理不尽に立ち向かえ!/フォーリングダウン
世の中は、理不尽なことだらけです。
会社では意味なく怒鳴り散らされ、生活に必要なお金は日に日に高くなる。食べ物は添加物にまみれて、凶悪な事件は当たり前のように発生する。
個人レベルから国レベルまで、あらゆる出来事が起きる中で、人々の不平・不満はたまっていきます。
そんなときに、自分の代わりに不満をぶちまけてくれる。そんな存在が映画の中にいるだけでも、我々というのはスッキリするものなのです。
イライラしてどうしょうもない、というそんなときに見たいのが1993年公開、マイケル・ダグラス主演「フォーリングダウン」です。
ロンドン橋落ちた。
「フォーリングダウン(原題 Falling Down)」。
この映画の名前は、劇中にも何度もBGMとして登場する曲、「ロンドン橋落ちた(London Bridge Is Falling Down)」からきています。
多くの人が、一度は聞いたことがある曲だと思います。
この曲が壊れることや、フォーリングダウンという題名の通り、落ちていくということが暗示されています。
ちょっと短気な主人公が、妻と子供がいる家に帰ろうとするだけなのに、周りがそれを許さず、どんどん悪いほうに足を踏み外してしまいます。
この物語は、二人の怒りとか不満とかを抑制した男と、できなかった男の二人が対比的に描かれていることで、物語のテーマが語られているのが面白いところです。
抑制できなかった男
マイケル・ダグラス演じる主人公であるウィリアムこと「Dーフェンス」。
物語冒頭では、白いシャツにネクタイをきっちり締めて、レンズの大きな眼鏡をかけているサラリーマンのような男として登場します。
この男は冒頭からイライラしています。
物語のはじめにかかるBGMは、まるでホラー映画のような、日本でいうところの幽霊屋敷などでかかっていそうなおどろおどろしい音楽ではじまります。
渋滞で車は動かず、周りの車の子供たちは騒ぎ、クラクションは鳴り続ける。
エアコンは壊れているし、虫は入ってくるしで、主人公はふと頭がおかしくなります。
これぐらいは誰でも起こりえることです。
ですが、ここから主人公の「D-フェンス」は、フォーリングダウンしていってしまうのです。
大渋滞が起きているという中、彼は車を降りてしまいます。
「おい、どこにいくんだ」
「家に帰る」
そう、彼は家に帰ろうとしているのです。
電話をかけるようとしたら小銭がなくなってしまったために、彼は韓国人がやっている店に入ります。
お金を崩して欲しいと頼むと「崩すなら何か買いな」とつっけんどんに言われます。
ここまでは、まだわかります。
そこで「D-フェンス」はコーラを買おうとするのですが、この値段が高い。
いつのまに、こんなに金額が上がったんだ。昔の値段に戻せ! と彼は怒り始めるのです。
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たしかにむちゃくちゃなことを言っていると思いますが、でも、一方で間違ったことは言っていないということに気づきます。
彼はたしかに短気な男ですが、間違ったことは言っていない。
これが、この映画の全編通してのテーマとなっています。
ただ、彼の問題解決のほうほうが、どんどん過激になっていってしまうのは、実に映画らしくてよいのです。
抑制した男
一方、マイケルダグラスが演じる主人公が次々と正当な怒りで問題を大きくしていく中で、その事件が警察署に届きます。
偶然事件を知ったのが、名優ロバード・デュヴァル演じるプレンダガスト刑事です。
彼は、その日、警察を辞めることになっていました。
定年退職ではなく、早期退職する彼は、かつては凄腕の刑事だったようですが、今では外にでることなく、事務屋と呼ばれて、回りの同僚からさげすまれていました。
退職の日だというのに、机の中を開けてみると砂まみれになっていて、彼の大事な写真などが砂に埋もれてしまっています。
でも、彼は笑っているのみ。
また、彼の妻から電話がかかってくるのですが、
「怖いの。早く帰ってきて」
「何が怖いんだ」
「コップとか。とにかく怖いのよ」
職場も、家庭も彼の中で安らげる場所などないのが一発でわかります。
ここでポイントなのは、妻は精神を病んでいるようにも見えるのですが、たんなるヒステリーなんじゃないかというところも見え隠れしているのがいいさじ加減です。
彼は、とある理由から職場や、家庭に気を遣って生きているのです。
そんな男が、マイケル・ダグラスを追うことで、自分自身の怒りや不満を言葉にしていきます。そのことが、非合法な方法で怒りを解決していくマイケル・ダグラスとの対比となっているのが素晴らしいです。
おかしいと思わないのか!?
マイケル・ダグラス演じる主人公は、民衆の怒りの代弁者として描かれています。
ハンバーガー屋に入った主人公は、朝食セットを頼みます。
「申し訳ございません。朝食セットは売ることができません」
「なぜだ」
「朝食セットは、11時半までの販売だからです」
主人公が腕時計を見ると、11時33分。
なんで、それぐらいの融通が利かないのか。
また、渡されたハンバーガーをみてみると
「やっぱりか」
みんなが注目する中で、彼は指を差します。
「写真のハンバーガーと全然違うじゃないか。みんなそう思うだろ。写真のバーガーはふっくらしてうまそうなのに」
マシンガンを片手に、まわりの客に向かって怒ります。
まわりの客は係わり合いになりたくないから、決して主人公と目を合わせません。
ただ、何度も書きますが、やっていることは異常ですが、言っていることは間違ってはいません。
どことは言いませんが、メニューにのっている食べ物と、実際にでてくる食べ物はたしかに違う場合が多いです。
ハンバーグだろうがなんだろうか、厚みも違うし、野菜が入っている量だって違う。
また、別の場所では、大渋滞が起きています。
そこは道路工事をやっているのですが、2日前までは綺麗だったと主人公は言います。
「道路工事をやる必要がどこにあったんだ。言ってみろ。予算を消化するためにやっているんだろ」
こういうのは日本にでもあることでしょう。
公共事業は、もちろんちゃんと納税者の利便性のために使われる場合もあるでしょうが、地元の企業にお金を落とすためにあるという側面もあるため、必ずしも全ての工事が、利用者のためになるとは限らないことが多いです。
そんな矛盾した部分などに、主人公は怒るのです。
主人公は家に帰りたいだけなのに。
アメリカの現実
ミリタリーショップに入ると、店の主人が「ホモ野郎はこの店にくるな!」と怒鳴ります。
主人公より先に入ってきていた、男二人組みが、おそらく同性愛者であろうことはなんとなくわかるところですが、なぜそこまで店員は怒るのか。
その店員は、差別主義者であり、政府など信じていない人なのです。
主人公が警察に追われていると知るや、「俺は見方だ」と言って、主人公に自分のコレクションを見せてくるのですが、「お前も俺と同じだろう」という店員の言葉に「俺はお前とは違う」ときっぱり拒絶します。
主人公は愛国者ですが、人を差別したりはしません。
アメリカという国を愛しているのです。
アメリカは色々な人種がいて、言論の自由も認められている。
そんなアメリカであるはずなのに、彼が生きているアメリカは、そんな理想とは程遠い。
黒人だからといって銀行口座を停止されたり、同性愛者を認めなかったり、子供や妻に会いに行くことが許されなかったり、強いものが弱いものを搾取しようとする。
彼はそんなアメリカの矛盾に、はからずも立ち向かっている象徴なのです。
孤独な男の末路とは
彼がなぜ奥さんや子供と会うことができないのか。
警察が奥さんに聞きます。
「あなたの旦那さんは、貴方を殴りましたか」
「殴ってはいないわ。でも、殴られると思ったことは何度もあるの」
このニュアンスは、主人公がみているホームビデオを見ればあきらかであり、また、映画をみることで彼自身にどのような問題があったのかがわかります。
それと同時に、彼が戻りたかったアメリカ(家)が、夢と希望に溢れていて家族がいて、仕事がある。そんな世界のことだというのがわかるのです。
彼のとりまく世界はすごい勢いで変わっていたけれど、彼自身は不良債権としてお払い箱になっていってしまった。
そして、もう一人のお払い箱になろうとしている刑事は、マイケル・ダグラスを追い詰めていく中で、自分自身を取り戻していくというところがすばらしいです。
事件の発端から解決まで行ってしまうというのは、かなり難しい気はしますが、見事にまとまっている良作です。
退職前後の物語
ちなみに、退職間際の刑事が主人公の映画といえば、デヴィット・フィンチャー監督「セブン」なんかも有名です。
退職間際の刑事が、自分が今まで向き合ってきた事件であるとか、事件に対する心構えのようなものと向かうのに、やはり、特別な感慨が生まれるのではないでしょうか。
しかし、退職間際が必ずしも美しいものではない、ということを扱った映画もあります。
完全に蛇足ですが、アレクサンダー・ペイン監督、「アバウト・シュミット」は、ジャック・ニコルソン主演で、退職した男が、自分には何もなかったことに気づいていくという物語になっています。
フォーリングダウンの刑事は、シュミット氏のようにではなく、自分自身に打ち勝つのがスカっとします。
「ファッキン上司のおかげですよ!」
以上、「理不尽に立ち向かえ!/フォーリングダウン」でした!