ウエストワールド感想&考察2 創作するものの悩み。J・J・エイブラムス
ウエストワールドの感想&考察について、前半と後半に分けて記事を書いておりますので、もし前半を読んでいない方は、是非前半を読んだ後に後編を見ていただければと思います。
(前編)
後編では、「ウエストワールド」がもつ、観客と創作者との関係、、ロボットを作る中での思想も含めて、考えてみたいと思います。
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創作者の悩み
既に語ってはいますが、この物語は、いくつかのレイヤー(層)になって読むことができます。
ウエストパークを運営する側の人間。
ロボット(ホスト)たち。
ウエストワールドにいるプレイヤー(お客)。
その中でも、運営する側の人間達にスポットをあてて考えてみても面白い作品となっています。
パーク内で行動するロボット達は、シナリオに沿って動いています。
アンソニー・ホプキンス演じるフォード博士は、深い物語を探求しますが、お客はウエストパークという場所にそれを望んではいなかったります。
お客が望んでいるのは暴力やわかりやすい正義や悪であり、高尚な物語など望んでいなかったのです。
世俗的なものを望む大衆
ウエストワールドもまた、エンターテインメントとしてお客を呼び、収益を上げるために世俗的なものつくりだしますが、フォード博士は抗うのです。
シナリオ部長である男がつくろうとした、暴力と血と仲間との戦いが繰り広げられる新シナリオを、フォード博士は切り捨てます。
フォード博士の本当の思惑は、実はエピソード2に持ち越されるようですが、受け手である我々の多くは、わかりやすく単純なものに飛びついてしまう、という皮肉も作品で語られています。
ただし、深い物語があったおかげで、ウエストワールドが運営されているという事実もまた後に明かされるところが皮肉なところです。
良いものをつくろうとすれば、維持・管理コストがあがる。しかし、観客はそこまで求めているのか。
そして、創作されたものの悩みもまたこの作品では繰り返し語られます。
レクリエイターズ
創作者と被造物の関係を書いた近年の作品として、レクリエイターズがあります。
これは、ライトノベルやアニメ、あらゆる創作物の中で、人々の思いが強いキャラクター等が、現実の世界に顕現したことで起きる混乱を描く物語です。
キャラクター達は、自分をつくりだした創作者、神の存在を求め、時には憎みます。
なぜ、人々が殺しあう世界(設定)をつくったのか。
物語だからしょうがないと開き直る人も言れば、自分たちが作り出したとはいえ、その間で悩む人物もいます。
創作されたものが意思を持ったら、どのように世界をみていくのか、という点を掘り下げたユニークな作品です。
さて、「ウエストワールド」では、特に創作物に対する扱いという点が強く打ち出されます。
プレイヤーに殺されるだけのホスト(ロボット)たち。
その中で、彼らが意思をもったとしたら、どうなってしまうのか。
フォード博士は言います。
「君が世界に自分は人間だと宣言したら、何が待っていると思う? 歓迎のパレードか? 人間が孤独なのは、優位性を脅かすものたちを排除したからだ。ネアンデルタール人は我々が食った」
さて、最近は「サピエンス全史」や、その他様々なメディアでも取り上げられておりますが、ホモ・サピエンスである我々以外にも、ネアンデルタール人、ホモ・エレクトスの系列の人類。枝分かれしていった祖先がいることがわかっています。
人間の姿形をして、自分には独立した意識がある、というものがでてきたとしたら、人類は、かつてのネアンデルタール人のように、ホスト(ロボット)たちを殺すだろう、と博士は言うのです。
「ホストにとっての脅威は、私ではなく、君だ」
業の肯定
とあるホスト(ロボット)が、子供と共に殺されます。
壊された後の状態が悪いことから、子供との記憶を削除して、新たな役割を与えようとしますが、そのホストは自ら命を絶ってしまいます。
実は、「ウエストワールド」にでてくるロボットというのは、あるルールに基づいて作られています。
それは、必ず苦しみの記憶をもっていること。
「ホストには背景となる記憶が必要だ」
フォード博士は言います。
妻や、息子の死、といった耐え難い苦痛。
それらが、ホストたちをより人間らしくすると語られます。
何度もその苦しみの記憶に悩まされ、たとえ記憶を消去されても、それは何らかの形(夢)によって繰り返しみせられる。
「ウエストワールド」のよい点は、記憶を消去できるロボットたちでありながら、苦しい記憶があるからこそホストが人間らしくなる、という皮肉と事実です。
我々もまた、日々生きていく中で辛い記憶をもつことがあると思います。
ある程度の年数を生きていれば、楽しい記憶だけで生きている人間は、いないのではないでしょうか。
事故、失恋、憎悪、別離。
いずれにしても、その記憶を消したいと思ったりすることもあると思います。
ですが、「ウエストワールド」では、その苦しい記憶があるからこそ、ホストは人間らしくなれる、とうたっているのです。
落語家である故立川談志が落語は業の肯定である、といいましたが、「ウエストワールド」もまた、苦しみの記憶(業)を肯定しているにほかなりません。
ちなみに、そんな辛い記憶を消した人間の話については、「エターナルサンシャイン」という映画で描かれていますので、気になる方はご覧になることをオススメします。
失恋によって記憶を消したものの、結局、二人は再び出会い悲劇を繰り返すという物語です。
失楽園
さて、「ウエストワールド」の物語の構造についても一応語ってみたいと思います。
構造そのものでいえば、この作品は、進撃の巨人と同様の構造をもっているといえると思います。
幾重にも囲まれた壁の中で、巨人に恐怖しながら暮らす人類。
そこを脱出しようともがく人間を描いた本作品は、映画評論家である町山智弘氏が脚本を担当したことでも話題になりました。
ジョン・ミルトンの「失楽園」に代表されるような作品となっており、「ウエストワールド」においては、管理されたロボットが、神(人間)に対して反抗していく物語になっています。
脚本的には、過去と現在を交差させながら、ウエストワールドという場所の真実やねらいが明らかになっていく、というところが面白いところです。
ネタバレですが、日本の戦国時代の格好をしたホストたちがみえたりするところから、ウエストワールドという世界もまた、大きな物語の一つに過ぎない、という皮肉が描かれているところ面白いところです。
ちなみに、本作品は同名の「ウエストワールド」という映画を元にして作られていますが、ほぼ別物として考えたほうがいいと思われます。
失楽園として、神に反抗していくロボット達の物語、という方向が見えていることから、楽園で自由意志を剥奪されて生きるよりも、外で自由にいきることをのぞむロボットたちの革命を見ることができるに違いありません。
テーマの多様性
物語という点からみると、実はサプライズのある物語ではありません。
細かい点や、物語の場面転換の仕方を見ると、映画等に見慣れた人はそれほど驚くことはないと思います。
この作品は物語のストーリーそのものよりも、人間と区別のつかないロボットがいた場合に、それは、人間なのか。テーマが押し出された作品といえるでしょう。
ロボットと人間の愛もまた語られます。
愛し合った人がロボットだと知らされたら、当然疑いたくなるはずです。
「私に近づくように言ったの?」
「君は、自らの意思で近寄ったのではないかね」
ロボットだとか、人間だとかは全然関係ないのです。
記憶とは一体なんなのか。そこに、「現実」と「作られた記憶」に、明確な境界なんて存在するのか。
創作者と受け手の温度差。
様々な思いが、近年の予算が潤沢になっている海外ドラマの中で、豪華に展開されていることから、気になる方は、エピソード2の放送の前に、予習していくと、また違った記憶がつくられるかも、しれません。
以上、ウエストワールド感想&考察2 創作するものの悩み。J・J・エイブラムスでした!!