フラタニティ(差別)を壊すにはコメディで/アニマル・ハウス
映画評論家の町山智浩氏が影響を受けたコメディ作品の一つとしてあげられ、映画ライターであり悪魔崇拝主義者でもある高橋ヨシキ氏がよく紹介する映画の中に「アニマル・ハウス」があります。
「アニマル・ハウス」は、フラタニティ(友愛会)を舞台に、差別的な社会の中で自由に生きるフラタニティのメンバーが、世の中の不条理に立ち向かう、という内容の映画です。
コメディというのは、常に権力者への揶揄や、人間がもつ本質を捉えたものが多いのですが、「アニマル・ハウス」は、1962年を舞台に、様々な人種がいるアメリカの、その差別的な実態が捉えられた名作でもあります。
フラタニティ。
日本語では友愛会と訳される言葉ですが、これは、アメリカの大学の中でも、エリート大学で存在する互助会のようなものです。
自主的に運営する組織の中で、生徒の間で認められたものだけが入れる組織となっています。
これに入れるかどうかが一種のステータスにもなるという、限られたものだけがはいることを許された組織なのです。
Facebookをつくりあげたマーク・ザッカーバーグの、創作ありの自伝的映画「ソーシャルネットワーク」でも、フラタニティは取り上げられています。
ヨット部に入るためには、顔がよかったり、お金持ちだったり、フラタニティにおいてなんらかのメリットのある人間しか入れなかったりする、ともすれば、非常にいやらしい存在であるフラタニティの存在が描かれ、マーク・ザッカーバーグは振られた彼女に仕返しをするために頑張るという話です。
ソーシャル・ネットワークが面白いのは、フェイスブックをつくりあげて億万長者になったマーク青年が、天才であるがゆえに孤独になり、すべては、振られた彼女を見返したかった、という部分に戻ってくるところが、天才の孤独と共に見事に描かれているのが特徴的です。
このフラタニティという制度自体が、そもそも差別的な存在となっているのですが、「アニマル・ハウス」では、オチこぼれの人たちが集まってできている、フラタニティ「デルタ・ハウス」が中心の物語となっています。
オチこぼれといっても、「デルタ・ハウス」のメンバーの中には、成績優秀な人間もいたりして、一概に、オチこぼれとも言い切れません。
ジョン・ベルーシ
中でも有名なのは、「ブルースブラザーズ」のジェイク役などでお馴染み、ジョン・ベルーシです(劇中では、学業的にはオチこぼれですが、非常に行動派です)
アメリカのコメディ番組「サタデー・ナイト・ライブ」の最初期メンバーでもあり、もともと人気があるコメディアンであったジョン・ベルーシですが、「アニマル・ハウス」では、「デルタ・ハウス」の精神をあらわす重要な人物になっています。
女性の着替えを覗きにいったり、学食の食べ物を会計をしないで次々と食べたり、その反社会的な行動は、清清しいぐらいです。
何を考えているか全然わからない人物としてはじめは登場するのですが、不正や差別なんかをみると、放っておけないところがあり、フラタニティのメンバーをいじめた奴を、「食べ物戦争だ!」と叫んで、まわりを巻き込みながら復讐するさまは爽快です。
「男は怒らず、黙って仕返し」
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これがデルタの格言であり、色々な方法をつかって彼は黙って仕返しをしていきます。
また、全員が落ち込んでいるシーンの中、声を張り上げながら、「やってやろうぜ」と叫んで、みんなを先導していく様は、ジョン・ベルーシの存在感なくして語れないでしょう。
カウンターカルチャーの前
この映画の時代設定が、1962年というのは、非常に重要なタイミングとなっています。
カウンターカルチャーと呼ばれる体制的な文化に反抗していく気風が生まれつつある時代であり、カウンターカルチャーがまだ存在していなかった時代なのです。
カウンターカルチャーといえば、ヒッピームーブメントなどが代表的なところですが、いわゆる大人たちへの不信感などから、既存の価値観をぶち壊そうとする動きと思っていただければいいと思います。
そのカウンターカルチャーが生まれる前の話ということを考えてみることで、「アニマル・ハウス」はより深い意味を帯びてきます。
物語冒頭で、アメリカの北東部にあるとされるフェーバー大学に入学した二人の男が「オメガ・ハウス」に訪れます。
先輩は一応、形の上では快く出迎えてくれますが、彼らが純粋な白人でないとみるや、隅っこに案内して、きちんともてなしてはくれません。
さらっと場面は終わってしまうのですが、見た目に冴えないというのもありますが、おそらく、ユダヤ人だからという理由で追いやられたのだと思います。
奥の席には、インド人らしき人たちや、東南アジア人。目がみえなかったり、身体に不自由があったりする人たちがいて、その席に座らされる。
一応、公式に差別はしていなくても、実際には差別が存在するというのをさらりと描いています。
この二人が入ったフラタニティこそが、「デルタ・ハウス」です。
色々な人種がいて、ビールばかり飲んで、遊びまくっているフラタニティ。
「デルタ・ハウス」に訪れるところから、物語が動き始めるのです。
「デルタ・ハウス」にいる人たちは、肌は白くても髪が黒かったり、肌が浅黒かったり、いずれにしても、白人ではない人たちが寄り集まってできた集団であるところがポイントです。
そのカウンターカルチャー前の人たちが、金髪で青い目のやつらを、おもしろおかしく倒していくというのが、本作品の見所となっているのです。
ジョン・ミルトン「失楽園」
さて、このブログでも「進撃の巨人 ATTACK ON TITAN」で取り上げた、ジョン・ミルトンの「失楽園」が、「アニマル・ハウス」でも重要な意味を持ちます。
この映画は、学内で問題ばかり起こすフラタニティが、退学させられることに対しての抗議として、むちゃくちゃを行うという物語ですが、その一方で、さきほども書いたように、当時のアメリカの社会情勢を描き、その価値観に守られていた若者(ここでいう、オメガ・ハウスの優秀で真面目な生徒たち)と、伝統にしばられない世界へ飛び出していく若者(デルタ・ハウスの破天荒な生徒たち)、という対立構造にもみえるようにできています。
劇中で、ドナルド・サザーランド演じる先生が、授業の中で、ジョン・ミルトンの失楽園について語ります。
「一番の魅力的な人物は誰だ」
黒板にチョークで書き付けます。
S A T A N
サタン。
失楽園の主人公である、ルシファー。神にはむかうサタンです。
「服従するするよりも、自由に戦って敗北することを選ぶ」
それこそが、「アニマル・ハウス」のテーマに違いないのです。

- 作者: ミルトン,John Milton,平井正穂
- 出版社/メーカー: 岩波書店
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倒壊する価値観
「デルタ・ハウス」のメンバーは、最後にとんでもない仕返しを考えます。
それは、度を越したいたずらなのですが、それこそが、世間に対する意趣返しだったわけです。
その中で、ムダに張りぼてをつけた車が動いているのですが、それに鎖をつけて壊すシーン。
このときに、電柱が倒れてくるのですが、その電柱は、どうみても「十字架」にしかみえないシルエットになっています。
この場合、そのシルエットは、古い価値観が倒れていることへのメタファーとして捕らえることができると思います。
コメディの中に、権力者や社会に対して反抗していく精神をみることができるのが、「アニマル・ハウス」の素晴らしいところです。
ハロルド・ライミス。
2014年に亡くなってしまいましたが、「アニマル・ハウス」の脚本を担当しているのは、「ゴーストバスターズ」や、「恋はデジャヴ」などで、人気を誇ったハロルド・ライミスです。
近年では、マリファナばかり吸っている駄目男が、初めて会って、勢いで行為に及んでしまった女性に子供ができてしまい、子供を生むという女性と生活する中で、人間として成長していく姿を描いた「無ケーカクの命中男/ノックとアップ」に出演したり、「紀元1年が、こんなんだったら!?」の監督などをしていました。
中でもおススメなのは、非常に性格が悪いニュースキャスターの男が、グランド・ホックデーと呼ばれる田舎の祭りに取材に行ったら、その1日が無限に繰り返されるというループにはまってしまう中で、人間として成長して知性や人間性を身につけていく様を描いた傑作中の傑作「恋はデジャヴ」は、必見といえます。
非常に面白いだけではなく、深い意味をもったコメディを描く脚本家です。
ちなみに、「アニマル・ハウス」の原題は「National Lampoon's Animal House」です。
国民(国家)の風刺アニマル・ハウスといったところでしょうか。
アニマル・ハウスは、校長がデルタ・ハウスのことを、動物園みたいだというあたりからきていると思います。
しかし映画を見た後には、デルタ・ハウスの人間よりも、人を差別する人間のほうが、実はアニマルなのではないか。そんな問いかけにもなっているように思えます。
「アニマル・ハウス」は、オチこぼれが優秀な学生たちや先生たちをぎゃふんといわせるという風に見ることもできますが、その背景や、意味がちらりとでもわかることで、より一層面白くみることができる良作です。
以上、「フラタニティ(差別)を壊すにはコメディで/アニマル・ハウス」でした!
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