楽しみ方もある。感想。映画「ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章」
北斗の拳同然のマッチョな時代から、スタンドという概念をとりいれ、行動複雑化してきた「ジョジョの奇妙な冒険」
スタンド能力がより一歩進んだ形となった第4部の映画化ということで、気になった方も多いと思います。
不満の声が続出する本作の、どのようなところが気になってしまうのか、その楽しみ方を含めて、感想を述べてみたいと思います。
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ジョジョの面白さ。
ジョナサン・ジョースターから始まるジョースター家の血脈が巻き起こす正義の物語こそが、当初のジョジョの面白さとなっています。
スティール・ポール・ラン(6部)以降については、別次元の話ということもあって、趣がまたことなりますが、その面白さは一貫しているといっていいと思います。
ジョジョの奇妙な冒険 第7部 モノクロ版 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)
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ジョジョの懐の深さは、自分自身の年齢や状況によって、みえてくるものがかわってくる、というところではないでしょうか。
第四部は、いろいろな場所で戦っていたジョジョシリーズの中で、町という一定の地域を舞台にした初のシリーズとなっています。
1部から順番に読んできた読者からすると、一つの町で起こる事件を、スタンド能力を駆使しながら解決してみたり、思わぬ人物たちの成長がみられる、という点で、1~3部とは違った完成度が魅力のパートになっています。
映画では、杜王町とよばれる街でおきる第四部が舞台となっています。
杜王町は、荒木先生の生まれ故郷である仙台が舞台となっているとされており、ファンはたびたび訪れる聖地となっています。
しかし、映画では、ロケ地がスペインというまさかの撮影場所になっています。
なぜ、スペイン。
ファンからすれば、なぜ、仙台ではないのか。
というところではないでしょうか。
明らかに日本とは異なる空模様。
日本の表記をむりやりつけても、ぬぐうことのできない異国情緒。
日本の表記をむりやりつけても、ぬぐうことのできない異国情緒。
そして、キャスト全員が日本人という違和感。
なんでしたら、イギリス人であり、身長は190を超える偉丈夫ばかり。
そんな規格外の身体をもつ彼らだからこそ、女性たちはその迫力にキャーキャー言うのだと解釈するところです。
ストーリー
物語そのものは、第一章と銘打っているだけあって、二章につづくことを前提に作られています。
そのため、本作品は、イントロダクションのような要素が強く、スタンドという能力そのものまた十分な説明がされているとはいいがたい状況です。
一般人であったはずの康一くんが、仗助たちとかかわることによって、精神的に成長をとげ、スタンド能力的にも大きく開花する存在となるところが魅力です。
長い時間をかけて漫画で積み上げてきた作品を、映画にするのがそもそも困難だ、という意見もあるでしょうが、それを差し引いても、原作ファンが見たいところにズレが発生してしまうのは已む得ないところだと思います。
ですが、だからといって、まるっきりつまらないと言ってしまうのも面白みがありませんので、あくまで、個人的な感想として、楽しみかたを考えてみたいと思います。
これが、本来ではないことは重々承知をしながらも、こういう風にしてみると面白いですよ、というところを述べてみます。
とにかく、ツッコミ。
先ほども書きました通り、ジョースター家というのは筋骨隆々の偉丈夫ぞろいの家系です。
それが、優男風の日本人が演じてしまったら、もう、笑うしかありません。
漫画だからこその表現をそのまま移し替えたという点の思い切りとしては衣装全般に面白さがみてとれます。
漫画をみるとわかりますが、承太郎は学帽をかぶって生活しています。ですが、なぜか、その帽子は頭と一体化して描かれているのです。
漫画ならではの表現であり、漫画でみる分には違和感がありませんが、映像で髪の毛と一体化した帽子が再現されているのは、ファンであれば指をさして笑っていいところだと思います。
まじめにみることも大事ですが、原作ファンだからこそのつっこみどころが満載というところが、映画「ジョジョの奇妙な冒険」の魅力といえるのではないでしょうか。
そもそも、映画化不可能といわれていた本作品を、真正面から映画化しようとした試みというのは、興行収益とか、作品そのものの出来を別として、評価されるべきものだと考えます。
そもそも、監督が三池崇監督というところが、映画ファンであれば、くすぐられる点ではないでしょうか。
三池崇
三池崇監督といえば、「殺し屋1」をはじめ、漫画原作のものからそうでないものまで、職業監督としてあらゆるものを手掛けている監督です。
やりすぎるぐらいにやりすぎる演出をするところを考えると、ジョジョの映画化を無理やりにでも行ってしまえるのは、三池監督だからこそ、といった誉め言葉にならない言葉を使うしかないかもしれません。
おそらく、三池崇監督でなければ、たんにわけがわからない、として終わってしまったものも、これはやる気でやっているのでは、と思えば、別のつっこみどころが見えてくるというものです。
演技と美術
ただし、セリフまわしが舞台役者のような物言いになっているせいで、へんに強調した話し方をしてみたり、間を開けすぎていたりするところは、演出意図は読めない部分はありますが、原作ファンであれば、その間のセリフが、ついつい、先にわかってしまいそうになるのも、一興ではないでしょうか。
あと、下手をしなくても、コスプレにしか見えない衣装ですが、大真面目に予算をかけてやれるのは、三池崇がメガホンをとる本作品ならではといえます。
スタンドがCGで表現されている姿もいい具合に再現されていました。
漫画原作というのは、ともすれば、滑稽になりすぎるところですが、滑稽さをあけて押し出すことにより違和感を隠すあたりは、監督の手腕が発揮され、ファンとしては肩透かしに思うところもありますが、原作ファンであれば、自分なりの想いを誰かとぶつけ合いながら見てみると、別の楽しみ方ができるかもしれません。
以上、楽しみ方もある。感想。映画「ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない」でした!