自分に自信のない男が見るべき映画/デットプール感想
2016年6月1日より公開された映画「デッドプール」ですが、このユーモラスで真っ赤なコスチュームのふざけたヒーローが、どんな活躍を見せるのか。
どんなところが見どころかを含めて、感想をつづってみたいと思います。
おばかな物語が始まります。
デッドプールは、マーベルコミックの超有名作品である「X-MEN」に登場したキャラクターです。
細かな説明は、wikipedia等に任せますが、特に今回公開された映画版「デッドプール」においては、以下の点がポイントです。
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一つは、不死身である、ということ。
彼は、一瞬ではないにしても、怪我をしてもすぐに直ります。
この世界は、突然変異した人類であるX-MENがいる世界になっていて、ミュータントと呼ばれる突然変異の人間たちがいる世界です。
X-MENの中で、ミュータントという存在は、一種のマイノリティを意味していまして、他者と違うからこそ虐げられ、差別される存在の象徴として描かれています。
差別するということは、差別する側の恐怖そのものを意味しているということでもありますので、X-MENシリーズというのは比較的暗い雰囲気になりがちです。
ですが、デッドプールというキャラクターは、とにかく良く喋るという点と、次の点において、映画の中でも非常に特異なキャラクターといえます。
そう、その二つ目の特徴として、第四の壁を破る存在だ、ということです。
ただ、この場合、やぶるといっても大げさなものではなく、自分が映画の中のキャラクターであるということを自覚して、観客に対して話しかけるキャラクター、と思っていただければ問題ないと思われます。
ウッティ・アレンの映画などでも、画面に向かって話しかけたりしますし、手法としては演劇がメインだった時代から行われている方法でもあります。
そんなミュータントなデットプールが、いかにして、スーパーヒーローになるか、という物語が「デットプール」なのです。
音楽の使い方
この映画を見るときに気にしていただきたいのはやはり、音楽の使い方です。
デッドプールになる前の主人公は、彼女であるヴァネッサと出会い、結ばれてからひたすら、えっちしまくります。
色々な格好をしながら、女性の権利が認められた日であれば、女王様の格好を、旧正月であればアジアンな格好で、ハロウィンの時は、ヴァンパイアの牙をつけて。
そのダイジェストが、ニール・セダカによるカレンダーガールをBGMに流れるのです。
カレンダーガールという曲は、1年間をかけて、彼女と僕が結ばれていく様を唄ったものです。
そんな純情ともいえる曲を流しながら、ものすごく卑猥なことをしているというギャップが苦笑させられます。
また、デッドプールが、ミュータントとして突然変異をさせるために拷問を受けるシーンでは、もっと絶妙な音楽の使い方をしています。
それは、4人組のフォークソンググループ ザ・コーデッツによる「ミスターサンドマン」です。
主人公が拷問を受けて血だらけアザだらけになっていく中、
ミスターサンドマン。
彼を今まで見たことないぐらい可愛くしてよ。
という曲が流れてくるのです。
彼はヒーローなんかじゃない
映画のはじめのほうで、この映画は愛の物語である、とでてきます。
ヒーローものではなく、愛の物語。
それを考えながらみるだけで、この映画だどういう物語なのかというのが、理解しやすくなってくるのです。
ネタバレというほどではありませんが、この映画での主人公「デッドプール」の目的は、「ミュータント化によって顔がむちゃくちゃになってしまい、彼女に見せることが出来ないため、顔を治そうとする」というものです。
正直、見ているとすぐわかるのですが、主人公ウェイドを演じるライアン・レイノルズの顔が多少ぼこぼこになろうと、それほど悪い顔ではないのです。
ですが、デッドプールは「こんな顔じゃ、彼女に会うことはできない」といって、かたくなに彼女と会おうとしないのです。
でも、友人である酒場のマスターには平気で会いに行く。
それは、この物語が、一人のヒーローの物語ではなく、醜い顔におびえる気弱な男の物語である、ということでもあるのです。
彼は、傷つけられてもすぐに回復してしまう不死身のヒーローです。
ですが、彼の心は簡単には癒えません。
まわりの人間が、自分の顔を醜いと思うのではないか。
そういう妄想じみた考えにとりつかれることで、彼は、最愛の彼女に自分の姿をみせることができなくなってしまっているのです。
ネタバレになってしまうので、是非映画を見ていただきたいところですが、カレンダーガールをBGMにしながら、ひたすらいちゃいちゃし続けた二人。
彼の変わり果てた顔をみたとき、彼女であるヴァネッサはどんな表情をするのか。
傷つきやすい男の行き着く先はどうなってしまうのか。
そんな当たり前すぎる結末にこそ、デッドプールの魅力はあるのです。
メタな発言の数々。
デッドープールは、第四の壁を突破するキャラクターなので、映画の外野的な話を平気でしてきます。
なぜか、リーアム・ニーソン主演の映画のことを話し出したり、ダニー・ボイル監督「127時間」のネタバレをしはじめたり、X-MENのプロフェッサーXの役者の話など、数え上げればきりがないほど、ネタを放り込んでいます。
劇場で売られているパンフレットには、そのあたりのネタを解説してくれていますので、なんかみたことありそうだけど思い出せない、という方は一見の価値があるかもしれません。
映画「デットプール」のスタッフのぼやきのようなものまで言わせている点も面白いです。
X-MENには、色々なキャラクターが登場しているはずなのに、本作品ででてくる他のX-MENは2名です。
体の回りを爆発的なエネルギーを発生させるネガソニック・ティーンエイジ・ウォーヘッドや、全身が鋼鉄でできている男コロッサスなど、微妙に地味なキャラしかいないのですが、そのあたりも、デッドプールは「予算が少ないのか」とチャカしてくるのです。
ヒーロー誕生の瞬間?
もちろん、この映画はマーベルコミックが誇るヒーローものです。
ヒーローものというよりは、恋愛もの、としてみたほうがいい映画ではありますが、ヒーローという点でみても、そのポイントは踏まえられています。
ヒーローというのは、必ず、一度は徹底的に叩きのめされるものとなっています。
その上で、一度生まれ変わることで、ヒーローとして途方もない力を身につけていくのが王道であり、避けられない物語のつくりなのです。
本ブログにおいても、通過儀礼という形で紹介しているアポカリプト。
レヴェナント蘇りし者でも、主人公が死にかけることで、戦いに向かっていく、という構造があります。
また、顔を焼けどで見せることができないヒーローという点では、サム・ライミ監督が誇る「ダークマン」なんかは、デッドプールへ何らかの影響を与えているのではないでしょうか。
ダークマンは、やけどによって顔がただれてしまった男の物語です。
超人的な力を手に入れた男が、自らつくりだした人工皮膚をつかって次々と復讐していく、という点で話の大枠は、デッドプールと同じです。
デッドプールは、火事で崩れた建物の中から這い出てくることで、ヒーローとして生まれ変わったことが明確になるのです。
ただし、「デッドプール」はたんなるスーパーヒーローではありません。
物語の最後には、全身鋼鉄の真面目な男であるコロッサスが、ヒーローとはどういうものか、ということを語ってくれます。
いったいどういう存在がヒーローなのか、デッドプールは、どちらを選ぶのか。
アメリカンコミックの中でも、まさにヒーローものをつくりだしているマーベル・コミックによるヒーローもの。
ヒーローコミックが苦手な人も、このブログで書かれていることをちらっと頭にいれていただければ、新鮮な見方ができるかもしれません。
以上、「自分に自信のない男が見るべき映画/デットプール感想」でした!