娘が誘拐されたとき、どうするべきか/プリズナーズ
人は何かによって囚われているものです。
道徳や倫理、国家や宗教。
世間など、あらゆる物事は自分たちを囚われの身にしてしまうのです。
ジェイク・ギレンホールとヒュー・ジャックマンが主演する作品にして、同年に「複製された男」も公開したドゥニ・ヴィルヌーヴ監督作品「プリズナーズ」は、一見、単なる誘拐事件にみせながら、その中で、アメリカ社会における囚われている人、囚われない人を描いていく作品です。
娘が誘拐されたなら。
物語のあらすじをざっくり説明してしまいます。
ペンシルベニア州の田舎町で、娘が二人行方不明になります。目撃情報から犯人らしき男を捕まえますが、知能遅滞がみられ、証拠がないことから釈放。
父親であるケラーは、その男を捕まえて監禁・拷問をして娘の居場所をはかせようとします。
一方で、刑事であるロキは、その父親の行動に不信を抱きながらも、捜査を続ける、というのが物語の大枠です。
この物語は、誘拐された娘が戻ってきてよかった、という話ではありません。
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物語のつくりとしては、非常にシンプルで、刑事ロキは、容疑者に会う中で、怪死を遂げている人物をみつけたり、犯人としか思えない証拠を見つけたりするのですが、最後には、犯人を倒して終わります。
この物語の何が優れているのか。
それは、アパラチア山脈の近くに住む彼らの生活から考えていく必要があるのです。
ヒルビリーの生活
物語の冒頭で突然行われるのは、鹿狩りです。
アメリカでは、鹿などの獲物を殺させることによって子供たちを大人へと成長させるための儀式として行っているところが存在しています。
大人への儀式としては、イニシエーション(通過儀礼)として様々な民族が行っているものであり、当ブログでも、形は違っても通過儀礼の意義が大きい映画として「アポカリプト」を紹介しているところです。
鹿狩りそのものは、それほど珍しいものではなく、ロバート・デ・ニーロ主演の映画にして傑作「ディア・ハンター」などは、鹿狩りを楽しむ少年たちが、戦争によってかわってしまう姿を描いた作品だったりします。
今回の場合は、ジェニファー・ローレンスが主演した「ウィンターズ・ボーン」のほうが「プリズナーズ」を理解するには近いものです。
ウィンターズ・ボーンは、ヒルビリーと呼ばれる貧乏な白人の、閉鎖的な世界で認められていく少女の物語です。
主にアパラチア山脈周辺に住むとされるヒルビリーたちですが、「プリズナーズ」でも、貧乏白人というほどではないにしても、主人公の一家はヒルビリー的な思想が強いと思われます。
ペンシルベニア州は、アパラチア山脈が横断する州ですので、設定上無関係ではないでしょうし、何より、「プリズナーズ」の恐ろしさは、その田舎であることの狂気こそが重要なのです。
警察など信用しない。
娘を誘拐されたケラーは、犯人と思われる人物を誘拐します。
この時点で、主人公が異常者にみえるでしょうが、そうではありません。
ケラーには、ヒルビリー的な考えを持っているので、国家には所属していても、国家の奴隷になっているわけではないのです。
ヒルビリーの独自の文化や習慣を伝えたのが「ウィンダーズ・ボーン」だとすれば、本作品は、ヒルビリー的な世界の中にいる人たちの、国家との付き合い方をみせてくれるものです。
ヒルビリーという土台のもと、思想的な部分で補足しますと、ケラーは、リバタリアン思想をもっていると考えられます。
リバタリアニズムとは、国家の力は最小限にしつつ、自分たちの経済的・精神的自由を優先する考え方です。
細かい部分は色々あるので、語弊があることは承知の上ではありますが、この映画における、警察なんて信じないぞ、という考えは、ヒルビリー的な地域性と、リバタリアニズムという思想の上になりたっていると考えられるのです。
金物屋を営んでいるということもありますが、地下にある大量の物品は、国家には期待せず、何かあったときには自分たちだけでも助かろうとするリバタリアンの考えが透けてみるところです。
以上の理由から、ケラーという主人公が、娘を誘拐されてしまったせいで頭がおかしくなってしまった異常者ではない、ということを留意していれば十分だと思います。
どういうことかと言いますと。
俺の家族は、俺が守る!
というワンピース的な考えをもつ男が、あらゆる手をつかって娘を助けようとする物語だと思うと、行動の意味がわかってくるのです。
国家側はどうなのか。
一方で、ジェイク・ギレンホール演じる刑事であるロキ。
彼は、国家側の人間であり、その象徴として描かれています。
それは、彼自身のいでたちからもわかります。
フリーメーンソンの指輪をつけ、太陽の形の刺青をし、その本人の名前をして、ギリシャのでてくる知恵の神であるロキという名前。
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古今東西の神をその身体にもっているロキ刑事は、まさに、多民族国家であるアメリカの象徴のようなキャラクターです。
国家VS個人という構図。
また、キリスト教VS他民族の神。
あらゆる意味合いを内包しつつ、誘拐事件の解決へ動いていきます。
誰が囚われているのか。
本作品のタイトルは「プリズナーズ(囚人たち)」です。
と考えると、いったい誰かが囚人なのか、ということは避けて通れません。
誘拐された娘たちは、当然囚われています。
続いて、容疑者として捕まえられてしまった知能遅滞の青年もまた囚われています。
ケラーもまた、国家ではなく自分で家族を守らなければならない、という意識に囚われていますし、周りの人間もまた、巻き込まれる形で犯罪に加担することとなり、囚われていくのです。
物理的に囚われている人間。
精神的に囚われている人間。
事件を通じてあぶりだされていく様が面白いです。
ここからは、若干ネタバレになってしまいます。
娘を誘拐していた人物は、もともとは神への信仰があつい人物だったと語られます。
「息子を癌で亡くした」
神を信仰していたにも関わらず、不幸が夫婦を襲ったのです。
そして、夫婦は自分たちから子供を奪った神に反抗するために、次々と犯罪が行われていったのです。
でも、神は犯人を罰することはありません。
映画の本筋とはずれますが、神に対する考え方というのはアメリカ社会においては特に重要となっています。
神に反抗し続けるようなことをすれば、神が現れるに違いない、というある種の間違った考えをもつ人間もまたいるのです。
動機が「神への反抗」と言われても、異常者だから理解できないと考えるのではなく、神を信じるがあまりに、神へ反抗してしまうという人間も存在するのです。
神を信じていなければ、そもそも、神に反抗するという動機は生まれません。
クリストファー・ノーラン監督「バットマン ダークナイト」のジョーカーなどはまさにこの考えを体現したような人物です。
人殺しに理由などなく、神に反抗するために、人間を試しつづける本当の悪魔。
「プリズナーズ」の犯人もまた、子供を喪失した悲しみを神への怒りへ向け、そして結果として悪魔にかわっていった、囚われてしまった人物でもあるのです。
話しの流れ自体は、非常にシンプルではありますが、その中に詰まったアメリカという社会や、人間の暗部そのものをあぶりだす作品ですので、気になった方、是非自分自身の中にある囚われたものに気づく、良い機会になるかも、しれません。
以上、「娘が誘拐されたとき、どうするべきか/プリズナーズ」でした!
ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の多作品の紹介については以下となります。