シネマトブログ

映画の評論・感想を紹介するサークル「ブヴァールとペキュシェ」によるブログです。不定期ですが必ず20:00に更新します

彼らはマイノリティの代弁者なのか?テディベアは2度結婚する/テッド2(ted2)

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 絶賛放映中の「テッド2」を見てきました。


中年おやじになってしまった命あるテディベアとその持ち主である男との友情を描いた作品として、40億円を超えるヒットをたたき出した「テッド」の続編です。


現在公開中ではありますが、後半はネタバレしますので、ネタバレを恐れない方、そもそも、ネタバレしても、まったく問題ない物語でもありますのが、気にしない方は、それを踏まえた上でご覧いただければと思います。


前作の「テッド」の解説・感想については、以前に書いておりますので、予習・復習がてらにご覧いただいてから、戻ってきていただけると幸いです。

 

 

テッド2、相変わらず面白いのですが、テッドの一作目と見比べると見劣りする部分があります。

なぜ、見劣りするのか。

物語の終わりの終わりに、何が待ち受けているのか。

考察と解釈の名の下に解説・感想を書き綴っていきます。

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テッド2のはじまりかた


オープニングで、テッドと前作の彼女であるタミ=リンと結婚式をあげます。

 

そして、こんなにお金をかけて大丈夫か、と思うくらいのダンスシーンがあります。映画の中で一番お金をつかっている部分じゃないでしょうか。


その1年後、伝説のボクサーであるジェイク・ラモッタの映画レイジング・ブル」の場面を再現した夫婦ケンカからはじまります。


ちなみに、ロバート・デニーロ主演のこの映画は、一人の孤独なボクサーの理解されない戦いを描くと共に、試合前に、股間に冷水をかけて冷やすなどの名シーンもあり、巨匠マーティン・スコセッシによる傑作映画の一つでもあります。

ただ、このパロディがそこまで内容にかかわってくるかというとそんなことはありません。

 

 

タミ=リンとテッドの夫婦仲が悪くなっている中、「白ニガ夫婦みたいに、子供をつくれば夫婦仲は元通りよ」という、黒人のおばさんにそそのかされて、その気になるテッド。

 

夫婦仲を復活させるべく、物語ははじまりを告げます。


テッドの見所としては、やはり、このケンカのやりとりでしょう。

傍から見れば、ぬいぐるみであるテッドと人間が本気で言い合いをしたり、殴りあったりするところに滑稽さと面白さを見て取ることができます。


そうしている間に、テッドがドサクサまぎれに手に入れていた市民権などが、次々と見直されて、タミ=リンとの婚姻関係が無効。

運転免許も無効。

 

テッドは、自らの権利を求めて闘うことになります。 

実在しない存在の裁判映画ものといえば

 

ファンタジー的な存在を裁判という大真面目な舞台で議論することで有名な映画は、名作中の名作「34丁目の奇跡」でしょう。

 

自分のことをサンタクロースだと言う老人が、デパートのサンタクロースになることで、次々と話題を呼びますが、ちょっとした事件によりサンタクロースと名乗る老人は、精神病院に入れられてしまいます。

やがて、老人が本物のサンタクロースか否かを、裁判で決着をつけることになります。

 

老人は単なる妄想でサンタクロースと思っているのか。本当に、サンタクロースなのか。

 

それが、アメリカの1ドル札をきっかけに、アメリカ人の神への信仰と建国理念そのものに踏み込んでいきながら、ものすごく深い話に発展してく傑作です。

 

「テッド2」でも、ぬいぐるみであるテッドは、人であるか否か、ということを争われることになります。


予告でもありますが、テッドに魂はあるのか、と聞かれて、歌のソウルミュージックを歌いだして、黒人の裁判長と手をあわせるシーンなどは、テッドの奔放さと人(?)柄がよく現されたよいシーンです。

 

 

黒人奴隷というアメリカの歴史


ちなみに、アメリカの奴隷制度というものが下敷きにあるというのが随所に見られます。

 

スーパーの同僚のおばさんが、「アフリカにいたころ、川で洗濯していたら誘拐されたのよ」と、さも自分のことのように奴隷であった黒人について語ります。

 

「あんたは、歴史の生き証人だね」

 

と、テッドは皮肉るシーンがあったり、劇中で黒人奴隷の男の子が自分自身の源流をたどる連続ドラマ「ルーツ」が流され、クンタ・キンテという男の子が、お前はトビーだ、といって名前をとりあげられそうになるシーンが流されるなど、黒人奴隷が当たり前にいたというアメリカの歴史について触れています。

 

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また、監督であるセス・マクファーレンが、黒人奴隷が人間か所有物かということを争った「ドレッド・スコット事件」をもとにつくったという話もあり、ところどころに黒人奴隷という歴史が登場するのも、興味深いです。


また、予告編では、パブリック・エナミー

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 の「ファイト・ザ・パワー」が流れています。

これは、そのまま「権力と戦え!」という意味の歌で、この歌のせいで、実際に暴動にまで発展したという意味のある歌になっています。

それをテッドで流してしまうという、この危険さは、さすが恐れを知らないコメディ映画といったところです。

あいかわらずのギャグ。

 

テッドといえば、連発されるギャグです。

テッド2は、前作のギャグよりもはるかに下品で、マニアックです。

 

劇場で売られているパンフレットには、映画評論家である町山智浩氏による解説が載っているのですが、その解説がなければ、全然理解できないと思います。

 

財布に余裕のある方はパンフレットを買っていただいて、映画をみている最中に明らかにギャグだと思われる箇所や台詞があったとしても、「うーん、わからない。わからないから笑っちゃ駄目なのかな」と思わないで、雰囲気のままに笑ってください。


劇場内で笑っている人の大半は、絶対にわからないはずです。


ドラッグの畑を見つけるテッドが「群れで動いている」とその感動を伝えます。

音楽や台詞から、スティーブン・スピルバーグ監督の傑作、いわずとしれた「ジュラシック・パーク」のパロディだとわかるのですが、「ジュラシックワールド」のために見直していたり、昔から何度もみていたりすれば別ですが、そうでなければ、なんかみたことあるけど、なんだっけ、と首をかしげることになります(映画ブログを描いている人間がこのようなことを書くのは色々と失格ですが、それは置いておいてください)。


ある意味、映画力を試される作品になっているのは、前作同様ですが、テッド2は輪をかけて試してくる作品となっていますので、全ての疑問はパンフレットにまかせて、純粋に映画を楽しんでください。

 

また、スタンダップコメディアンをからかうシーンなどでは、昨年無くなったロビン・ウィリアムズの名前を執拗にだしてきたり、ギャグなのかヤバイのかすれすれのところが多く、ブラックコメディ色が強いのも今作の特徴でしょう。


勿論、アクションシーンもあります。

なぜか日本で言うコミックマーケットのような、アメリカ最大級のおたくイベント、コミコン会場にテッドたちは行きます。

 

そこで、再び狙われるテッド。

 

コミコン会場では、ゴジラが暴れ、タートルズがカウワバンガーと叫び(誇張あり)、悟空は怒りのあまりスーパーサイヤ人になり、上司と部下と敵が一緒に仲良く歩きます。

 

テッド1のテレビ落下シーンのような痛々しいシーンも多く、場面場面での見所が沢山あります。

ガラスがやたら割れるというギャグも面白いです。


テッドという映画を、下品なギャグが多く、映画を知っていれば知っているほど楽しめる作品です。

テッドの一作目でその2点に共感した人は、間違いなく楽しめる作品です。


町山先生の解説付きパンフレットを片手に、興味のある方は是非劇場へ。


以上、「テッド2、テディベアは2度結婚する」でした!

 

ここからネタバレ(テッド1の出来の良さから)

 

っと、今まで書いてきましたが、テッド2は、テッド1を期待していた人からすると肩透かしにあったような気分になる人も多いと思います。

 

ここからはネタバレですので、偏りの無い気持ちで映画をみたい人は、視聴後に戻ってきていただけるとありがたいです。

 

さて、肩透かしの理由ですが、


その理由の一つは、前作のヒロインであったミラ・クニスが出演していないということです。


ミラ・クニスが妊娠により俳優業を休んでいることから、テッド2では出演しておりません。


主人公であるジョンと、ミラ・クニス演じるロリーは、前作で華々しく結婚して物語が終わりました。にも関わらず、半年で離婚した、ということになっています。


冒頭から、ジョンはそのことが理由で落ち込んでおり、物語の中盤過ぎまで元気がありません。


俳優を休業中のためとはいえ、前作で結婚したにもかかわらず、ミラ・クニスがまったくでてこないというのでは、さすがに納得ができません。


劇中では、「お互いうまくいかなかったのさ」ということで終わっていましたが、それで納得できるほどテッド1の出来は悪くないのです。


「テッド1」は、4年付き合った恋人と、小さい頃からの気が合いまくる親友との間で大人になれずに悩む男の物語でした。


でも、自分の願いのために27年も一緒に歳をとってきたテディベアをないがしろにできるわけもなく、自分のことやテッドのことを理解してくれる彼女の中で揺れ動く中、最終的にテッドを切るのではなく、ミラ・クニス自身がテッドを望むことで、親友を切らなくても、恋人との結婚をすることができる、という普遍的な悩みを下品なコメディで見事に表現したのがテッド1でした。

 

しかも、一度テッドを失ったことで、はからずも大人になったジョン。

 

友情も愛情も両立していいじゃないか、という新機軸。

一挙両得のすばらしいビルディングス・ロマンになっていたのが、テッド1の出来の良さの理由です。


それが、半年で別れてしまったとなったのであれば、当然しかるべき理由が必要です。

 

ですが、劇中では、それが語られることはなく、新米弁護士であるサマンサに少しずつ心を惹かれていく、ということになるため、そもそも、ミラ・クニスが気になってしまって集中できません。


ジョンとロリーとの離婚の理由がわからなければ、次に行くことなんて当然できないのに、それは語られない。

それは見ている側に、物語への没入を防ぐことになってしまいますが、離婚の理由については、後ほど考察しておりますので、最後までお読みいただければと思います。

 

ジョンの理想のメリー サマンサ

 

突然ですが、傑作ラブコメディ映画「メリーに首ったけ」は、映画監督であるファレリー兄弟が理想の女性を作り上げたものであるというのは、以前のエントリーで紹介したとおりです。 

実は、テッド2にでてくるサマンサも、テッドとジョンにとっての理想の女性になっています。


サマンサは、26歳の新人弁護士ですが、テッドはあまりに若い弁護士だから、さっさと帰ろうとします。

ですが、予告でもある通り、ドラックを吸っているのをみることで、気を変えてすぐに意気投合します。


それから、3人でテッドの人権を確保するために図書館で勉強して、ドラックを吸い、踊ります。

 

映画や、テッドやジョンたちの趣味である80年代カルチャーについてはほとんど知りませんが、彼らの趣味に文句をつけることなく、テッドとジョンのために文句も言わずに働きます。


一応、3D映画として公開された「グレート・ギャッツビー」の作者であるF・スコット・フィッツジェラルドすら知らないテッドたちにあきれたりはしますが、ゴラムの目をした彼女は、すごく優しいです。

 

あまり素行のいい学校とはいえないアリゾナ大学にいたという話から、ヤンチャをしていたに違いない、というエピソードはありますが、彼女の欠点というにはほど遠い、むしろ、彼らにとってプラスにしかなっていない内容です。

 

そして、テッド2では特別男らしいところをみせることもないジョンと恋に落ちます。

 

やがて、ミラ・クニスとの離婚で傷ついていたジョンは、彼女といちゃいちゃしまくるのです。

26歳の弁護士の女性と、36歳の中古自動車のおっさん、少なくとも劇中においては、恋におちる理由がわかりません。

 

テッドとジョンの関係について一切何もいわないで、一緒にドラックを吸ってくれる。

えっちな話をしても全然平気で、男の股間を模したドラック吸引機を恥ずかしげもなく吸うオープンさ。

 

そんな存在がいるはずがないのです。

 

メリーに首ったけのメリーもまた、医者という高収入であり、やさしく、エッチな話も聞いてくれる。


サマンサこそ、テッドにおけるメリーと言わずしてなんといいましょう。

なぜそんな都合のいい存在がいて、ミラ・クニスとは離婚してしまうのか。

そう考えていくと、実は、テッド2は、ホモソーシャルの行き着く果てを描いた物語になっているのではないかと思いはじめることになります。

 

ブロマンスの行き着くところ


ホモソーシャルとは、ゲイのことではありません。

男同士の緊密な絆や関係を表したものです。

 

比較的最近のものであれば、ジョナ・ヒルが主演した「スーパーバッド 童貞ウォーズ」は、女の子とえっちをするために、男同士でお酒を買いに行くという物語もブロマンスであり、ホモソーシャル的な話でもあります。

これは、ジョナ・ヒルが大学にいくことで親友と離れ離れになることを悲しむあまり素直になれないもどかしさを描いた物語でもあります。

男二人で、布団に入りながら卒業することを嘆くシーンは、心にしみるものがあります。このシーンだけ書くと、ぎゃーとなりますが、物語的には美しい友情物語です。

 

 一時、人気になった「シャーロック」なども、名探偵ホームズとワトソンとの友情を描いたものになっていますし、日本の映画でも、増村保造監督、勝新太郎主演の「兵隊やくざ」なども、戦争という異常な状態の中で、大宮2等兵と有田上等兵でのホモソーシャルな関係を描いたものになっています。


テッドという物語そのものが、前作でも親友と彼女との間で揺れ動く男の関係を描いている、というのは重ね重ね書いてまいりました。


女弁護士であるサマンサをくっつけるために、テッドは何度もジョンにけしかけます。


結果として、月夜の晩にジョンとサマンサはお互いの気持ちに気づくわけですが、いちゃいちゃする二人に対して、テッドが過剰に怒り、二人の目の前から去ってしまいます。

 

このエピソードのおかげで、コミコンを大騒動に巻き込む大事件に発展するわけですが、自分からけしかけておいて、くっついたら怒るとは何事か。

もちろん、テッドが裁判で負けて、モーガンフリーマン演じる弁護士に弁護を断られたというのに、テッドを無視していちゃいちゃされれば、少しは怒るのは当然とは思います。

ですが、テッドの人権がなくなったからといって、すぐさま問題になるような緊急事態は起こっていないので、テッドの怒りはちょっと先走っていると思わざるえません。

 

これだけでは、まだ足りませんので、ほかの例もあげていきます。

ミラ・クニスと別れた理由


テッドがジョンのパソコンをみたときに、叫びます。

「ホワット ア ファック!」

 

えっちな画像が1000枚以上入っており、しまいには、獣がでてくるものだったり、男性のシンボルが生えている女性の写真まで見つけるにいたって、さすがのテッドもジョンの異常を疑います。

 

「誰でもいいから、女を見つけるんだ」

 

でも、テッドも、○○○の生えている女より「胸のある男だろう」と意味のわからない返しをします。

二人のストライクゾーンがかなり広いことがわかると共に、ジョンが病んでいることがわかります。テッドも、いい感じに頭がおかしいこともわかります。


そして、極めつけは、裁判所でテッドが「俺は、ホモの代弁者だ!」と叫ぶところです。

これは、ホモに限らず、黒人だとか差別されているマイノリティの代弁者なのだということを言いたいのだと思っていたのですが、「ゲイの、いやホモ、ホモだったな」といいなおして、強調するあたり、何が面白いんだろうとは思っていました。


いきついた男の友情は、一種のホモソーシャル的な関係になってしまうというのはいいとして、やはり、テッドとジョンの関係もまた、少々常軌を逸しているといわざるえません。


さて、それを踏まえた上で、ジョンがミラ・クニス演じるロリーと、たったの半年で別れてしまった、ということを考えます。

 

これは、さきほども書いたとおり、役者が休業中というやむえない事情が当然あってのことではありますが、何の説明もないままに離婚し、作中でジョンが入院してしまったとしても顔もだすことがないという現状を考えると、はからずも浮き彫りになってきてしまう事実があります。

 

男同士の友情はやっぱり、女性との愛情を阻害してしまうということでしょう。

前作では、友情も愛情も取るというところがテーマだったのにも関わらず、です。

 

テッドの1作目でも、テッドと離れて暮らした途端、ジョンはやる気を失ってしまいます。それが、結婚してからのジョンがずっとその調子だったとしたら。


ジョンとロリーも映画「スピード」が言うように、吊橋効果によって、危険な場所で出会った男女が恋に落ちたとしても、ドキドキがなくなってしまえばすぐ別れる、という論理であれば理解できます。

 

ですが、彼らは4年も付き合って、テッドの死という衝撃によって物語的に大人になり、成長した上で前作を終えたはずです。


その彼らが、たった半年で離婚するはずがない。


っということは、終わり無き友情の行き着いた先に、ロリーは耐えられなくなり、あっさり別れてしまったのではないか、と思うのです。

 

だって、4年もテッドたちと過ごしてきたのに、今更隠し事もなにもないはずですし、性格の不一致もなにも、ロリーは「彼はボストンで一番かっこいいの」とベタ惚れだったはずです。

たんに、愛想を尽かしたんでしょうが、それはとっくに前作で乗り越えていたはずのことです。


テッドもまた、「君なしには考えられない人生だ」と、ベッドの上で寝ているジョンに語りかけるシーンもあり、お互いがいかに切っても切れない縁であるかがわかります。

 

そもそも、ジョンの願いに応じてテッドが現れたので当然といえば当然です。

 

テッドのシナリオ的面白さと、2がいまいちな理由

 

テッド1でシナリオ的におもしろかったのは、友情と愛情で揺れ動く男の話だったことです。

テッド2の肩透かし感は、ぬいぐるみであるテッドに人権があるのかという話に見せかけながら、テッド自身の問題は物語の序盤で解決されているということもあると思います。


夫婦仲をよくするために子供をつくるという話だったのですが、裁判を通じて、タミ=リンとテッドは、早々に、以前よりもずっと強い絆で結ばれています。

 

子供がいなくても、彼らの夫婦仲はすでに戻っているのです。

 

そこから、ジョンとサマンサの話になります。

ミラ・クニスは、現実的な女性として存在しています。テッドという親友と私のどっちをとるのかと決断を迫る女性。

 

でも、サマンサは理想の女性なので、決断をせまりません。

 

言葉ではださなくても、歌と行動で自分からジョンに愛の告白をし、ジョン自身は特別な努力をしないままに、ジョンの問題が解決されてしまいます。

 

テッドが追われるシーンは、すでに物語としての消化試合と化しており、物語の盛り上がりとしてはいいのですが、シナリオ的にはそれほど重要ではなくなっています。

また、何より重要なのは、テッドは人権を奪われたといっていても、テッド自身は何一つ変わっていないのです。

 

所有物だと判決がだされても、変わらずテッドに接する人たち。誰一人、テッドをものだと思って冷たく接する人なんていないのです。

所有物になったから誘拐しようと考える人は、本当のところ人権とかとは別に関係ないのです。

 

だから、この物語で登場人物たちが解決する問題というのは、物語全体の盛り上がりにそれほど関係がなくなっている。


テッド1は、主人公達の悩みの解決そのものが、シーンを盛り上げ、決断につながっているからこそ見ている側も熱くなるのです。

 

ただし、先ほども書きましたとおり、ブロマンスがいきつく先を描いてしまった作品としては、見所がありますし、コメディとしては、より下品になっているので、テッドの1作目が気に入った人は、見て損はありません。

 

御伽噺が終わり、さらにその終わりの先にある現実を垣間見ることができる「テッド2」

前作で、友情と愛情を両立するとしたテッド1そのものが、2作目でそれを否定してしまっているということは、テッドを愛する人たちそのものへの皮肉になっているような気がするところもまた、皮肉な作品です。


以上、「彼らはマイノリティなのか?テディベアは2度結婚する/テッド2(ted2)」でした!

 

文中で紹介したエントリーを再度紹介します。

 

 

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