主体性がない人は損をする。岩井俊二「リップヴァンウィンクルの花嫁」
岩井俊二監督といえば、蒼井優の出世作となった「花とアリス」や「リリィ・シュシュのすべて」などで有名な監督です。
ミュージックビデオの仕事をしつつ、奥菜恵の存在感が示された「ifもしも~打ち上げ花火下から見るか横から見るか」で話題となり、一躍人気監督へと躍り出ました。
そんな、岩井俊二監督が、黒木華(はる)と出会ったことで作られた作品こそが「リップヴァンウィンクルの花嫁」となっています。
岩井俊二監督の映像美や、雰囲気がふんだんに映し出された作品となっておりますが、一種異様な雰囲気も生み出される作品であることから、解説してみたいと思います。
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主体性のない主人公
黒木華(はる)演じる主人公の七海は、主体性のない人物です。
「お見合いサイトで彼氏を見つけた。ネットで買い物するみたいに。あっさりと、ワンクリックで」
彼女は、声が小さく、力なく笑います。
ちょっと強く言われたらその通りにして、誰かに嫌われないようにして生きています。
七海自体は、たいへん可愛らしい控えめな人物に見えます。小動物のような人といってもいいかもしれません。
ですが、
「先生声が小さくて聞こえないんで、マイク使ってください」
と、生徒にからかわれても、彼女は抵抗できません。
彼女は、お見合いサイトで出会った男と結婚をとりすすめてしまいます。
結婚を決めたときの話しはでてきませんが、おそらく、彼氏にいわれるがままに段取りが進んでいったのでしょう。
結納の場所での彼氏は、まったく魅力的ではなく、一瞬でマザコンであることがわかってしまうような人物です。
ネットで買い物をするようにワンクリックで手に入ったから、という理由もあるかもしれませんが、彼女は、旦那となる人物と絆をつくることもできず、また、誰とも関係性を築かないままに人生を歩んできてしまっているのです。
結婚式に呼ぶ人を決めているときに、旦那が言います。
「二人? ほかにいないの? 親族対面とかさ。それにしてももうちょっといない? 恥ずかしいよ。なんとかしてよ」
当然、相手の事情や、彼女の気持ちなんてわかっていません。
他人を気にする人生
「リップヴァンウィンクルの花嫁」の前半の見所は、結婚式です。
きちんとした関係を築いたカップルならほほえましいところですが、彼女達には何もありません。
写真の一枚もない彼らは、役者によって人生を語らされます。
役者の子供達、少年少女達が、新郎新婦の子供時代を演じ、両親への感謝を述べます。
そして、最後に実際の本物の新郎新婦にバトンタッチする。
かなり強烈な演出です。
友人などまともにいない主人公の七海は、ネットで知り合ったランバラルという人物に薦められて、結婚式の代理出席を頼んでしまいます。
インスタ映えがもてはやされる現代において、結婚式という場所は、まさに重要なイベントの一つとなっているでしょう。
実際に、現代の日本においても、こういうサービスが存在しています。人数が少ないとインスタ映えしませんので、成り立つのも納得です。
世の中どうなっているんだ、と嘆く人もいるでしょうが、中国や台湾、果てはヨーロッパに至るまで、葬式のときに出席して故人のために泣くという、「泣き女(屋)」という職業もあるそうですから、一概に否定できる考えというわけではありません。
ただし、言葉の端々で、世間体を気にしていることを匂わせる旦那に対して、七海が、嫌われないために、そうしたほうがいいんだろうな、という空気を読むことで、綾乃剛演じるアムロに代理出席を頼んでしまうというのは、仕方がないことのように思えます。
そして、ここから、彼女の転落人生が始まって行きます。
悪魔との契約
綾乃剛演じるアムロという男は、何でも屋です。
役者をやったりしているということ以外は、来歴などはわからない人物ですが、このキャラクターは、一種の悪魔だと思っていたほうがすっきりと内容を受け入れられることと思います。
「僕がその気になれば、1時間で落ちますよ」
「あはは、すごい自信ですね」
綾乃剛演じるアムロは言います。
「皆川(七海)さんが自ら落ちるんです。その気があるから落ちるんです」
後からわかってきますが、アムロという人物は、色々な人に仕事の斡旋などを行っている人物でもありました。
そして、その彼がとりまとめている人物達は、みんな主体性がありません。
そっと近寄ってきて、知らないうちに人生をめちゃくちゃにされるのです。
でも、その人物達は、アムロという人物に感謝するでしょう。
どん底。
ここからは、軽いネタバレとなりますので、気にする方は映画をみたあとに戻ってきていただければと思います。
さて。
七海という人物は、あっさりと離婚します。
理由は省略しますが、浮気しているようにみえる証拠を旦那の母親にみせつけられて、「実家に帰りなさい!」といわれるのです。
「話しをさせてください」
と言う彼女ですが、結局タクシーに乗せられてしまいます。
無実であるわけですから、なんとしても真実を主張すべきです。
また、旦那としっかり関係が築けていれば、旦那も擁護してくれるはずです。
そもそも、浮気の証拠映像を誰が取ったのか。どういう経路で入手したのか、という問題もあるはずです。
本来まっさきにくるはずの疑問をすっとばして、浮気をしていたのか!! と怒り付けて、理由も聞かずに(コミュニケーションをとらずに)一方的に話しをつけてしまう、という時点で、旦那のほうも間違っています。
でも、彼らは、その程度の関係でしかないのです。
綾乃剛演じるアムロの台詞を借りるのであれば、自ら落ちているのです。
家を追い出され、わけがわからなくなってしまった彼女は、アムロに電話をかけます。
人生に迷う
「ここ、どこですか。自分が今、どこにいるかわからないんですけど」
場所というよりは、まがりなりにも学校の先生として頑張っている実績があったり、ありきたりな幸せを手に入れていたはずの彼女が、職もなく、頼るべき場所も、頼れる誰かもいない中で、どうすればいいのか、という心からの叫びとなっています。
「どうしたらいいですか」
「ケータイのアプリで地図開いて、それでわかると思いますよ」
「わたし、どこにいけばいいですか。帰るところがなくて」
これは、主人公である七海に限った話しではありません。
誰だってこういう側面はあって、ふと気づくのです。自分が今どこに向かっているのか、どこにいるのか。わからなくなる。
バッハ「G線上のアリア」をBGMに、彼女が人生でさまよう姿が美しく描かれています。
没個性の末路
家をなくした主人公は、蒲田にある黒湯温泉ホテル末広に住み込みで働きます。
ちなみに、ここの泊まったことがありますが、劇中通り親切なホテルであり、玄関口には、天然温泉である黒湯に浸かったリラックマを見ることができる場所です。
比較的お安く泊まれるホテルですので、行き場をなくした七海が行き着いたとしても不思議はないかもしれません。
ちなみに、掃除にきたおばさんに「仕事を探してるんです」と素直にいって働くのですが、実は、ここでの生活が、主人公にとって数少ない自分の意思で働こうとした場所といえたりします。
ですが、綾乃剛演じるアムロによって引き剥がされ、半ば強引に彼女は豪邸の住み込みバイトとして、メイド服を着ることになるのです。
ちなみに、豪邸に行く前に彼女は、かつて自分が頼んだのと同じように結婚式の代理出席をすることとなり、そこで擬似家族を経験します。
設定だけの家族。
両親がいて、弟や、姉がいる。
園子温監督の依頼に応じてそれぞれの家族を演じる「紀子の食卓」などを思い起こさせるところです。
たとえ設定であったとしても、家族として成り立ってしまうその人間の薄っぺらこそが、恐ろしいところであり、そんな薄い絆でありながら、繋がれてしまう人間の優しさがわかるシーンでもあります。
ですが、豪邸の中での生活で、彼女は変わっていくのです。
豪邸での生活
擬似家族を演じたときに出会った女性、COCCO演じる真白は、もう一人の主人公といえる人物です。
「あたし、女優やってんの」
飲んだり遊んだりと、自由奔放な彼女に、七海は惹かれて行きます。
本作品では、SNSの存在が時々物語を動かします。
主人公の七海は、クラムボンという名前でSNSをやっており、真白はリップヴァンウィンクルという名前をつかっています。
ちなみに、クラムボンとは宮沢賢治の童話「やまなし」の中にでてくる言葉です。それが何を指すのかはわかっていません。
その後、七海はカンパネルラという名前に変えています。宮沢賢治が好きな文芸少女であるという設定からでた名前でしょう。
リップ・ヴァン・ウィンクルについては、西洋版浦島太郎といわれているアメリカの小説家ワシントン・アーヴィングによる短編小説のタイトルであり、主人公の名前です。
時代遅れの人、といった意味があるそうですが、岩井俊二監督が衣服のブランドとして見かけたことからその名前にした、という話しもありますので、それほど深い意味はないように思います。
ただ、真白のハンドルネームがリップヴァンウィンクルですので、本作品のタイトルは、ウェディングドレスを着てじゃれあう二人からきたものなのだと思われます。
豪邸の中で、真白と七海は友人になります。
「ねぇ、私と一緒に死んでくれる?」
ドレス姿のままの、彼女は、七海に言うのです。
実は似たもの同士
真白は主人公と逆の人物に思えるでしょうか。
実は、主人公の周りにいる人物達は似たもの同士といえます。
「コンビニの店員が私のために商品をつめてくれるの。こんな私のために」
真白という人物も、愛情や自己承認に問題をかかえた人です。
自分で自分のことを認めることができず、他者に対する異常なまでの劣等感を抱く。
七海もまたそういう人物だからこそ、周りの目を気にして、自己主張をしないで生きているのです。
七海がインターネットでうけもっている生徒もまた、そういう人物です。
だからこそ、その生徒は七海にだけは心を開くのです。
そして、そういった人物を綾乃剛演じるアムロは次々と自分の商売の中で搾取していくのです。
さらなるネタバレですが、アムロという人物こそが、七海は酷い目にあわせた張本人です。
SNSの書き込みで以前から注目していたのでしょうが、気の弱い人物を見つけ出し、結婚したと見るや、相手の母親のところへいって別れさせ屋を行ってみたり、行き場をなくした彼女を真白と引き合わせて心中に付き合わせようとしたりして、いわゆるマッチポンプ式(自作自演)でお金を引き出しているのです。
しかし、「リップヴァンウィンクルの花嫁」は、真白の葬儀後、母親のところへ綾乃剛演じるアムロと、黒木華(はる)演じる七海が訪れるところにこそ狂気があるのです。
真白の母親はなぜ脱いだ。
真白の遺骨を届けるために、その母親のもとに訪れます。
「お母さん、娘さんどこにおきましょう」
「なんだい、いらないって言っただろ」
「そんなこと言わずに」
このやり取りを聞くと、母親は娘を心底嫌がっているように思えます。
音信不通だった娘が突然骨になって戻ってきたわけですし、邪険に扱うのは当然のように思えます。
母親は焼酎を原液で、ぐびぐびと飲み始めます。
ぎょっとする綾乃剛ですが、娘のお墓をつくるかどうするかを尋ねます。
「捨てた娘だし…。よろしくお願いします」
一瞬意味がわからないところです。
捨てた娘といいながら、お墓をつくってくれと頼むのです。
遺影の前に行くと、母親は
「こんな娘に生んだ覚えもないよ。ゴマみたいな目してたのに。誰だかもうわからないよ。酔っ払ったらそのうち寝ちまうから、帰っておくれよ」
酒飲みの、非常にダメそうな母親に思えるところです。
七海もアムロもきまづそうにしています。
「ポルノ女優なんて、まともな人間のすることじゃないさ」
ポルノ女優にかこつけて娘について語り始めます。
そして、母親はおもむろに服を脱ぎ始めます。
「お、おかあさん、どうさないました?」
ぎょっとする二人。
「おかあさん、ここは、トイレじゃないですよ・・・」
母親は全裸になって座ります。
そして、言うのです。
「こんなの、人前で裸なんて。やっぱり、恥ずかしいだけだ」
娘のことがわからず、ずっと苦しんでいた母親。
しかし、捨てた娘だしといいながらもお墓をつくることを依頼する。
ポルノ女優だった娘の気持ちをわかるために、自ら服を脱ぐ。
そして、はじめて涙を見せるのです。
娘をわかってあげたかった母親の行動をみて、綾乃剛演じるアムロは心を打たれ泣き出しながら服を脱ぎます。
七海も、焼酎を原液で飲みだします。
七海の変化
七海という主人公は、まわりに流されて生きてきました。
常に誰かに遠慮して、言いたいことも言わないで、小さな声で生きてきた。
様々なことを経験する中で、彼女の声や表情は力強くなっていくのがわかります。
「せんせい、またお部屋違うよ」
「そう、引越ししたの。東京きたらうちに泊まる?」
はじめは、生徒に対して敬語や極端な丁寧語で話していた彼女。
インターネット越しに家庭教師をやっているときに、
「2次関数もあるの? 何の役に立つの?」
と言われて、答えることができずに「調べておくね」
と笑っていた彼女。
七海という主人公は、ひたすら搾取される側でした。
そんな彼女が、真白という女性から頼られ、人間の狂気に触れたことで変わります。
綾乃剛演じるアムロに、引っ越し祝いとして家具をプレゼントされます。
「いらないものをいろんなところから調達したんですよ。この中から好きなものを選んでください。どうせ捨てるものですから。おいておく場所もないですからね」
新婚生活のときには、IKEAかどこかで買ったであろう、借り物のような家具に囲まれた彼女でしたが、物語のラストでは、多少不ぞろいだったりするものの、自分で選んだものに囲まれています。
岩井俊二監督作品は、多少好き嫌いがわかれる映画ではありますが、「リップヴァンウィンクルの花嫁」は、現代日本にとって非常に親和性のある内容となっておりますので、見たかたも見ていない方も、改めてみてみると面白いです。
以上、主体性がない人は損をする。岩井俊二リップヴァンウィンクルの花嫁でした!