続編の前の復習に。星の王子さまニューヨークへ行く。感想&解説
エディ・マーフィ主演であり、続編もつくられる「星の王子さまニューヨークへ行く」。
本作品は、アフリカにあるとされる架空の国ザムンダの王子であるアキーム(エディ・マーフィ)が、何もかもが与えられていると同時に、何の自由もない日々の中、自分の奥さんを見つけるべくニューヨークへ行くという物語です。
1988年に公開された本作品は、今見てることで、かわらない面白さと、感覚の違いというのがわかる作品となっていますので、感想&解説を含めて語ってみたいと思います。
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すべてを与えらた王子
本作品は、シチュエーションコメディというものといっていいのではないでしょうか。
というのも、アフリカの王国と言われれば、そんなものかと思ってしまうところですが、ザムンダ王国は独裁国家です。
王が命じればなんでも許される国であり、その中で、エディー・マーフィー演じるアキームは、疑問を感じて生きています。
朝の目覚めは、人間による生演奏。
美しい女性たちに身体を洗ってもらい、お尻すら自分で拭く必要がありません。
いわゆる貴族的な暮らしですが、アキーム王子は、現代的な感覚をもっています。
王侯貴族というのは、召使いに対して気を使ったりはしません。
服を着せられようが、うがいをするときに補助されようが、まったくおかまいなしです。
人であると同時に、召使いを人として見ていないためなのでしょう。
文化的な差があるので、はっきりと言語化するのが難しいですが、貴族というのは、家来に気など遣うものではありません。
そういうものだ、と思って生きている人間が、なぜ、自分自身の生活に疑問をもつのか、という描写はありませんが、王子は、独裁国家の王子としてすべてを与えられいながら、満たされていなかったのです。
21歳の誕生日を迎え、彼のもとには、美しい婚約者が現れます。
それは不幸なのか。
「君の好きなものは何か教えてほしい」
結婚相手にアキームは聞きますが、
「殿下の好きなものです」
というだけ。
小さいころからアキーム王子と結婚することだけを目的に育てられた人形のような女性。
彼女からすれば、王子が何を言いたいのかさっぱりわからないことでしょう。
ですが、現代を生きる我々からすれば、それは正しい感覚です。
このあたりは、藤子F不二雄先生による「ミノタウロスの皿」なんかをみていただくと、感覚がわかるかもしれません。
いけにえにささげられることを目的として生きてきて、それに対して何らの疑問ももたない人たちに、それが野蛮な行事だからやめるように言ったところ、その感覚を理解できるはずもありません。
ザムンダ王国の人たちは、当初、王子の当たり前な感覚がわからず、国王にいたっては「タネをまきにいくのだな」と、独身前の羽伸ばしぐらいにしか考えていません。
何もかも与えられていながら、お嫁さんだけは、自分の手で見つけるべく、ニューヨークへと旅立ちます。
大事なのはお金か、中身か。
エディ・マーフィー演じるアキームは、恐ろしいほどの人格者です。
好きになった女性リサに、恋人がいるのがわかっても、落ち込むわけでもなく、無理やりお金にものを言わせて何かしようともしません。
ものすごい高価なアクセサリーをプレゼントしたり、多額の寄付をしたりはしていますが、自分の地位や権力を利用していることを口にはだしません。
むしろ、正攻法でせめていきます。
「星の王子さまニューヨークへニューヨークへ行く」は、人間はお金や地位でなく、中身が大事なのだ、ということをテーマにしている作品なので当然と言えば当然です。
その対比をはっきりと表すために、リサの妹であるパトリスは、お金や地位をちらつかせられるだけで簡単に男を乗り換えようとしたりします。
アキームにすり寄っていったと思ったら、セミが王子だと思い込んでそっちに行き、リサの恋人であったダリルがふられたとなれば、そちらへと向かう。
お金や地位に簡単になびく存在として描かれています。
それが必ずしも悪いのか、と言われるとそうではないのですが、作中ではあまりよろしいことではないように描かれているところです。
掃除をがんばる王子
アキーム王子のことについて戻りますが、彼は、何もかも与えられています。
しかし、どこでそういう心境や信念にいたったのかはわかりませんが、ニューヨークへ行ってマクドゥーウェルに勤めても、アキームには偉ぶったところがありません。
「お前は、掃除をしろ」
とモップを渡されて、むしろ喜んでいます。
世話係であるセミは、後半、贅沢をしたくなって暴走してしまいますが、このキャラクターは、アキーム王子の裏の面をキャラクターとして切り離したものと思われます。
お金を好きなだけつかって、自由を謳歌しようとするあたりは、物語を動かすためのキャラクターであると同時に、王子が悪い人間だったときの側面を表しているといえるでしょう。
アキームは、掃除も丁寧にこなします。
「あなたほど床掃除に命をかけている人もいないわ」
リサに褒められますが、王子にとっては、庶民が何気なくすることこそが、かけがえないのないことなのです。
彼は、歯磨きすら自分でさせてもらえなかったのですから。
しっかり、最優秀従業員に選ばれているところからも、アキームの頑張りがわかるところです。
どんな世界でも同じ
アキーム王子の、庶民のような当たり前の生活ができない、という悩みは、贅沢に思われるところです。
ですが、脚本上の工夫はしっかりとされており、王子が、自分の奥さんも自分で決められないということで、ニューヨークにでてきたのと同じく、リサという女性もまた、家族のために、お金はあるけれど好きでもないダリルと付き合っていたりするのです。
ダリルと父親の策略で無理やり結婚する、という既成事実をつくられそうになるリサですが、その姿をみて、アキームもまた、王国も庶民も同じような悩みをかかえていることに気づくのです。
閑話休題
話は全然かわりますが、本作品にでてくるマクドゥーウェルをみていると、ついつい、マクドナルドの創始者の物語である「ファウンダー」を思いだしてしまうところです。
「星の王子さまニューヨークへ行く」の、パクリにしか見えない名前のマクドゥーウェルが、言い訳をしています。
「あっちのマークは、ゴールデンアーチ、こっちは、ゴールデンアローだ」
「ファウンダー」を見ているとその理由もわかってしまっているので、とってつけたような名前だな、というのがわかって面白いところです。
もっとも、作中では、マクドゥーウェルは本人の名前という設定になっているので、パクリというよりは、偶然似てしまった結果、裁判を起こされないかびくびくしている、というギャグです。
女性蔑視
本作品で、アキーム王子は
「王子としてではなく、ぼくのことをみてほしい」
と言っています。
羊飼いだと嘘をついたアキーム。
自分がお金持ちであったり王子という立場であることで態度を変えたりするのではなく、自分を見てほしい、という非常に贅沢な悩みを解決する物語となっています。
嘘をつかれたりしたリサは、いったんはアキームのもとから去っていきますが、物語のラストで、花嫁として登場しています。
一見、ハッピーエンドのように思えるところですが、今の時代にみると、少しだけ違和感を覚えてしまうところです。
ザムンダの王女になるだろうリサですが、今までのハンバーガーショップで父親と一緒に働いていたことも含めて彼女のはずです。
「王子の継承権も、放棄する」
とまで言ったアキームですが、結局、すべてを捨てることなく自分のほしいものを手に入れています。
ですが、リサは、当然アメリカでの生活を手放すことになるでしょうし、嘘をつかれたりした事実や、わだかまりがあったはずなのに、突然花嫁になってそれでよかったのだろうか、と。
気になる点もないわけではありませんが、現代人の感覚をもった王国の王子が、紆余曲折しながら最愛のパートナーを見つけるロマンチック・コメディとして楽しい作品となっています。
まさかの続編もつくられるということで、復習がてら見直してみると面白いかもしれません。
以上、続編の前の復習に。星の王子さまニューヨークへ行く。感想&解説でした!