総統はお怒りか/ヒトラー 最期の12日間
ダンケルク等の戦争映画が盛り上がりをみせつつある昨今、第二次世界大戦におけるナチス・ドイツの終わりを描いた作品が「ヒトラー 最後の12日間」です。
非常にデリケートな作品ではありますが、当時のドイツの何を描こうとしたのかを考えてみたいと思います。
タイトルの意味は
「ヒトラー 最期の12日間」は、あくまで日本語のタイトルとなっており、ドイツ語、並びに、英語の題では「没落」を意味する単語が使われています。
英語では、falldown(没落)という題名です。
本作品は、ナチス・ドイツという国のまさに没落していく様子を、ユンゲという人物を通してみた作品となっているのが特徴です。
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そのため、日本語タイトルになっている「ヒトラー 最期の12日間」という部分は、映画により興味をもってもらいやすくするための手法の一つと考えていいでしょう。
本作品は、ヒトラーという人物に接近した話しではありますが、あくまでナチス・ドイツの没落が中心に描かれていきます。
ユンゲから見た世界
物語の冒頭で、本作品の主人公の語りが入ります。
「恐ろしい怪物の正体に、私は気づけませんでした。ただ夢中で何も考えず、秘書の依頼を受けました」
当然、怪物というのはアドルフ・ヒトラーのことです。
ただし、当時のトラウドゥル・ユンゲにとっては、後世に発覚するナチス・ドイツの行った物事というのはわからない状態でしたし、それが世界にとってどのような意味をもたらすかもよくわかっていなかったのです。
物語の内容としては、秘書としてヒトラーのもとへいったユンゲが、少しずつ歯車が狂っていくナチス・ドイツに疑問を抱きながらも、沈み行く舟からでることのできない様を描いたものとなっています。
秘書の試験のために、基地へ赴く主人公達。
彼女達からすれば、はるか高みにいるはずのアドルフ・ヒトラーと出会いがあります。
「挨拶のときはどうすればいいのかしら」
と一緒に試験を受ける人たちも不安がりますが、ヒトラーは優しげに声をかけていきます。
そこには、総統という立場だからといって驕ったような態度はありません。
本作品では、ドイツ人によって、ヒトラーという人物を改めて描いていく、という点でも、意義深い作品だといえます。
ヒトラーは悪人か否か
物語の冒頭でユンゲ本人が語っているように、後世になってからみれば、ヒトラーは悪だったのでしょう。
ですが、そのときに生きていた人たちにとっては、前述したとおり、秘書の採用試験を受けにきた人たちに丁寧に声をかけたり、ドイツのために命をかけようとする少年兵たちに「君の勇気は、将軍以上だ」と激励するなど、やさしい人物として描かれています。
一方で、
「戦争に負けたら国民が何になる。無駄な心配だ。国民が生き残れるかどうかなど。それで生き延びられねば、弱者ということだ。仕方がない」
と、国民を切り捨てようとする非情さも描いています。
ヒトラーという人物は、悪の親玉として描かれることが多いですが、本作品ではその2面性を描いているのです。
また、ユンゲという人物は、ヒトラーという人物以外にも、戦争に徐々に敗北していくことでおかしくなっている周りの状況も見えているのです。
やけくその人々
情報戦がより重要な戦争において、アドルフ・ヒトラーのもとにはきちんとした情報は既に届いていませんでした。
部下達に、町を焦土にするようにいっても、部下達はその命令を実行しようとしません。
ヒトラーという人物は、国民を犠牲にしてでも大儀を成し遂げようとしているためです。
ただ、その考えを理解することのできない部下達は、国民あっての総統だろうと考え、ヒトラーの考えをいさめようとしますが、そのことがより一層ヒトラーの怒りを買うことになるのです。
結果として、敗戦が濃厚になっていき、周りの人物達も見ないようにしながらも気づいていきます。
ちなみに、はじめこそ有利だったナチス・ドイツが、徐々に劣勢に向かっていく要因の一つとしては、当ブログでも紹介した映画「イミテーション・ゲーム」が一役買っています。
アラン・チューリング博士が主人公として、天才の孤独と他人とうまく折り合いをつけることのできない中、ナチス・ドイツを倒すために、暗号解析に命をかける物語です。
また、関連する映画で、本ブログでも取り上げたものとしては、コリン・ファース主演による「英国王のスピーチ」が面白いところです。
様々なプレッシャーの中でうまくスピーチができないジョージ6世が、ナチス・ドイツの台頭に対して、世界で一致して戦っていくためにも、スピーチをするという実話です。
実話ベースであり、且つ、ラジオによって国民に語りかけ、士気を高めていた時代においては、まさに、スピーチするという行為そのものが、世界の命運をも握っているというところが恐ろしくもあり、面白いところです。
目覚めない悪夢
いずれにしても、ナチス・ドイツは様々な 要因の中で劣勢を強いられ、国内の状況は悪化の一途とたどり、本作品の中では、まさにその12日間のできごとに物事が集約されています。
負ける寸前という中で、人々は不安に煽られ、その不安を払拭するかのように、突然
「みんな上にきて、パーティよ!」
とヒトラーの愛人であるエヴァ・ブラウンはドレスを着て、ダンスを始めたりするのです。
もはや、末期症状とも取れる状況に、ユンゲは
「これは現実? 悪夢みたい。目覚めたいのにダメだわ」
と気が遠くなってしまうのです。
このあたりは、本来の題名である「没落」というのが実によくあらわされている場面です。
戦時中で神経が磨り減り、その中で不安を払拭したいがあまりに極端な行動に走る。
明かりをつけて騒いでいるところに、爆撃が行われることで、もう崩壊がいよいよ間近に迫ってきているのがわかります。
撤退の最中に
兵隊たちも没落していきます。
撤退するときに、書類を燃やしていくという行為が見られますが、その光景は、「日本のいちばん長い日」などでも、同じような書類を次々と燃やしていく映像があったりと、紙という媒体が当時いかに重要であったかがよくわかるところでもあります。
また、兵士たちの統率が取れなくなってきて、一般市民が惨殺されたり、粛清が行われたりと、末期症状が起こっていきます。
総統の部屋に侵入者がこないようにするための門番のような兵士たちが、どんどん酒に溺れていく様でも、その軍規の乱れがみてとれます。
やがて、ヒトラーは、自殺をすることを決意します。
それにつられるように、広報などを一手に引き受けていたゲッベルスの一家が、大変な末路を迎えることになるのです。
子供達に次々と薬を飲ませていく姿などは、もはや、人間の行いとは思えません。
そして、そのあとに、淡々とカードを並べていく姿をみせることによって、狂気がまとわりついているのを見せるのがうまい演出です。
ナチス・ドイツに心酔していた当時の人たちは、戦争に負けてしまえば、全てが終わりと考えていたのです。
異常心理と言ってしまえばそれまでですが、「ヒトラー 最期の12日間」では、そのあたりにいたる心の動きも垣間見れるのです。
没落の行方
「人々は私を呪うだろう。だが、それも運命だ」
ヒトラーはそういい残し、部屋の奥へと入っていきます。
何度も言いますが、本作品は「没落」を描いた物語です。
そして、その中では、そのことに気づかない人たちも多くいるのです。
ゲッベルス一家の男の子は、爆撃の音を聞いて、「僕はこの音好きだよ。ここは安全だもん」といいます。彼にとっては、自分の死が身近にせまっていることなど考えもしません。
一方で、その薬を飲めば、死ぬことになるのをわかっている子もいるのです。
少年兵として祖国に尽くそうと思いながら、親元に戻る子供など。
そんなあまりに酷い光景を、ユンゲは地獄めぐりのようにして廻っていきます。
余談
さて、「ヒトラー 最期の12日間」は、知っている人は知っているでしょうが、パロディ動画が有名です。
「総統がお怒りです」というシリーズは、ドイツ語という英語よりも耳になじみがない言葉であるがゆえに、何をいっているかほとんどわかりません。
そのため、ヒトラーが部下達に怒っている姿の字幕部分を変更して、好きなものにかえてしまうというシリーズがあったりするのです。
この映画は、とにかくヒトラーが怒っているのが印象的な映画でもあります。
自分の思ったように兵士は動かず、裏切られ、理解されない中で、ものすごい剣幕で怒るのです。
動画そのものの解説はしませんが、「ヒトラー 最期の12日間」で注目のシーンは、まさに総統が怒りまくるシーンにこそあると思います。
部下たちは、本当に忠誠を誓っているのです。
周りの人間の同調圧力も多少なりともあるでしょうけれど、ヒトラーという人間に対して心酔しているのです。
ですが、その心のうちが理解できず、ヒトラーもまた理解されないことにたいしてものすごい怒りをぶちまける。
その気まずい感じが、怒りのシーンにありありと表れているからこそ、逆に面白くなっているという稀有なシーンです。
映画そのものの楽しみ方とはずれてしまうところではありますが、「ヒトラー最期の12日間」は、ドイツ人がつくったヒトラー映画であり、且つ、悪というだけ、ではないヒトラー像を提示しながらも、その行為そのものは許されないことである、というメッセージを強く押し出した作品となっています。
人間模様も含めてみるべきところのある映画となっておりますので、戦争映画をよくみるかたがたには、十分に参考になる作品と思われます。
以上、総統はお怒りか/ヒトラー 最期の12日間 でした!