これぞ逆境! ゼロ・グラビティ
突然ですが、本当の意味で孤独になる、というのはどういう状況でしょうか。
2013年に公開され、ロードショーで地上波放送も行われることになった「ゼロ・グラビティ」。
この映画はたしかに宇宙を舞台にした映画ですが、一人の女性が、逆境を乗り越えて成長する姿を描いた作品にもなっています。
「宇宙で生命は存続できない」
一人の人間が、どのような軌跡をたどって、自分のトラウマを克服していくのか。
たんある宇宙もの、というだけではない「ゼロ・グラビティ」の魅力について深読みしてみたいと思います。
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宇宙はつらいよ
主人公であるサンドラ・ブロックは、2016年現在においてもっとも高額な出演料をもらえる女優と言われています。
と同時に、「ウルトラ I LOVE YOU」でゴールデンラズベリー賞、「しあわせの隠れ場所」で、アカデミー主演女優賞を受賞するなど、色々と実力派の女優となっています。
「ゼログラビティ」においては、医療技師を務めているライアン・ストーン博士を演じ、作品の中の大半の演技をサンドラ・ブロック一人で行っており、その演技をみるだけでもかなりの見ものとなっています。
物語は、いきなり船外作業からはじまります。
穏やかな風景は開始してすぐに終わり、飛んできた宇宙船の欠片によって仲間が死に、宇宙ステーションが破壊され、何もない宇宙へと投げ出されてしまいます。
空気は残り少なくなり、事故の影響から、地球とは連絡がとれなくなる。
この映画は、宇宙での遭難という、極限の状態をどうにかしようとする物語だけで、ほぼ90分の物語を形作っていきます。
この宇宙は何なのか
宇宙を扱ったアニメといえば、谷口吾郎が監督を務めた「プラネテス」です。
宇宙があたりまえになった人類が、いままでの宇宙開発によってつくりだしてしまった宇宙のゴミが問題になった未来が舞台になっています。
その宇宙のゴミ、スペースデブリを掃除するための会社に勤める主人公達が、宇宙にかけるそれぞれの思いを胸に仕事をする、という職業アニメです。
この作品では、かっこよくてスマートな宇宙船にのっての仕事、というイメージに対して、真摯に取り組んでいるのが特徴的です。
宇宙服は脱ぐのに時間がかかります。そのため、途中でトイレにいきたくなってもいいようにオムツを履きます。
宇宙だからカッコいいというより、そのかっこよさの中にあるダサさ、それをかっこよくみせる良作です。
さて、「ゼロ・グラビティ」は、宇宙を描く上で非常に正確な部分もありますが、優雅にしすぎているシーンもあります。
サンドラ・ブロックが宇宙船を脱いだら、オムツをはいておらず、下着のような姿で宇宙服からでてくる、というシーン。
こんな格好で宇宙服を着ることなんてない、という話もあるようですが、この点については、映画だから、という理由で十分です。
映画はあくまで、映像を見せるというのが大きな役割になります。
事実として正しくても、映画としての画面の格好良さがなければ、それは正しくないのです。
ゼロ・グラビティにおいても、科学的な考証として正しい部分もあれば、今言ったような映像的な問題や、シナリオ上の問題を優先させている部分があります。
さて、たしかに「宇宙」を取り扱った映画ですので、ある程度の正しさが必要ですが、この映画についていえば、これは、意図的に行っている部分が大きいと思います。
宇宙服を脱ぎ去って、オムツをはいていないシーン。
その後、脱いだあとにサンドラ・ブロックは膝をかかえるようにして丸くなります。
まるで、母親の胎内にいる赤ん坊のようなポーズをとるのです。
さて、これはどういうことなのか。
こういった宇宙という極限の場所を扱っていて、しかも、一刻の猶予もない、という状況の中で、あえてこんな非現実的ともいえる場面が入っていることで、この物語が、何を言いたい物語なのかがみえるヒントになっています。
人は逆境を越えて強くなる。
「ゼロ・グラビティ」のプロデューサーであるデヴィット・ヘイマン氏のインタビューが東洋経済ONLINE上に掲載されており、そこでも強調されているのですが、この映画は逆境を取り扱ったものだと言っています。
ゼロ・グラビティの基本的な物語のプロットは複雑ではありません。
wikipediaには全てのっているので、詳細は省きますが、船外活動中に宇宙に放り出されたサンドラ・ブロックが、酸素切れやスペースデブリによる危険を避けながら、国際宇宙ステーション「ISS]に行き、中国の衛星「天宮」にたどり着き、無事地球に帰ることができるのか、というのがざっくりした内容です。
そのため、パニックやサスペンスといった要素でみていくことも十分にできるつくりになっているのですが、やはり、演出から深読みができる部分はかなりあります。
それは、人間は逆境によって、自分のトラウマといった過去を乗り越えていくことができる、というものです。
先ほども記述した通り、酸素が切れて朦朧とする意識の中で宇宙船に逃げこむことができた主人公が、宇宙服を脱ぎます。
本来であれば、命からがら助かったのだからよかった、と思うところですが、これは、サンドラ・ブロックが宇宙船という殻に閉じこもってしまった、ということを意味するのではないでしょうか。
あえて、時間がない中、胎児のポーズをとる必要なんてないわけです。
だからこそ、このシーンには、胎児のようになってしまったサンドラ・ブロックが露骨に想像できるようにしてあるのです。
赤ん坊というイメージは、物語のラスト付近でも使われております。
最後には地球に戻るという話だから、あえてネタバレしてしまいますが、サンドラ・ブロックは地球に戻ってきます。
そして、地球に戻ってきたときに、よろよろとしながら、一歩、また一歩と歩き出すのです。
まるで、赤ん坊が始めて歩き出すのをみているような演出になっており、この物語が、一人の女性が過去と向き合い、やがて、一人でたどたどしいながらも、未来にむかって歩いていく、という明るいエンディングとなります。
トラウマと向き合う。
ここからはかなりうがった見方になってしまいますが、この物語の主人公は、娘を亡くしています。
その娘への罪悪感から、心を閉ざしているのです。
主人公は医療技師にも関わらず、宇宙にきている、という事実からも、何か特別な感情があるからこそ、宇宙にでてきた、と読み取ることも可能です。
宇宙とは、地球からもっとも遠い場所です。
ある意味、自分の過去から逃げるために、宇宙にきたのではないか、と推測することも可能なのです。
ですが、最後には逆境の中で、死者に対し「失くしたと思っていた赤い靴は、ソファの下にあったわよ、って言っておいて」と、自分の娘の死を認め、自分の中の気持ちと折り合いをつける描写があります。
その姿が、宇宙から再び地球に戻る、という形で表現され、且つ、踏んだり蹴ったりな状態ながらも、歩き出していくサンドラ・ブロックが、たしかに逆境の中で成長していく様が見える点が、素晴らしいです。
この映画は、壮大な宇宙での漂流ものですが、見方をかえれば、主人公の状態そのものを、宇宙という形で表した作品ともいえるのです。
そのため、宇宙ものとして正しいか、というよりは、彼女の心の動きとして正しいか、という点を注目することで、より面白くみることができるのではないでしょうか。
また、本作品は本来3D映画として見た場合に、もっとも面白くみれるようにつくられた作品です。
ですが、家庭のテレビで見たとしても、十分に魅力的な作品になっておりますので、3D映画じゃなきゃ見る意味ない、と思っている人も、あっという間に90分を過ごすことができますので、心の宇宙に漂流する前に、是非ご覧頂きたいと思います。
以上、「これぞ逆境! ゼログラビティ」でした!
撮影監督が同じルベツキの映画は以下、バードマン・レヴェナントとなっています。