シネマトブログ

映画の評論・感想を紹介するサークル「ブヴァールとペキュシェ」によるブログです。不定期ですが必ず20:00に更新します

二階堂ふみの赤裸々演技。感想&解説 映画「私の男」

私の男

 

「私の男」は、直木賞を受賞した桜庭一樹の作品を映画化したものです。

主に北海道を舞台に、閉鎖的な親子の関係を描いており、内容の過激さも含めて好き嫌いがはっきりする作品とは思いますが、見所を含めて感想や解説をしてみたいと思います。

 

スポンザードリンク

?

 

二階堂ふみという女

本作品はR15+となっていることからもわかるとおり、暴力描写や性描写がある作品となっています。

そんな本作品でありながら、園子温監督「ヒミズ」によって才能を世に知らしめた二階堂ふみが主演し、主人公の中学時代から大人になるまでを演じています。


「私の男」という作品は、浅野忠信演じる淳悟と、主人公である花の関係にこそ見所のすべてがあるといっても過言ではありません。


1993年に発生した北海道の南西沖地震の影響によって孤児となった主人公花と暮らすことになった淳悟は、親子の域を超えた関係となっていきます。


「俺の子だ」

といって、避難所で幼い子供を抱き上げる浅野忠信演じる淳悟。


観客である我々は、まず淳悟の元恋人である小町からその二人の異常性をみることとなります。

 

小町から見た二人

「おじさんは、本当は、あの二人に一緒になってもらいたかったの」


主人公達が暮らすのは、北海道のなかでもかなり僻地といえる紋別市に住んでいます。

小さな村というわけではありませんが、北海道の地方都市独特の雰囲気が描かれており、その中で、藤竜也演じる大塩老人がおせっかいを焼く姿などは、物語を動かしてしまう要因となるだけにハラハラさせられます。

 

「私の男」という作品は、二人の関係性の異常性を理解することによって面白くなる作品となっています。


大塩小町という女性はそれなりの年齢であり、淳悟とは恋人でした。

ですが、醇悟が娘を育てることになったのをきっかけに心が離れてしまいます。

「小町さん、きれー」

と言って、無邪気な二階堂ふみ演じる花ですが、彼女は、確信犯です。


濡れ場が何回かある作品ですが、一番はじめの濡れ場は小町と淳悟のシーンです。


身体の大半を露出したシーンがとられるのですが、念入りに撮影していながら、それほどエロティックなシーンではありません(そのように思ってもかまいませんが)。

それは、そのあとの二階堂ふみの濡れ場との対比を強調するためと思われます。

ここで小町は、自分のものではない贈り物を見つけて絶望します。
しかも、その相手が娘である花であることが容易に想像できてしまうのです。


また、親戚らしき人とかがいるにも関わらず、その上の階で、淳悟と花は親子とも思えない行動をします。


「話しがあるんだけど」


と言う小町を見ても、彼らは意に介した様子もありません。親子であって親子ではない異常な関係がわかるシーンとなっています。

 

血の濡れ場

この作品を理解するのに重要なポイントの一つに、花の感性があります。


二階堂ふみ演じる花は、時々妄想の中に入り込みます。

流氷を間近にある場所のちかくを泳ぐような仕草をしながら歩いたり、物語のラストでも二人だけの空間に突入したりします。


特にすごいシーンなのが、物語の中盤の情事のシーンです。学校に行こうとしていた花と、淳悟の行為がはじまります。


行為の最中に、天井から血のような赤い液体がぽたぽたとたれてきて、二人は文字通り血まみれになってしまいます。

血でずぶぬれになっていますが、それによって二人が驚いたりする様子は一切ありません。


これは、花の妄想であり、花から見えている世界そのものを映像化しているのです。


ネタバレになるので、控えめに描きますが、血によって二人の絆の深さや、業の深さがわかる映像となっており、先ほど書いた小町との情事と比べることで、いかにグロテスクでありながら、美しいものを描こうとしているかがわかります。


二人の関係はたしかに異常で、世間で認められるものでありませんが、血まみれの世界の中で彼らは満足して暮らしているのです。


ですが、その情事のシーンを、藤竜也演じる大塩に見られることで、物語は破滅へと動きだしてしまうのです。

墜ちる男

東京に逃げてタクシードライバーとなった淳悟は、ギリギリのところで生活を続けます。

海上保安庁に勤めていた頃とは異なり、お金もなく、花が欲しいという服の一枚も給料を前借りしないとかえないような有様です。


そんな中、紋別で警官をしていたモロ師岡演じる男がやってくることで、最後の均衡が崩れていきます。


その後、花が就職をして受付の仕事をして生計を立てるようになるのですが、淳悟は廃人のような姿になってしまいます。


閉じた倫理と、花という娘。

その重圧に耐えられないで彼は壊れてしまうのです。


花自身もまた依存しており、コンタクトレンズを、目に直接触れさせて淳悟にとらせたりしています。

その姿をみた、花に好意を抱いていたお坊ちゃんな好青年の男はドン引きします。


行き着くところまでいってしまった男の、姿がわかるのです。

もはや、自分には娘を手元においておくチカラがないことがわかり、別の男がきたことで「お前じゃ無理だ」と吐きすてるものの、自分も無理だ、と思って荒れてしまっているのです。

 

北海道

さて、監督である熊切和嘉は、北海道の帯広市出身の監督です。

そのこともあってか、北海道民にとってはかなり懐かしいサンパレスのCMなどが流れていたり、雪の景色なんかは、紋別で撮影しているということもあって、馴染み深い風景となっています。


また、紋別は北海道の中でも流氷が見れるという面白い場所でもあります。

流氷砕氷船ガリンコ号に乗って、流氷を間近に見れたりしますので、歩いて流氷にのることはないでしょうが、身近なものではあると思われます。 

 

ラストの足の意味

余談はいいとして、本作品は、しきりに浅野忠信の指を二階堂ふみが舐めたりすることもあって、メタファーを含んだ行動が数多く見られます。

その行動に対して気持ち悪さを感じてしまう人も多いでしょうが、この二人の関係というのは、物語の前半にはっきりと宣言されています。


父親らしき人(竹原ピストル)の背中で津波が押し寄せるのをみていたのを思い出した花が車の中で泣き出し、浅野忠信は彼女の手を握ります。

「今日からだ。俺は、お前のもんだ」


浅野忠信演じる淳悟は、彼女(花)のものなのです。

そして、花もまたそれを受け入れた。


大塩老人が、花の行動を止めようとしますが、花は叫びます。

「しちゃいけないことなんて私にはない。血でつながっている。嘘のない気持ちでつながってる。ほかの誰とも絶対に違う」

大塩老人も言います。
「それじゃあ、壊れるんだよ。神様が許さないんだよ」


「私は許す! なにしたって、彼は私の全部だ」


世間や何かが決めたものなんてものは、二人の関係の中では関係ないのです。

大塩老人が、神様という単語をなぜだしたかはわかりませんが、二人しかいない世界に、神なんかいるはずがありません。


花は、淳悟であり、淳悟は、花である。


他人から見ればドロドロの関係であって、非難すべき関係であっても、花は淳悟を受け入れているのです。


だから、花は淳悟がどんなに墜ちてしまっても見捨てたりなんかしないのです。

たとえ彼のもとから離れたとしても、花は、テーブルの下から足を伸ばし、淳悟に触れるのです。


「私の男」という作品は、世間と言うものさしで見続けた場合に、非常に卑猥で鬱々とした物語にみえるところですが、それがどんな禁断のものであったとしても、二人の世界では関係ありません。

 

世間の倫理や一般的な愛を真っ向から否定することになったとしても、かまいはしないのです。


その結果が破滅や堕落につながったとしても。

 

 

私の男 (文春文庫)

私の男 (文春文庫)

 

 


以上、二階堂ふみの赤裸々演技。感想&解説 映画「私の男」でした!

 

スポンサードリンク