シネマトブログ

映画の評論・感想を紹介するサークル「ブヴァールとペキュシェ」によるブログです。不定期ですが必ず20:00に更新します

完全犯罪はうまくいかない。感想解説/完全犯罪クラブ

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社会という中でいきている以上、犯罪を避けるというのは当然の発想です。

ですが、時として人は、環境や可能性が整ったとき、その誘惑に抗えなかったりすることも往々にあるのではないでしょうか。


レオポルドとローブによる事件を題材に、過去数度の映画化を経ながら、2002年に再度映画化された「完全犯罪クラブ」について、その内容を解説してみたいと思います。

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犯罪は自由

ミステリーを読む人間からすると非情に魅力的な単語ですが、本作品では、二人の少年が完全犯罪を計画し、発覚していくまでを描いた作品です。

暗い性格にみえるジャスティンと、お金持ちで頭がよく、享楽的な性格のリチャード。


彼らは、完全犯罪を目論見ます。


話しの大まかな内容自体は、そのようなものとなっていますが、本作品で重要なのはその人間関係です。

根暗そうなジャスティンと、リチャードは本来であれば接点のなさそうな二人です。

ですが、


「我々自身が個々の判断で善悪を決めるべきだ。犯罪は自由だ」


と、クラス内での演説で、リチャードは感化されます。あるいは、すでに二人はつながっていたのかもしれませんが、このような言葉を受けて彼らは完全犯罪を計画していくようになっていきます。

社会や法律(ルール)といったところから逸脱しようとする少年たち。
ですが、その犯罪は、完全というにはあまりにお粗末なものだったのです。

少年達の同性愛

少年たちの鬱屈したものが犯罪へと結びついている作品として、有名なものであれば、ガス・ヴァン・サント監督「エレファント」が有名なところではないでしょうか。


キスもしたことのない少年二人が、銃をもってコロンバイン高校での大量殺人を行います。

その事件の少し前から描いている風変わりな演出の作品です。

 

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また、コロンバイン高校銃乱射事件については、マイケル・ムーア監督による「ボウリング・フォー・コロンバイン」などでも描かれているところです。

 


完全犯罪クラブ」においても、リチャードとジャスティンの閉じた関係が犯罪へ彼らを駆り立てていきます。


ただし、本作品においては、ライアン・ゴズリング演じるリチャードによる同性愛的な束縛こそが重要になってきています。


リチャードは友情を越えたものをジャスティンに求めていますが、ジャスティン自身は、女の子に好かれたらそちらにいってしまうなど、絶対的なものとして二人の関係が成り立っているわけではありません。


その二人の関係を感じ取ったわけではないでしょうが、リサという女性徒が「誰かと寝たほうがいいわよ」と物語冒頭でいうのは、後の関係も示唆するおもしろい台詞だといえます。

もてない少年達には、偏った考えがでてきてしまうものです。


完全犯罪の計画はジャスティンが立てたものでしたが、それを実行するのを渋っていました。

ですが、リチャードは二人の関係を維持するためにも犯罪を実行するしかない、という後には引けない状況をつくりだす以外に無かったのです。

 

倒叙もの

本作品は、サンドラ・ブロック演じるキャシー刑事と相棒のサム刑事によるバディものとしても進んでいきます。


みている視聴者としては、少年達が犯人であることがわかっていますので、いわゆる倒叙(とうじょ)ものとしてみる楽しみもあります。

学校で麻薬を販売していた用務員の男が犯人として浮上します。
その偽の犯人で満足している同僚達を尻目に、サンドラ・ブロック演じるキャシーだけが、「犯人は、あの二人」と捜査を進める姿は勇ましい限りです。


視聴者である我々自身もまた、犯人を知っているだけに、犯人も応援したくなるところですし、警察の中で身の置き所がなくなりながらも執念で捜査するキャシー刑事も応援したくなるところです。


少し話はそれますが、倒叙もので有名なものといえば、刑事コロンボが有名です。

「うちの奥さんがねぇ」

と、いいながら犯人に揺さぶりをかけていくというのは面白い手法です。日本においても、古畑任三郎の名前をきくと、倒叙もののイメージがつく人が多いのではないでしょうか。

 

 

刑事のトラウマ

キャシー刑事は、トラウマを持っています。

死にかけた経験もあったことから、殺され山中に捨てられた死体に対しての感情移入が強くなりすぎています。

また、ニンフォマニアック(色情狂)とも思われます。


相棒になった男に対して、すぐに身体を求めます。そして、優位性を獲得してしまったとは、あっさり捨ててしまうのです。

それは、トラウマのもとにもなっている男性への極端な不信感がそうさせるものと思われます。

 

キャシー刑事そのものにも問題があるからこそ、犯罪に向き合っていくという中で、彼女自身もまた、少年二人の犯罪を通して、過去と向き合うとしていくことになっていきます。

 

犯罪よりも人間の弱さを描く

本作品は、完全犯罪クラブという名称はついていますが、犯罪を中心として暴かれる人間の弱さを描いています。

ジャスティンは、プライドが高く、警察も含めてまわりはバカだと思っています。

ですが、実際に犯罪に手を染めると、罪悪感か実際の死体の迫力のためか嘔吐してしまい、そのことが原因であっさりキャシー刑事に見つかってしまうのです。


本来であれば、ジャスティンは口だけの嫌なやつで終わるはずでした。

ですが、リチャードというすべてを手に入れてしまった人間でありながら、常に渇望している男に目をつけられてしまうことで、身の丈にあわない行動を起こしてしまうのです。


また、リチャードは同性愛的視点からジャスティンを愛するものの、それを手に入れることができず、ジャスティンの好きな女の子を寝取ってしまいます。

二人の関係を維持するための完全犯罪の計画を実行したものの、ジャスティンの心は離れ、一緒に心中する勇気も持てないという悲惨な結末を迎えてしまいます。

そんな、不完全なものの弱さを描いています。

キャシー刑事もまた、殺されかけ人間不信になりながらも、自分の過去に永遠に囚われています。

そして、この物語は、キャシー刑事の物語として終えています。


ちなみに、原題はMurder by Numbersとなっておりますが、これは作中でもでてきますが、数字による殺人者と直訳できますが、悪魔の数字である666とかけて、悪魔の殺人者というタイトルにしたのではないでしょうか。


完全といいながら、かなりの不完全犯罪をによってあっさり暴かれる少年達の自意識が見られる映画となっておりますので、ちらりと見てみるのも面白いかもしれません。


以上、完全犯罪はうまくいかない。感想解説/完全犯罪クラブでした!

 

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