ペット・セメタリー」の演出的な面白さとして、時々登場人物の視点になる、というところです。
復活したゲイジの力なのでしょうが、ルイスが家の中に入ると、緑色のぐちょぐちょしたものが壁中にあるモンスターハウスと化した家の中を歩いていたり、妻が殺される直前に、姉のゼルダがでてきたりします。
実は姉のゼルダもまた悪霊だったのだ、と考えることもできると思いますが、おそらく、ここででてくる悪霊のようなものは、彼らがみえるもっとも恐ろしいものではないでしょうか。
妻からすれば、姉のゼルダの死こそが最大のトラウマであり、肖像画にある服をきたゲイジというのは、そのトラウマと融合した存在として、見事に恐怖を体現しています。
恐怖に付け込まれることで人は、より恐怖を拡大させてしまうのです。
これは平凡な家庭の話
ルイス一家は特殊な一家なのかというと、そうでもないと思います。
職業が医者ということがあるにしても、一男一女をもうけ、一匹の猫を飼って、一軒家を購入し、順風満帆な一家です。
ホラー小説の大家であるスティーブン・キングが脚本も手掛けたという本作なだけだって、根底に流れるじわじわとした恐怖。
歯車が狂いだしていく伏線や、そのきっかけになっているのは、主人公たちの何気ない子供に対する一方的な願いだったりするのです。
ゲイジぐらいの年齢の子供は一瞬でも目を離すと何をするかわかりません。
子供は目を離すなといった教訓と受け取ることもできますが、何より、彼らの結末は防ごうと思えば防げたはずです。
死について教えていれば、エリーが弟の復活を望むことはなかったでしょうし、復活の手段を知っていたにしても、ルイスは、息子の死を受け入れ、そして、娘に対しても説明できていたのであれば、悲劇は広がらなかったはずです。
この映画では、幽霊っぽい人物がでてきたりしますし、ゲイジは悪霊にのっとられたようにふるまいますが、本当の悪霊はでてきません。
「悪霊があんたを引き留めてるんだ」
と幽霊となった人物が言いますが、彼らを陥れようとしている悪霊については映像にもならず、声もでてきません。
彼ら平凡な一家を襲うような悲劇は誰にでもやってくる、ということを暗に描いているからこそ、この映画は恐ろしいのです。
俗に、ホラー映画というのは、その延長線上に真実があるからこそ恐ろしいといいます。
現実世界では、死者の復活こそしませんが、「ペットセメタリー」で描かれる不幸は、誰にでも起こるものです。
そして、その不幸によって願ってしまう愚かしいことも、だれしも思うところでしょう。
そこから本作品は、愛しい人が生き返るとしたら、という黄泉がえり的なものではなく、子供の教育や、誰にでも起こる不幸をとりあげた、我々の日常と地続きになった本質を突いたホラー映画となっています。
リメイク版がつくられることもあるので、ぜひ、見ていない人は再度ごらんいただきたいと思います。
以上、子供は天使のままではいられない。リメイク前に。映画「ペット・セメタリー」でした!!