ネタバレ解説。人は見かけじゃない/スリービルボード
3枚の看板を田舎の道沿いに立てる。そこから波及する影響をもとに、人々の心のありようが浮き彫りにされる「スリービルボード」。
わかりやすいアクションがあるわけでも、心が熱くなるような恋愛劇があるわけでもない本作品ですが、看板に表裏があるように、人間の色々な側面をみることができる本作品について解説していきたいと思います。
大きなネタバレはしませんが、適度なネタバレをいれつつ作品を見ていきたいと思います。
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3枚の看板
題名の通りですが、本作品では3枚の看板(ビルボード)がでてきます。
「犯人逮捕はまだ」
「どうして、ウィロビー所長」
「レイプされて死んだ」
一枚一枚だけみれば、意味の通じない看板でも、3枚みることで主人公であるミルドレッドの娘の事件について非難しているのだとわかるようになっています。
その看板を発端として、ミズーリ州にある田舎町は、揺れ始めるのです。
メタファーとして看板を捉えることももちろんできますが、その手の解説については他に譲りたいと思います。
本作品の主人公と呼べる人物は、娘を殺された母親ミルドレッド、余命いくばくもない所長ウィロビー。暴力警官でマザコンのディクソンです。
本作品は、主に3人の人間の内面の変化や、人間の側面が見事に描かれた作品となっており、本作品の色々な人物に感情移入できてしまう作品となっています。
娘を想う母親
主人公の一人であるミルドレッドは、殺された娘の捜査が進まないのをなんとかしようとしてビルボードをたてます。
その姿は、娘想いの強い母親を思わせます。
彼女は、看板を立てることで警察に圧力をかけようとしますが、彼女の思ったとおりの結果にはなかなかなりません。
「看板を見るたびに思い出すんだ」
息子であるロビーは、看板を見るたびに姉が死んだ事実を認識することになります。
また、ウィロビー署長は、町でも信頼されているよい人物であり、彼を非難するような看板だと思った人たちは、看板をとりさげるようにミルドレッドに言ってくるのです。
そのあたりは、まるで、娘の殺人にはなんらかの裏があり、秘密の組織が圧力をかけてきているように思われます。
歯の治療をしようとしたミルドレッドは、太った歯医者の男に麻酔なしで歯を抜かれそうになります。また、神父がやってきて、忠告をしてきたりします。
ミルドレッドは動じることもなく、
「少年が1階で犯されていても、知らないふりをしている」
「スポットライト 世紀のスクープ」などでも知られるカトリックの神父による事件を思い出されることですが、ミルドレッドはそれを含めた非難をしています。
彼女は、看板をとりさげさせるために、警察からの圧力をうけながらも、娘のために戦っている女性、という風に見えます。
もちろん、そういう側面もあるのですが、彼女は理想的な母親だったか、というとそうではないことがわかります。
暴力警官
サム・ロックウェル演じるディクソン巡査は、決して頭のいい人物ではありません。
すぐに逆上しますし、思い込んだら、「人目があっても俺は殴るぞ」と言って脅してくる始末です。
彼は、母親に言われたらその通りに実行する人物であり、暴力警官だけれど、非常に幼い人物であることは間違いありません。
ですが、本作品の中で彼は成長していくのです。
署長は本当にいい人
裏がある悪い人なのか、と思いきや、どこまでもいい人なのがウィロビー署長です。
「手がかりがない事件もある。私はもう長くないんだ」
ミルドレッドにうちあけるウィロビー署長。
彼は、町中の人から信頼され、美しい妻や、可愛い子供達に囲まれて生活しています。
ですが、がんによって余命いくばくもない身となっています。
彼はまわりに隠しているつもりですが、町中の人がその事実を知っています。
小さな町だからこその悲劇です。
彼は吐血し、家族との残り短い生活を送ります。
看板の一面だけみると、主人公である3人は善人であり、悪人ですが、人間というのは色々な面があるというのは、物語が進むに従ってみえてきます。
共感できる。
本作品について語られる場合に、めちゃくちゃな行動を起こすミルドレッドや、暴力警官、とにかくいい人のウィロビー署長に対して、感情移入なんてできやしないと思うかもしれません。
ですが、本作品のキャラクター達は、見れば見るほど共感できる人物ばかりとなっていますし、人間味溢れる人物達となっています。
ミルドレッドは、娘のために町や警察に対して一人で戦う人物に思えるかもしれませんが、実際は非常に寂しい弱い人物です。
車を貸してくれと言ってきた娘に対して「丁寧にお願いすればタクシー代は渡してあげるわよ」と言って、娘と口論となります。
そして、ミズーリ州の田舎町で、まわりには街頭すらまともにないような場所を、10代の娘を一人で歩いていかせたのです。
その結果、娘は暴行をうけ、焼死体として発見されます。
娘のために看板をだしますが、一方で、自分自身の過ちに対しての区切りがつけられないということも感じさせるところです。
看板の下に花を置いて飾ってしまうあたりは、自分の娘の惨状を伝えたビルボードという事実とは別に、なんとなく綺麗にしてあげたい、という思いがみえたりします。
人間の異なる面がみえるのが、本作品の一番のポイントといえるでしょう。
自分も相手も同じ
「俺のことを下にみてるんだろ」
と、ミルドレッドに対して、ピーター・ジェンクレイジ演じるジェームズが怒ります。
小さな身体の彼は、ミルドレッドにそっけない扱いを受けても、彼女に対してアプローチをかけていきます。
やっとの思いでレストランに食事に行きますが、ミルドレッドの元夫の出現で、場は台無しになってしまいます。
「また、別の日に埋め合わせするわ」
と、ミルドレッドはジェームズをそっけなく、非常に上から目線の態度です。
誰にでも起こりえることですが、被害者だと思って、助けてくれない周りの人間に対して非難していた彼女は、いつのまにか、自分自身が非難される側の人間になっていることに、気づいていなかったのです。
「俺はデートのつもりだった。確かに俺って人間は理想の人間じゃない。でも今の君は? しかめっ面の広告女で、みんなを非難してばかり」
言われて彼女は、自分自身の醜悪さに気づくのです。
暴力警官にも涙
広告店の男を投げ飛ばしたディクソン巡査。
たしかに、悪いことではありますが、彼の立場を考えるとよくわかります。
余命がわずかしかない署長。
その彼を非難する看板をいつまでもとりさげない広告屋の男。
結果として、署長が死に、その怒りをぶつけてしまう。
ですが、後に彼は改心します。
「スリービルボード」は人間の悪い面も良い面も本当によく描かれています。
サム・ロックウェル演じるディクソンは、大やけどを負って入院します。
動けないからだの彼は、自分自身の手で病院送りにしてしまった広告屋の男と同室になってしまうのです。
本当であれば、いくらでも仕返しされてしまうところです。
ディクソンは、入院している彼をみて泣き出します。成長した彼は、自分の行いを深く反省したのです。
そして、広告屋の男は、ディクソンだとわかって怒りますが、動けない彼にオレンジジュースを差し出すのです。ストローの位置までちゃんとかえてあげて。
怒るにも人間ですし、赦すのもまた人間なのです。
一面的な人間などいない
ウィロビー署長もいい人ではありますが、家族に自分のよい思い出のときだけを残したいと思って、自ら死を選びます。
その行為が、ミルドレッドへの看板と関連付けられてしまうことをわかっていながらです。
一見美談に思えるところですが、ウィロビー署長もまた自分のことしか考えていません。
ですが、それでいいのです。
「スリー・ビルボード」は、人間の多面的な部分を色々な人物をつかって描き出しています。
一見ミステリー要素のある作品にみえますが、ミステリーとしてではなく、人間というものを掘り下げた作品といえます。
改心したディクソンは、自分の犯罪を自慢する男を見つけます。
今回のミルドレッドの娘を殺した人物かと思われましたが、その男が「砂の多い場所」に軍としていたことから、犯人ではないと告げられます。
非常に怪しい場面です。
ちなみに、砂の多い場所はイラクと思われますが、いかにも危険そうな男もまた、心に深い傷を受けているかもしれないのです。
銃をもったディクソンは、ミルドレッドと共にその犯人がいるアイダホに向かいますが、彼らは以前のようにノリノリでその人物を裁こうなどと考えていません。
彼らはもう、人間には裏も表もあって、いい部分もあれば、悪い部分があることをよく知っているのです。
「スリービルボード」は、美男美女がでるような作品ではありませんが、人間の色々な部分を知ることのできる素晴らしい作品となっているので、見るたびに共感できる部分がでてくるかも、しれません。
以上「ネタバレ解説。人は見かけじゃない/スリービルボード」でした!