身勝手な親たち。ネタバレあり。映画「ラブレス」アンドレイ・ズビャギンツェフ
冷め切った夫婦関係。
お互いに恋人がいて、それを隠すこともないまま離婚協議をすすめ、高級マンションを売り払おうと算段をつける。
二人がそれぞれの生活をすすめていこうとしている中、一人息子の行く先だけが決まっていない。
なんと恐ろしい状況でしょうか。
「裁かれるは善人のみ」でカンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞したアンドレイ・ズビャギンツェフ監督による「ラブレス」。
親子の関係や、浮気する奥さんなど、ズビャギンツェフ監督の集大成ともいえる作品となっている本作品について、ネタバレを気にせず語ってみたいと思います。
この物語は、ロシアの作品ではありますが、決して遠い国の物語ではありません。
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いらない子供
ボリスとジェーニャは離婚協議中です。
二人にはアレクセイという12歳の息子がいますが、二人の息子に対する扱いは酷いものです。
高級マンションに住んでいる彼らですが、離婚に伴って部屋を売ろうとしています。
お客さんを呼んで内覧をしているのですが、挨拶をしないアレクセイをジェーニャは、気にせず叩きます。
アレクセイからすれば、自分の家を売られるわけですからいい顔なんてしたくないですし、そんな両親の気持ちなどわかるはずもありません。
そして、二人は、アレクセイを押し付けあっていることがわかるのです。
「息子は母親が引き取るべきだ。そのほうが世間体がいい」
夫であるボリスは、とにかく世間体を気にする男です。
自分の意思などなく、会社がどう考えるか、世間がどう考えるかでしか物事を考えることができません。
そのくせ、愛人を作ってしまっているという噴飯ものの人間です。
妻であるジェーニャもまた大きな問題をかかえている人物であり、物語が進むほどに彼女の問題も明らかになっていきます。
いずれにしても、彼ら二人にとって、息子は邪魔なのです。
そして、息子はたまたま夜トイレに起きたときに、自分を押し付けあって争っている両親の話しをきいてしまい、声を押し殺しながら泣くのです。
無関心な親達
「ラブレス」は、愛情のない家庭の、悲惨な子供の様子を描きます。
両親が自分を押し付けあっていることを知った翌日、アレクセイは食欲をなくしてご飯も食べれないでいます。
「早く食べなさい」
というジェーニャ。
アレクセイの目からは涙が流れているのですが、イライラしているジェーニャはそれに気づくこともありません。
もはや、まったく息子に興味がないのです。
物語の前半では、お互いの恋人同士の濃厚なラブシーンがたびたび描かれます。
ボリスもまた、お腹の大きくなっている恋人と一夜を過ごし、ジェーニャもまた年上の恋人と過ごします。
そんなとき、ボリスの電話が鳴ります。
「ゆうべは帰ってきた? アレクセイが帰っていないみたいなの」
お互いの恋人のところで過ごしていたために、彼らは息子が家にかえっていないことすら気づかなかったのです。
この物語は、そんな無関心な親達のあまりに悲惨な実態をえがきます。
ボランティア団体
「ラブレス」でもっとも活躍する人たちは、ボランティア団体ヴェラです。
彼らは、行方不明になった子供達を捜すボランティア団体であり、作中で数少ない愛のある人たちです。
彼らはロシアに実在するリーザ・アラートという組織が元となっています。
彼らは、行方不明になったアレクセイを探すために、ボリス・ジェーニャ夫妻にアレクセイのことを尋ねます。
「親友はいるか。彼がよくいく場所は?」
ボリスもジャーニャも何一つまともに答えられません。
彼らは、そんな親達を何度も見てきているのでしょう。
子供達を助けるために淡々と物事をすすめていきます。
それでも、アレクセイは見つかりません。
インスタ映えの女
ジェーニャは、目の前に人がいたとしても、SNSを確認することを最優先します。
息子のことなど気にせず、また、新しい恋人と高級レストランにいたとしても、スマートフォンを片時も手放したりはしません。
彼女は、他人への愛はまったくなにもかかわらず、自己愛だけは異常に強いのです。
「ラブレス」をみていて、ある意味面白いのは、同じく他人に対する興味がないにも関わらず、二人の対応の仕方が異なる点です。
アレクセイが行方不明になったとわかったとき、ジェーニャは、心配するそぶりをします。
「二日も帰っていないのよ! 誘拐されたのかもしれない」
「わからないじゃないか」
ボリスは、世間体を気にしているということもあってか、とにかく、波風をたたせたくないような雰囲気です。
穏便に済ませてしまおうという、責任を逃れようとする気がまんまんの男なのですが、一方で、ジェーニャは、母親という役割を過剰に演じることで責任を逃れようとしているところが面白いです。
「これだけ?」
「心配だったら、そういう団体を教えますよ。彼らと協力してうまくいった捜査もある」
息子が失踪したことを警察に伝えたものの、そのうち帰ってきますよ、という警官に対して、ジェーニャはたてつきます。
正直、物語の最初期にわかることですが、彼ら夫婦からすれば息子がいないほうが都合がいいのです。
息子がいなくなったから、息子が大事になった、とかいうのでは断じてありません。
ジェーニャは、息子を心配する母親を演じることを意識しているだけなのです。
母親との関係
「アレクセイは、おばあさんの家にいったのではないですか」
と言われて、すぐさま否定するジェーニャ。
ボランティア団体ヴェラは、あくまでアレクセイを見つけ出したいだけなのですが、ジェーニャはかたくなに拒否します。
結局、母親に会いに行くのですが、母親の家にはバリケードがつくられており、異様な雰囲気になっています。
その外見だけで、ジェーニャの母親が偏屈な人間であり、他人を信用していないことがわかります。
母親は、アレクセイのことを告げると
「息子をおしつけようっていうのかい。妊娠したとき、冷静になれといったら、くたばれといったじゃないか」
もうむちゃくちゃな母親です。
彼女は、ギリシャ正教の熱心な信者のようであり、娘に対してかなり厳しく接していたようです。
娘達を追い返したあと、ジェーニャの母親は顔に手をやり、うなだれたような様子を見せます。
親から子への暴力といったものは、クサリのようにつながっていってしまうものだいわれています。
虐待といっていいのかはわかりませんが、おそらく、何らかの虐待、愛情不足のため、ジェーニャに対して酷い扱いをしていたのではないでしょうか。
ジェーニャの母親もまた悩んでいるのではないかという思わせられます。
彼女もまた他人と関わるのが恐ろしいのです。
関連映画
すこし横道にそれますが、アレクセイが友達と遊んでいた秘密基地。
そこは、ボロボロの廃屋であり、もともとは学校か美術的な施設だった場所だと思われます。
水がたまりができて、湿っぽい雰囲気の場所は、ロシア映画ということもあって、タルコフスキーの「ストーカー」を思い出すところです。
子供の不幸という点を考えると、酷い親に育てられるぐらいなら誘拐しようとする「ゴーン・ベイビー・ゴーン」なんかも思い出されるところです。
ただし、「ラブレス」は、子供が失踪した、というよりも、子供が失踪してもまったく動じない夫婦がいるという恐ろしさを描いた作品として、非情に秀逸です。
遺体は誰だったのか。
さて、ここからは思いっきりネタバレと考察になりますので、気になる方は、十分に「ラブレス」をみたあとでご覧いただければと思います。
この作品は、捜索シーンがとにかく長いです。
ボランティアを総動員して森林を練り歩いたり、町中にビラを貼って回ったりして、あらゆる方法をとってアレクセイを探します。
「何かやれることはない?」
ときく、ジェーニャに
「病院に片っ端から電話をかけてみてくれないか」
とボランティアの人が言って、いよいよ、彼の死の雰囲気がでてきます。
唐突に、死体を検分するシーンになります。
アレクセイと同じくらいの背格好の遺体がでてきた、という情報を入手したためです。
そのときの、ボリスとジェーニャの反応が凄まじいです。
ジェーニャは、遺体をみた瞬間、ものすごい速さで手で口元を押さえます。
そして、すぐに「違う」というのです。
「息子なら、ホクロがあるはずよ。違うわ。あんたもなんかいいなさいよ」
とボリスを殴り始めます。
ボリスは、もはや何も言いません。
「DNAの鑑定をしてもらいます」
「その必要は無いわ。息子じゃない」
と、ジェーニャは頑なです。
結局、その遺体がアレクセイだったのか、行方不明のままだったのかは、はっきりと示されないまま物語は終わりにむかっていきますが、一応、簡単に考察をしてみたいと思います。
二人の人柄から考える。
遺体をみて泣き叫ぶジェーニャ。
ボリスは、ジェーニャに殴られて血を流し、思い出したように泣き出します。
二人は息子さえいなければ、新しい恋人との甘い生活が始まるはずでした。
酒もたばこもしない。お金も持っている47歳のダンディな恋人が待つジェーニャ。
妊娠した若い恋人のいるボリス。
息子がいなくなったからといって、彼らが改心するとは思えません。
「ラブレス」で、恐ろしいのは、彼らからすれば息子がいなくなってくれて嬉しいはずなのです。
「どうして、こんなタイミングで」
と嘆くシーンはあるものの、これほど簡単な方法はありません。
そして、母親の役割を過剰に演じてきたジェーニャからすれば、息子の死を認めたくない母親を演じたほうが、世間(SNS)受けはいいはずです。
そして、
「本当は手離したくなんてなかった。私が引き取りたかった」
とジェーニャは言うのですが、その言葉こそが遺体がアレクセイだと確信している証拠のように思います。
もし、遺体がアレクセイではなかったら、その言葉をきいたボリスに言われるはずだからです。
私が引き取りたかった、と言ったじゃないか。アレクセイは君が引き取るんだよな、と。
「引き取りたかった」といったのは、息子だとわかったからです。
おわりに
アレクセイがなぜいなくなったのかはわかりません。
ですが、深読みするのであれば、アレクセイが危険な場所にいたからではないでしょうか。
物語の冒頭で、白と赤のストライプのテープを木の枝にまきつけるアレクセイ。
これは、進入禁止のテープです。
それが物語の最後でもゆらゆらと怪しく揺れるシーンがとられており、そこでアレクセイがいなくなってしまったようにも受け取れます。
いずれにしても、立ち入ってはいけない場所に立ち入ったような示唆がなされています。それが、アレクセイにとっての立ち入り禁止なのか、映画をみている我々に対してなのかはわかりかねますが。
そして、アレクセイの犠牲のもと、それぞれの恋人のもとにいった二人は幸せになったか、というと、必ずしもそのようには見えません。
ボリスは、恋人とその母親と一緒に住んでいます。
赤ん坊が元気にはしゃぐ中、赤ちゃんが邪魔になった彼は、乱暴に柵の中にいれてしまいます。
彼は、家庭が欲しかった男ですが、結局幸せそうには見えません。
また、ジェーニャもまた、恋人と過ごしていますが、決して幸せそうにはみえません。
恋人と二人でテレビをみていた彼女ですが、ウクライナへの侵攻によって息子が死んだということを訴える母親らしき人がうつっているのをみても、表情一つかえずに、部屋の外にあるルームランナーで走り出すのです。
この当時、オリンピックの関係もあってナショナリズムが高まっていたこともあり、ロシアと大きく文字が書かれたジャージが流行ったそうです。
「ラブレス」。
非情に重たい気持ちになる映画です。
ですが、愛のない夫婦や、親子関係がロシアだけの問題ではないことは、わかるように思います。
SNSにしか興味がなく、泣いている目の前の息子に気づかず、手元のスマートフォンしか見えない親子がどれほど多くいることでしょうか。
そして、身勝手な人たちでありながら、自分が同じような状況になったとき、息子に消えて欲しいと思ったりしないだろうか、と恐ろしい問いかけが隠されている映画です。
緊張感のある映像が連続しており、銃撃戦があるわけでも、凄まじいミステリーがあるわけでもない本作品ですが、いつまでも心にひっかかる作品となっていますので、重量感のある作品が見たくなった方は、オススメできる作品となっております。
以上、「身勝手な親たち。ネタバレあり。映画「ラブレス」アンドレイ・ズビャギンツェフ」でした!