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シネマトブログ

映画の評論・感想を紹介するサークル「ブヴァールとペキュシェ」によるブログです。不定期ですが必ず20:00に更新します

通過儀礼のお手本映画/「アポカリプト」

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イニシエーション(通過儀礼)と聞いてみなさんはどんなことを思い出すでしょうか。

通過儀礼は、世界でも古来から大人になるための儀式として存在しており、バンジージャンプなんかは、通過儀礼が娯楽としても認知されてしまった稀有な例といえます。


映画は、その人生の一瞬を描いたものが多いということもあり、人間の成長する瞬間を、通過儀礼として描いている場合が大半です。

単純な図式で言えば、少年と少女が出会ったことにより、少年は少女を守るために大人になる、といった精神的な図式は、説明するまでもなく入りやすい事実だと思います。


通過儀礼そのものに戻ると、アフリカの部族などはいまだに危険な儀式を行っているようですし、日本においても、元服といった儀式によって成人としての振る舞いをするように区切りがつけられていました。


今回は、そんな通過儀礼としての意味がこれでもかとちりばめられたメル・ギブソン監督映画「アポカリプト」について、語ってみたいと思います。

 

通過儀礼は突然に

 

アポカリプト(原題 Apocalypto)」は、映画「地獄の黙示録(原題 Apocalypse Now)」を見てもわかりますとおり、「黙示録」を意味し、アポカリプトギリシャ語で、隠されていたものが明らかになる、という意味があるそうです。


この映画は、全編マヤ語でつくられたという点も珍しいですが、その映画自体にある数々の通過儀礼が映画内をより象徴的にみせてくれます。


奥さんとの間になかなか子供ができない男がいるのですが、その彼はみんなにからかわれています。


正直言って、こんな古代からこんないじめが行われていると思うと、非常にやるせない気分になるところですが、最後までみてみると、自分自身のプライドなどから、まわりとうまくいかなくなっている男を、成長させようとしている光景なのだとわかってきます。


物語冒頭で、その男は、捕らえた獣(バク)のタマを食べるように言われます。「またかよ、俺はいやだ」といいはるのですが、「俺の親父は、タマを食べて10人は子供をつくった。そうすりゃすぐにでも子供ができる」といわれて、食べます。


そのすぐあとに、からかわれてしまうのですが、男は逆上。

そのあと、人の良さそうな初老の男が、とっておきのことを教えて慰めてくれます。

その後、実はその男にも騙されていて、男は叫んで泣きながらみんなに笑われます。


正直、村のいきがっている男が、酷い目にあって、まわりは楽しいという娯楽かと思ってしまいそうになるところです。


ですが、男は、あまりに自分が惨めで酷い目にあいすぎて、逆に笑ってしまうのです。


これはいじめではなく、なかなか子供ができない男のプライドをへし折って、ふっきれさせようとする行為なのだと思いました。

自分の弱さをさらけ出すこともまた、通過儀礼として、村社会に受け入れられることの一つなのです。


アポカリプト」においては、冒頭でも述べたように通過儀礼というのが非常に象徴的に描かれているため、その点を意識するとより楽しむことができます。

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幸せの絶頂からの転落

 

主人公を含む複数人が狩りをおこなうところから物語は、はじまります。

バクを複数人で追い詰めて、罠にかける。

この冒頭のシーンそのものが今後の伏線になっていることも非常に物語のつくりとしてしっかりしています。


本作品の主人公であるジャガー・ポウは、代々森で狩りをしてきた男の子供であり、将来は、長として活躍することを運命づけられています。


小さな男の子と、臨月でお腹のおおきな若い奥さん、勇敢で頼れる父がおり、村のみんなからも信頼が厚い。


そんな幸せの絶頂にいる彼のもとに、マヤ文明の都市から武装した男たちがやってきます。


あっという間に村は惨状に包まれ、ジャガーくんは、奥さんと子供を古井戸のようなところへロープで下ろし、隠します。


しかし、仲間たちは殺され、ジャガーくんもまたつかまって都にいくことになってしまうのです。


基本的には、都につれていかれたジャガーくんが、マヤの大都市から逃げ出し、敵に反撃する、というのが物語の概要なのですが、この村を襲われたときに奥さんを隠すというところが、物語をよりスリリングにしています。

 

「雨よ、降らないでくれ」

普通であれば雨が降って欲しいはずなのに、身重の奥さんが井戸の中にいることによって、雨が降ればおぼれてしまうのです。

 

ジャガーが無事逃げられるか、奥さんは助かるのか、そのスリルが映画を飽きさせる暇がないぐらいにテンポよく進める要因の一つになっています。

 

狩るものと狩られるもの

 

ひょんなことから、ジャガーくんは逃げることに成功します。


かつては、バクを狩っていた側であったジャガーくんは、ジャガーくんたちよりも文明的な男たちによって、狩られる側になってしまいます。


ジャガーくんたちからすれば、バクは非文明的(人間ではないのであたりまえですが)。

マヤ文明で人間をいけにえにしている人間からすれば、森で狩りをして暮らしているジャガーくんたちは非文明的。だから、殺してもかまわないという図式、なのでしょう。

 

しかし、マヤ文明の隊長の男が息子をジャガーくんに殺されてしまったことで、逆上し、部下が傷つくのもかまわずに追撃する様は、どちらが文明的なのか、反転してしまいます。


ちなみに、この隊長は、息子がはじめて戦場を経験したことを称えて、ナイフをプレゼントします。ここでも、儀礼行為が行われているのが興味深いところです。

 

 

生まれ変わり

 

通過儀礼は、いままでの自分を殺すこと、にこそ意味があります。


冒頭でも書いたバンジージャンプなどは、紐をつけて安全を確保していますが、基本的には、跳ぶことで自分自身を殺すことを意味します。


キリストもまた、十字架を背負って殺され、三日後に復活したことで救世主になりえたということは有名です。


寮生活を描いた映画などでは、入寮するときに上級生たちから儀式が行われ、散々辱められるということが、今までの自分を捨て、生まれ変わらせるという意味があったりしており、通過儀礼という行為が、生まれ変わりを意味しているのは非常に重要な事柄になっています。


さて、「アポカリプト」では、ジャガーくんは、滝に飛び込んで敵からの追撃をかわしますが、敵も滝に飛び込んで追ってきます。

ジャガーくんの覚悟など、その時点では到底、通過儀礼とは呼べなかったのです。

そして、ジャガーくんは森へ逃げます。

 

次のシーンで、なぜか、彼は沼に沈んでしまうのです。

底なし沼なのか、ジャガーくんは全身が沈みます。

こんなところで主人公が死亡か、と思ったところで、ゆっくりと浮かび上がってくるのです。

 

全身が泥にまみれたジャガーくんは、生まれ変わり、敵を殲滅するための行動にでます。

沼に沈むシーンは、通過儀礼であり、生まれ変わりを実にわかりやすく象徴しているシーンといえます。

 

衝撃の出産シーン。

 この映画の見所は、暴力シーンもたしかにすごいですが、人間そのもの生命力がうまく描かれているところも特徴的といえるでしょう。


ジャガーくんの奥さんが、水におぼれそうになりながら産気づきます。


小さい子供も一緒にいるから、子供も助けなければいけない。
お腹の子供も生まれそう。

井戸の中が水でいっぱいになり、泳ぐこともできない中で、映画史上まれにみる衝撃的な出産をみることができます。


是非、映画をみていただきたいと思いますが、この奥さんや子供もまた、井戸の中で困難に会い、たくましくなっていく様が見ものです。

 

ラストシーンの解釈

マヤ文明は、スペイン人によって征服されてしまったという歴史的事実があるのですが、「アポカリプト」は歴史的に正しい描かれ方をしているか、と言われれば、決して正確には作られていません。

マヤ文明では人間を生贄にする等の儀式は行われていなかったり、スペイン人たちが来るタイミングともあわなかったりと矛盾はあります。

 

ただ、


映画をつくるものにとって、歴史考証をしないのは無責任ではないか等の議論を一切無視させてもらって、あくまで映画のつくりとして考えた場合、この映画の最後のシーンは、非常に単純な主張と考えてもいいのではないかと考えています。


この映画は、ジャガーくんがどのようにして敵を倒し、奥さんを救うのかということがメインなので、ラストに起きるできごとは、ネタバレ等とは関係ないと考えていますので書きます。

ただし、物語の最後のシーンを知りたくない方は、映画をみたあとに戻ってきていただければ幸いです。

 

 

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さて、

 

マヤ文明がスペインに征服されたという事実を一応かすめながら、物語の最後では、スペインの人たちと思われる人間がやってきます。


ジャガーくんを追ってきた男たちは、その光景をみて呆然とします。


十字架をもったスペインの兵士や修道士のような人たちが船に乗ってくるのです。


メル・ギブソンが、カソリック原理主義者というちょっと特殊な宗教観をもっているというのは、一部では周知の事実のようですが、そんな事情を考えると、野蛮な文明人に対して、キリスト教という文明という光がきたのだ、と考えられなくもないでしょうが、今までの物語を見ると、まずは、単純な解釈が先に思いついてしまいます。

 

敵の男たちは、自分たちこそが文明的だと思っていたはずなのに、明らかにそれよりも文明の高い人間たちがやってきた。

それは、マヤ文明の人間たちが、今度は狩られる側にまわってしまうということを意味しているのではないでしょうか。

 

文明的だったところに、さらに上の文明人たちがやってくる。

それは、ジャガーくんがすでに経験したことであり、これからだってそれはやってくるもの。

それがたまたまスペインだったかもしれませんが、何より、自分が強大だと思っていた人たちのもとに、より強大なものが現れるという、平家物語で言うところの驕れるものは久しからずといったところではないだろうかと思うのです。


そういった点では、アポカリプトという題名が示すとおりで、彼らの世界の未来では黙示録的な世界がまっているともいえますし、自分たちが上の存在だと過信するな、という戒めとも考えることができると思われます。

 

その文明が文明を狩っていくことを予見し、うんざりしたジャガーくんは、文明とは関係のない森の奥へと入っていく。 


解釈とか面倒なことを書きましたが、物語の中心は、何度も書いたようにジャガーくんが逃げ、戦い、奥さんを救えるか、というエンターテインメントとなっています。

暴力シーンが苦手でなければ、テンポの良さと迫力は折り紙つきですので、是非ご覧になっていただきたいと思います。

 

映画評論家である町山智弘氏が指摘しておりますが、裸のジャングルという映画と戦い方が酷似しているという指摘もあり、人間狩りから逃げる物語が気に入った方は、そちらも是非見てみていただきたいとおもいます。

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以上、「通過儀礼のお手本映画/アポカリプト」でした!

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