愛情こそが世界を変える/ライアン・ジョンソン「ルーパー」
「スターウォーズ 最後のジェダイ」において、脚本・監督を務めたライアン・ジョンソン監督による映画「ルーパー」は、一風変わったSF映画です。
未来からきた人間を殺すと、お金がもらえるという闇社会で生きる主人公が、未来の自分と出会うという物語となっています。
未来でも殺人が行われており、その憎しみの連鎖は止まらない。はたして、人間というのはどうすれば、そんな連鎖をとめることができるのか。
そんなことを考えさせられる映画となっています。
スポンザードリンク
?
未来では、人殺しはできない。
「ルーパー」は近未来を舞台にしています。
主人公であるジョーは、空飛ぶバイクが当たり前になり、一方で、貧困による格差が大きく広がった世界を舞台に生きています。
その中で、彼は30年後の未来からやってきた人間を殺すことで生計を立てています。
ルーパーと呼ばれるその職業は、指定された場所・時間に現れた人間を、ラッパ銃とよばれる銃器で殺し、遺体を処分することを仕事としています。
仕事の良し悪しは別として、やること事態はあっさりとしたものとなっています。
現れた人間を、一発で殺す。
ジョーという男の日常は、貧困化した人間達と対比されて、いかにも裕福であり、新型のドラックをつかった快楽に満ちた世界を生きています。
しかし、ルーパーという仕事には、高い報酬に見合ったリスクが存在するのです。
自分を殺すのは、自分
「ルーパー」の世界では、タイムマシンが開発されているのですが、30年以上前に飛ばすことはできません。
また、彼らの世界の30年後の未来は、徹底された管理社会であり、あっという間に犯人が見つかってしまうため、死体そのものを過去に送って殺す、というまどろっこしい方法をつかわなければ、殺人すらできないようになっているのです。
このあたりは、作品のSF設定として納得した上で、物語を進めて行きます。
(遺体を残らず滅却すればいいんじゃないかとか、そういうことは考えません)
その上で、ルーパーというお金取りのいい仕事は、いつか終わりがきます。
それは、未来から自分が送られてきたときです。
「ループを閉じる」
と表現されていますが、30年後の自分が送られてきて、それを自分で殺したとき、もう30年後以上の未来は自分に存在しないことになるのです。
(ちゃんと、始末できればの話しですが)
主人公のジョーは、友人が未来の自分を殺すことができずに、逃げてきたのをかくまったりしていました。
ただし、あっさりと見つかってしまい友人を売ってしまうのですが、未来の自分がきたときに、殺してしまうのか、あるいは、逃がしてしまうのか、ということを想像するのです。
未来の自分は
本作品では、現在の主人公と、未来の主人公では俳優が異なります。
未来役の主人公は、アクション俳優の中でもトップクラスに有名なブルース・ウィルスです。
ブルース・ウィルスといえば、説明するまでもないかもしれませんが、「ダイ・ハード」シリーズで大活躍した主人公を演じ、さらには、幽霊が見える子供に接する精神科医を演じた「シックス・センス」では、演技力の高さを評価された俳優です。
頭が薄めなのが特徴のブルース・ウィルスですが、現在の主人公であるジョーは、頭をかきあげたり、女性に頭をかきあげてもらうことが好きな男であり、未来の自分の頭が薄いことに対する伏線がはられていたりします。
「ルーパー」の面白いところは、未来の自分にも感情移入がしやすくなっている点です。
普通であれば、視聴者にとってもまったくわからない未来の主人公がやってきて、主人公同士で話し合いになるところです。
ただ、この作品では、一周目は、後にブルース・ウィルスになる男の視点で語られています。
どういうことかと言いますと、はじめのジョーは、未来の自分をちゃんと殺します。
疑問をもっていながらも、無事に自分を殺すことができた主人公は、大金をもらい、30年後の死ぬまでの人生を自堕落に生きます。
もともと、彼は、愛情のある家に育ってきたわけではなく、銃の使い方を教えてもらったことで、なんとか貧困に陥ることなく生きてきた男です。
彼は、誰からも愛情を受けることなく、日々を過ごしてきましたが、ブルース・ウィルス演じる未来の主人公は、とある出会いをしてしまいます。
愛を知った男と、愛を知らなかった男
「ルーパー」という物語は、未来の自分が殺しにくる、という少しだけひねった物語ですが、根本的なことは、愛情が人間をかえる、という物語といって差し支えないと思われます。
本作品は、SF的な物語にみせつつ、普遍的な愛情の物語になっているところが面白いところです。
ブルース・ウィルスになった男オールド・ジョーは、自堕落な生活の中で東洋人系の女性と運命的な出会いをします。
自堕落で自暴自棄な生活を送っていたオールド・ジョーは、妻を得たことで変わります。
そのあたりのやりとりについては、オールド・ジョーとジョーのダイナーでのやりとりでわかるところですが、出会いをしていないジョーは、彼の考えを理解することができずに反発してしまいます。
ブルース・ウィルス演じるオールド・ジョーは、納得した上で未来の自分を殺し、30年間の安寧と堕落を手に入れたはずでしたが、妻のために運命に抗うことに決めます。
そして、そのために30年前に戻り、組織を牛耳る「レイン・メーカー」という男を殺すことで、未来を変えようとするのです。
下手をすれば、未来からきたへんな親父の物語になるところですが、視聴者である我々は、ブルース・ウィルスになるまでをダイジェストで見ることで、オールド・ジョーに対しても一定の共感ができるところがいい演出となっています。
完全な余談ですが、未来からきた自分と対面するという点で、佐藤秀峰の「Stand by me 描クえもん」を思い出したりするところです。
一方で、若い主人公のジョーは、オールド・ジョーに言われた「レイン・メーカー」を探すべく、とある親子に出会います。
アクション担当
あとは、ひたすらブルース・ウィルスは、アクションシーン担当となります。
ひたすら、レイン・メーカーになるだろう子供を見つけ出して殺し、組織に追われるのをなんとか逃げる。
この映画の難点をあげるとすれば、ブルース・ウィルスという男は、現在の自分との協力体制には重きをおかず、ひたすら自分の目的のために殺人をし続ける、といった点でしょうか。
愛情を知ったにも関わらず、他人の愛情を次々と奪っていく。
未来で学んだはずの彼は、現代にタイムスリップしたときには、学ぶことをしないままに、ひたすら憎悪の連鎖を広げていってしまうのです。
物語担当
一方で、現代のジョーは、とある親子のもとで暮らします。
それは、未来の「レイン・メーカー」と思われる子供とその母親であり、子供であるシドはとてつもない力を秘めています。
この作品では、なぜか「TK」と訳されている、テレキネティック能力が発言した世界となってもいます。
テレキネティック能力とは、ごくごく簡単に言えば、道具や手をつかわずに、モノを動かしたり浮かせたりする能力と考えていただいて結構です。
SFのタイムスリップものにもかかわらず、さらに超能力ものという詰め込んだ設定の中ですが、この世界の中でのTKという能力は、いわば、他人とは違うチカラぐらいで考えておけばいいかと思います。
他の人間は、コイン1枚を浮かせるのがせいぜいにもかかわらず、シドという子供は人間一人をいともあっさり殺してしまうぐらいの能力をもっているのです。
「この子は能力のコントロールさえできれば大丈夫なの」
と、主人公の母親は、弁解しますが、未来では「レイン・メーカー」として、脅威になっていることがわかっているため、その言葉は空々しい限りです。
ちなみに、未来の指導者とかそういった立場になる子供を守る母親という構図は、いわずとしれたターミネーターを思い出すところです。
はからずも、ターミネーターの主人公であり、未来の英雄ジョン・コナーの母親の名前はサラ・コナーであり、「ルーパー」の母親の名前も、サラだったりするので、もしかしたら、意識してつけられた名前かもしれません。
愛情の行方
現代のジョーは、サラという女性によって、愛情を知ることになります。
過去の自分によって、未来の自分に影響がでる、という設定があるため、ブルース・ウィルスは、サラという女性に惹かれつつある主人公の記憶がフィードバックし、未来の東洋人の奥さんとの記憶が曖昧になっていくことで、苦しんでいるシーンなどもあります。
ブルース・ウィルスも苦悩しながら、とはいえ、殺人マシーンとしてシドを襲うことはとめません。
憎しみの連鎖をとめるのは愛情
未来の「レイン・メーカー」である男の子は、母親を失うことで、世の中を憎み、確実に世間を支配する男になってしまうことが示唆されます。
シドの世間を憎むその表情は、たしかに、能力があるだけに絶望的な未来を感じさせる凄みがあります。
現在の主人公ジョーは、とある行動によって憎しみの連鎖をとめます。
ブルース・ウィルス演じる未来のジョーは、東洋人の奥さんの愛情によって変わりました。
現代のジョーは、サラ親子と出会うことで、愛情を知り、その結果、自分の未来を変えてしまいます。
この物語のラストに納得いかない方もいるかもしれませんが、この物語は、ループする憎しみを断ち切るための物語です。
このあたりもターミネーターを思い出させてしまうところですが、本来出会うはずのなかったジョーと、サラが出会うことで未来はかわり、物事は動きます。
サラという女性は、おそらく、依存症の人間の可能性が高いと思われます。
何も手にもっていない状態で、タバコを吸うような動作一つとってもそうですし、主人公を呼び出して、行為にいたる様などは、ニンフォマニアの雰囲気もあります。
何より、主人公が倒れているのをみて、「麻薬の禁断症状よ」と断言する時点で、サラという女性の方向性はわかるところです。
ただ、彼女もまた、シドという男の子への愛情によってかわり、おそらくは、ジョーという男との愛情によって変わったに違いありません。
そうでなければ、未来のシドは「レイン・メーカー」にはならなかったはずだからです。
本作品は、SF設定や超能力設定もあってわかりずらい側面もありますが、憎しみのループをとめるための方法を提示した作品となっていますので、SF設定があまり得意ではない人も、一つの愛情の物語としてみると、見方が変わるかもしれません。
以上、愛情こそが世界を変える/ライアン・ジョンソン「ルーパー」でした!