シネマトブログ

映画の評論・感想を紹介するサークル「ブヴァールとペキュシェ」によるブログです。不定期ですが必ず20:00に更新します

誰が最後だ!考察&感想&解説 スターウォーズ 最後のジェダイ  

 

スター・ウォーズ/最後のジェダイ  オリジナル・サウンドトラック


エピソード7に続き「スターウォーズ 最後のジェダイ」が公開されました。


ネタバレは最小限にしつつ、賛否両論ある本作品について、どういった物語となっているのかについて考えながら、見ていきたいと思います。

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エピソード7の続き

スターウォーズは、基本的にエピソードとエピソードの間が離れています。


そのエピソードの間を埋めるものが、物語の冒頭にでてくる大きな黄色い文字によるあらすじです。

エピソード7では、レイという女性がフォースのチカラによって、ダースベーダー卿の意思を継ぐ男カイロ=レンを打ち破り、行方不明になったルーク=スカイウォーカーを探す、というところで物語が終わっています。

 

 

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そして、「最後のジェダイ」では、レイがルークのもとをたずねていくところから物語が始まります。


と同時に、ファースト・オーダーに追われているレイア姫率いる反乱軍は、無事逃げることができるのだろうか、というのが大まか過ぎる物語のあらすじとなっています。

 

本作品は、今までのスターウォーズとは異なる部分がありますので、そのあたりも含めて考えていきます。

 

エピソード7では、J・J・エイブラムスが担当しておりましたが、本作品においては、ライアン・ジョンソン監督がメガホンをとっています。


ライアン・ジョンソン監督といえば、未来の自分と殺し合いをしながら、将来大悪人になる少年を守る男を描いた「ルーパー」が出世作です。

 

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SF映画の体裁をとりつつ、実は、人間がよいほうに傾くのも悪いほうに傾くのも、愛情が大事であるということ主題に添えた作品となっており、面白い見せ方をする監督です。


そのため、「スターウォーズ 最後のジェダイ」でも、レイを新しい主人公にした物語、というだけではなく、もっと本質的な部分をついた物語となっているのです。

 

スターウォーズは古いのか?


スターウォーズという作品は、長きに渡ってファンに愛されてきた作品です。

ですが、現代において昔からのファンの想いというのがそのまま作品のクオリティとして伴っているか、というと別の問題となります。

スターウォーズ フォースの覚醒」も面白い作品ではありましたが、「最後のジェダイ」では、明らかに、今までのスターウォーズに対するカウンターという側面をもっているところが面白いところです。


物語の始めに、レイがルークにライトセーバーを渡します。


ルークのことを見つめるレイ。

当然、ジェダイマスターであるルークとの出会いは、美しく神話的な感動をもたらすはずのところですが、ルークはあっさりとライトセーバーを投げ捨てます。


「今更、光る剣をもって戦えというのか」


ライトセーバーが光る剣扱いです。

ジェダイの象徴であったはずの武器をあっさりと捨てるのが、主人公であったはずのルーク=スカイウォーカーというのが皮肉が利いているところです。

 

また、別のシーンで、ルークは、ジェダイが残した重要な書物と、それを収めている木のところへ行き、火をつけようとします。 

こんなものはもう必要ないんだ、という既存のものの否定を行っていくのです。

ネタバレですが、燃やそうとしながらも結局、そこまでできなかったルーク。

しかし、伝説のジェダイマスターであり、緑色の謎のキャラクターでもあるヨーダが現れ、一撃で書物などを燃やし尽くしてしまいます。


「本など読んだところで多少賢くなるに過ぎない」

そして、ヨーダはルークに言います。

「この本を読んだのか」

ルークは言いよどみます。

反応からして、読んでません。


昔の人間が書いた本なんて、もう古いんだよ、という強烈なメッセージを、ヨーダ自身に言わせているところが憎い演出です。


スターウォーズ 最後のジェダイ」は、意図的に過去のスターウォーズという作品そのものに対しての一種の決別をしているところが、斬新な脚本内容となっているのです。

 

主役はルーク。

今までの、スターウォーズというものを考えてみると、アナキン=スカイウォーカーという少年にはじまり、ルーク=スカイウォーカーという青年によるフォースというチカラをめぐった戦いの物語として作られています。


スカイウォーカーサーガと呼んでもいいものとなっており、レイという主人公もまた、当然スカイウォーカーの血筋だと、エピソード7を見ている段階では思うはずです。


ネタバレしてしまいますので、気になる方はまた戻ってきていただければと思いますが、本作品もまた、間違いなくルーク=スカイウォーカーの物語となっています。

 

エピソード9にあたる次回作以降は、レイを正式な主人公として動かしていくことでしょうが、エピソード8となる最後のジェダイは、ルーク=スカイウォーカーが、自分の生い立ちを含めて受け入れる素晴らしい作品となっています。


ちなみに、本作品のラスト間際のシーンを見て、深く心にささるかどうか、という点については、エピソード4を見なければその効果が半減してしまうことは明言しておきます。

 

二つの太陽

ざっとおさらいをしますと、ルーク=スカイウォーカーという主人公は、産業らしい産業も無い田舎の惑星、タトゥイーンで暮らしていました。

学校にいきたくても、家の農業を手伝わなければならず、悶々と過ごしてきたルーク青年。

自分がフォースを操るジェダイとしての素質をもっていることも知らず、まわりの人間が義勇兵として戦いに行ったりするのに、自分はかわりばえのしない毎日を過ごしています。


農業自体が悪いわけではありませんが、血気盛んな若者であるルーク青年が、叔父さんに唆されていつまでも田舎でくすぶっている、というところがミソとなっています。


惑星タトゥイーンは、二つの太陽が見える惑星となっており、沈み行く太陽を見るルークが、このまま自分はココで死ぬんだだろうなぁ、という将来に対する絶望がみてとれるのが、惑星タトゥイーンにおける二つの太陽なのです。

ルークの鬱屈した思いの象徴としてもみることができる二つの太陽。


しかし、田舎でくすぶっていた青年が、オビ=ワン=ケノービと出会い、レイヤ姫からのメッセージをR2D2から受け取ったことで、帝国に反乱し、英雄となっていくからこそ、スターウォーズという作品は人気を獲得していったのです。

 

ここからはネタバレ

ここからは、完全なネタバレとなっています。

気になる方については、今一度映画をご覧になった後に、戻ってきていただければと思います。

 

最後のジェダイとは、一体何なのか。

 

というところを含めて、本作品が、ルーク=スカイウォーカーという男の終わりの物語であったことを明言しておきたいと思います。


ルーク=スカイウォーカーという男は、あまり気づかないかもしれませんが、作中でも、桁違いにチカラのあるジェダイです。


そして、好きになった女性が、実の妹であったり、最大の敵が自分の父親であったり、それを殺してしまったり、手が切られてしまったりと、不幸三昧な主人公です。

それもこれも、絶大なフォースを操るチカラを持っていたためです。

良くも悪くも、フォースやジェダイといったものに翻弄された男ですが、エピソード8では、ルークという男が報われる話しになっています。

 

さて、最後のジェダイとは一体なんなのか、というところをさらっと流してみたいと思います。

 

レイにフォースについて教えるルークの場面で、ルークは繰り返し言います。


「フォースはどこにでもある」


フォースが特別なものではなく、どんなところにでもあり、当たり前に存在していることを感じるんだとレイに伝えます。

だからこそ、ジェダイというのもまた特別なものではないのです。

 

神話からフォークロア

スターウォーズという作品は、ジェダイというフォースを操る人々と、スカイウォーカーという一族の運命を描いた作品といえるのがエピソード6までの物語です。


そして、エピソード8によって、実は、フォースというのが特別なものではなく、また、ジェダイという存在もまた特別なものではない、ということが示されることに意味があります。


どういうことかと言いますと、ルークが言うように、フォースが特別なものではないとすれば、一般人もまたフォースを覚醒させることができるのだ、ということなのです。

 

物語の最後で、フォースに目覚めた少年が映されます。


あの少年が、最後のジェダイか、と思いたくなる方もいるかもしれませんが、レイにしても、少年にしても、どこにでもいる当たり前の人間なのです。


「君の両親は、ろくでなしだ」


レイの両親の秘密が明らかになるのがエピソード8ですが、レイという主人公に見えた彼女でさえ、あたりまえの人物に過ぎなかったのです。


レイは、自分がずっと誰かを待っていたとエピソード7で言っており、多くの観客が、レイはルーク達の関係者に違いないと思っていたはずです。


ですが、彼女の両親は、娘を大事にしない酷い親であり、それを認めたくないがあまりに、レイは、ある意味において自分を騙しながらいたのです。

中二病的に、今の私は、本当の私ではない、という意識の中で、彼女は戦っていたのです。


ライアン監督による脚本の画期的なところはまさにそのあたりにあるといってもいいと思われます。


特別な存在であったジェダイという存在。

神話にでてくる一種神々のように存在していたジェダイから、フォースというのはあたりまえのチカラであり、それは、どんな人物にも備わっているということを強く発信することで、フォークロア(民間伝承)になっていくことを示した、という点でも、スターウォーズシリーズの大きな転換点といえる作品になっています。

 

だからこそ、ジェダイとしての最後の人間(スカイウォーカーの血族)は、ルーク=スカイウォーカーに違いないでしょうが、ジェダイという名称ではないかもしれないけれど、フォースを理解していく人々は一人また一人と増えていくことがわかるようになっているのです。

 

ルークの物語

さて、とりとめがなくなってまいりましたが、エピソード8にあたる本作品は、ルーク=スカイウォーカーの物語として、見事に終焉を向かえ、未来にバトンタッチしている作品に仕上がっています。


散々酷い目にあい、才能に溢れたカイロ=レンこと、ベン=ソロに対して、危険性を感じて弟子を殺そうとした挙句、地図にものっていない星に逃げて暮らしていたルーク。


彼の人生は、明るいものではなかったものの、ベン=ソロと向き合うことで、改めて、自分自身の深いところに向かいあい、そして、フォースを使いすぎたことで疲労した彼は、かつてあれほどイヤに思っていたはずの二つの太陽を見つけるのです。


ルークが隠れていた星は、タトゥイーンと違って、もとから二つ太陽があるわけではなく、たまたま偶然、幻日が見えたのだと思います。


そして、田舎でくすぶっていた頃も含めて、自分の生い立ちから現在に至るまでを思い返し、いわゆる一つの悟りを得るにいたったのです。


二つの太陽の美しさに胸を打たれ、ルーク=スカイウォーカーの物語が閉じられる。

長きにわたってスターウォーズシリーズを追いかけてきた観客は、その時間の流れも含めて、胸がいっぱいになったに違いありません。

 

総括

最強の親玉であるはずのスノークのあっさりとした退場。

カイロ=レンが、古いものを、あっさりと古臭いと切り捨てるところが素晴らしいです。

ボスが弱いという点においても、もう世代交代がきているんだ、というのを強烈に見せ付けてくれたようで、かえって気持ちいいぐらいでした。


賛否両論はあると思いますが、「最後のジェダイ」は、いままでのスターウォーズという神話から、誰にでも身近に存在する伝承へと姿をかえ、古い物語ではなく、新しい物語になりました。


エピソード8で、宇宙空間でも死なないフォースのチカラを見せたレイア姫こと、キャリー・フィッシャーは惜しくも亡くなってしまいましたが、その影響力は、今後の作品にも生きていくに違いなく、これ以降のスターウォーズシリーズが、どのような方向に向かっていくのかも含めて、非常に面白い作品が「スターウォーズ 最後のジェダイ」なのです。


次のジェダイは、貴方かもしれない。


っということで、「誰が最後だ!考察&感想&解説 スターウォーズ 最後のジェダイ」でした!!

 

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