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シネマトブログ

映画の評論・感想を紹介するサークル「ブヴァールとペキュシェ」によるブログです。不定期ですが必ず20:00に更新します

死霊のはらわたは必見。実はコメディ「キャビン イン ザ ウッズ」  

洋画 ぺぺろん

キャビン(字幕版)


ホラー映画が好きな人は、大体わかってしまうことがあります。

男にこびていくような女性は、すぐに死ぬ。

危機感ばかりを唱えるやつや、頭のおかしいやつは、あっという間に死ぬ。

最後には、心や身体が清らかな人が生き残る、というのが定番です。

ホラー映画は、お約束なしには語れない作品となっているのです。


古今東西あらゆるホラー映画は、なぜそのお約束が存在するのか。
それを、ちょっと、メタ的に捉えた作品こそが、「キャビン」なのです。「キャビン」の魅力について考えてみたいと思います。

 

まずは、死霊のはらわた

この映画をみる人は、楽しむための事前準備が必要になります。


事前準備をしなくても、この映画はある程度楽しむことができますが、この映画は、「ホラー映画ファンのためのご褒美」のような作品ですので、ホラー映画に対する愛着が薄い場合は、「キャビン」を見るのはもったいないと思いますのでご注意ください。

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数えだすとキリがなくなる部分もありますので、本記事においては、必ずみなければならない「死霊のはらわた」を軽く紹介します。


死霊のはらわたは、スパイダーマンシリーズでお馴染みサム・ライミ監督の作品です。


ホラー映画は、低予算でつくることができ、そのグロテスクさから一定の人気がでるというところから、多くの映画少年たちがつくることになります。


その中でも、斬新な映像表現、低予算でもいいものがつくれる、ということを示し、後のホラー映画の一つの形をつくった映画こそが「死霊のはらわた」なのです。

棒の真ん中にカメラをつるして、走りながら映像を撮影したりして、工夫を重ねながら映像の面白さを体験できるのも「死霊のはらわた」の魅力でもあります。


まさかの、テレビドラマ「死霊のはらわたリターンズ」まで放送されるというのだから、「死霊のはらわた」人気というのは、限りがありません。


非常にうさんくさい山小屋で、バカンスを過ごす5人の男女。


アメリカでは、ブティックホテルなどありませんし、若い人たちが気軽に自由を謳歌できる場所がほぼ存在しない、ということもあり、山小屋でバカンスというのは、あながち嘘ではないそうです。


さて、そんなバカンスに来た5人が、ひょんなことから、死者の書と呼ばれる本をみつけ、その中に書いてある呪文を、うっかり、唱えたことから死者が甦り、次々と仲間が死霊に襲われていく、というのが本作品の概要です。

 

 

この基本的な流れを「キャビン」は踏襲し、それそのものが、物語のメタ構造を表すことになっているのです。

 

これは、ホラー映画なのか。

 さて、本当は、ジョージ・A・ロメロのナイトオブザリビングデッドなどもみてもらいたいところですが、「キャビン」を楽しむ、最小限の単位は「死霊のはらわた」と考えていただいて、先に進んでまいります。


「キャビン」は、たんなるホラー映画ではない、ということが冒頭から示されます。


科学者のような人間が話しているところからはじまります。

ストックホルムではどうだった」という話しをします。

冒頭以外でも「スウェーデンはダメだな。日本は失敗しないだろう」

彼らがなんらかの実験をしているのはあきらかです。それが、どんな実験かわからないまま、物語は、その対象となる人物にうつっていきます。


劇中では、先生にふられて失恋中の女の子ディナが主人公です。それ以外にも4人の友人がやってきて、携帯電話の電波も通じないような田舎の小屋へと遊びにいくのです。


ホラー映画でありがちな、いかにも、な演出も満載です。


「あの小屋にいくと、悪いことが起こる」

 

いかにもな人物が、いかにもな言葉を発します。


ですが、それを報告されて、げらげらと笑う科学者風の人物たち。

壮大な実験なのだろうか。
そもそも、そういう、お約束に彩られたホラー映画というものをコメディとして笑おうというものなのか。

疑問がでてきますが、物語は、進みます。

 

地下室への扉が開き、中に入るメンバー。
このあたりも、もう、完全に「死霊のはらわた」になっています。

小屋の概観も似ていますし、もう、パロディとしての意味合いが非常に強いといえるでしょう。


そして、科学者風の人たちは、何かのかけごとを始めます。

彼らの倫理はどうなっているのか。


「キャビン」は、片一方で死霊のはらわたをベースにした形式的なホラー映画に興じる若者立ちを描き、もう一方で、その科学者風の人たち自身を描きます。

 

怪物たちに襲われるディナたちは、正直、よくあるパターンで進行していきます。

次々と仲間が死に、困難を乗り越えて、男性経験のない清らかな女性であるディナは最後まで生き残るのです。お決まりの塊のような部分が終わり、そこから物語は、予期せぬ方向に動きます。

 

ここからは、ネタバレになりますので、先入観なしで「キャビン」をみたい人は、ご覧になったあとに見ていただきたいと思います。また、完全なネタバレはしませんので、ある程度知っておきたい方は、そのままご覧ください。

 

 

この映画は、全てのホラー映画に対するアンチテーゼとなっています。


この映画によれば、全てのホラー映画的なものは、この科学者風の人たちが起こしたものとして紹介されます(正確には古代の神か)。


科学者風の人たちは、彼が地下で手にしたアイテムによって出現するモンスターを変更し、あくまで自分たちが招いた厄災として、ホラー映画的な展開を発生させます。

その中で、当然人間が死ぬのですが、それは、大きく描かれません。

彼らの心は痛んでいる、という風な演出はあるのですが、だからといって、倫理的な訴えかけはありません。


貝を吹けば半漁人がきて、死者の書を読めばゾンビが復活し、バレリーナのオルゴールが動き出せばバレリーナの格好のバケモノが現れる。

全ての怪物たちはそこに用意されており、我々は、その中の出来のいいものを見ているに過ぎない、という設定になっているのです。


ただ、シザーハンズをぱくったとしか思えない怪物が、純真そうな目で、主人公たちを見返す姿は、ぐっとくるものがあります。

 

人間は神になれない。


ホラー映画における現象は、科学者風の人たちがおこしたもの、ということになっているのですが、同時に、彼らの怠惰も映し出されます。


ディナが生き残ったと思いこんだ彼らは、さっさと祝杯をあげて、どんちゃん騒ぎをはじめます。

でも、実際には怪物は彼女を襲い続けているのです。


かけごとをはじめるのもそうですし、エロチックな場面になったときに、持ち場を離れて見に来る人たちもいます。

彼らは、本来であれば、人の生き死にを扱う人間なはずなのに、その意識に欠けているのです。


さて、こういった問題があった作品としては、当ブログでも紹介した、「エターナル・サンシャイン」があります。


この映画では、嫌な記憶を消すことができる、という医者が、寝ている患者の上でパーティーをはじめてしまって、大変なことになってしまう、という場面が存在します。

彼らは、その人間をどうとでもできる存在なのに、どんどん倫理感がおかしくなります。そこから、人間が正常であることを保つのがいかに難しいかということも描いているのです。

 

cinematoblog.hatenablog.com

 

また、同じく当ブログで紹介した「ES」については、管理側がやっぱり、管理される側に逆襲されてしまう、という構造になっています。

管理する立場の人間が現れず、人間が管理しているはずにもかかわらず、擬似的な神のように思えるのが、リメイク版のESだったりするのですが、管理・実験といった方向で興味がもった人は、以下の記事を参考にしていただけると楽しめる部分があろうかと思います。

 

cinematoblog.hatenablog.com

 

古代の神は誰なのか。

 

さて、この映画は、タイトルにもあるとおりコメディです。

今までのホラー映画、というそのお約束に縛られた形式そのものを、実は、非常にくだらない人たちが運営していたものなのだ、というメタ構造にすることで、全てのホラー映画を笑いものにする、というかなり攻撃的な映画であり、コメディ映画となっているのです。


一方で、これは皮肉でもありますが、ホラー映画でおかしなところがあったとしても、「キャビン」にでてくるようなやつらがつくっているかもしれないんだから、暖かい目でみてあげてね、ということにも思える、考えすぎるとキリがないメタな構造になっているのです。


最後に、古代の神、というものが何か、考えてみたいと思います。


邪悪な神が、生贄を欲している、と劇中でありますが、具体的な神はでてきません。
それは、ユダヤ教における神なのか、ギリシャ神話に伝わる神なのか。

なぜ、ホラー映画じたてて殺されなければならないのか。彼らはどうやって選出されているのか。

様々な、つっこみどころがありますが、一ついえることは、この神というのは、我々観客のこと、と考えることもできる、ということです。


エッチなシーンをつくらなければならないのも、必要以上に血しぶきがでなければならなかったり、お約束の展開がなければならないのも、神であるクライアントを意識していると、署員たちは言っています。

 

それを、見ている人物=神、だとすれば、見ている人物=映画の観客となる、というメタ構造も考えられるのではないでしょうか。

 

その映画の世界を壊すことも、続けさせることもできる。それこそが、我々であり、それがうまくいかないという世界は、そのまま面白くない映画が増えている、というメタ的な批判になっているのかもしれません。

メタ構造というのは考えすぎるとキリがなくなってしまうので、これぐらいにしますが、ホラー映画そのものを愛し、一方で、その矛盾を笑ってあげたい人は、是非「キャビン」をみて、スッキリして欲しいと思います。

 

以上、死霊のはらわたは必見。実はコメディ「キャビン インザウッズ」でした!

 

 

 

 

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