一つ目作品も押さえるべし。映画「ジュマンジ」感想&解説
映画「ジュマンジ」といえば、いまやロック様を筆頭に活躍する作品のように思われる方もいるかもしれませんが、かつては、ロードショーなどでもたびたび放映され、その教育的でありながら心温まるエピソードにお茶の間が癒されたものでした。
1995年に日本公開された第一作目にあたる映画「ジュマンジ」について、改めてその魅力について語ってみたいと思います。
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ジュマンジというゲーム
「ジュマンジ」については、映画をみている人であればもはや説明するまでもないと思います。
サイコロをふって出た数に応じてコマが進み、その場で浮き出てきた文字により様々な現象が発生するという不思議なゲームとなっています。
第一作目では、とある兄弟たちがジュマンジを森に埋めるところから始まります。
その冒頭のシーンだけで、このボードゲームは、はるか昔から存在しており、プレイした人間はその多くが不幸になることがわかるすばらしいつくりになっています。
とにかく、何かよくないものである、ということがわかりながら、それが忘れ去られた100年後に、主人公であるアランが拾ってしまいます。
成長物語
「ジュマンジ」の優れた点は、その物語の構成のうまさといえます。
本作品は多層的な見方をすることができ、それぞれのキャラクターや物語の構造をみるだけでもよくできているのです。
まずは、主人公であるアランの成長の物語としてみることができます。
主人公であるアランは、パリッシュ家という家柄のせいでいじめを受けています。
そのこと自体が、アランと父親との確執を生み、勇気がもてない少年になってしまっていることがわかります。
父親との確執の中で反発し、家出をしようとしたところで、彼はジュマンジを始めてしまうのです。
本作品は、アランがジュマンジの中で26年の月日を過ごし、二人の兄弟に助けられたことで現世に戻ってきます。
そこで彼は、父親が自分を探すために全財産を失ったことや、自分のことを深く愛していたことを知るとともに、一緒にゲームをしたサラという女の子の人生を不幸にしてしまったことに気づくのです。
父殺しの物語
「軟弱もの!」
といって、追いかけてくるジャングルのハンター、ヴァン・ペルトです。
サイコロをふって出現した彼は、アランを容赦なく狙って撃ってきます。
気づいている人も多いと思いますが、ヴァン・ペルトを演じている役者と、アランの父親であるサミュエル・アラン・パリッシュとは同一人物が演じています。
こんな配役にする意図はただ一つです。
それは、ロビン・ウィリアムズ演じるアランにとって、「ジュマンジ」は父を超えるための物語だからです。
ジュマンジの続きをやりたくなかったアランがなぜおびえていたのか。
それは、彼がジュマンジの中のジャングルに閉じ込められた際に、ひたすら彼に追われ続けていたからです。
ですが、ヴァン・ペルトが父親のメタファーだとすれば、すこし見え方が変わります。
アランは、父親の支配から逃れようとしていたこともあり、同じ役者が父親とハンターを演じることによって、父親の象徴=ヴァン・ペルトとすることで、父親から逃げている男というのが、よりわかりやすい演出になっています。
物語の終盤、もう逃げ場がない、と思ったところで、アランが逃げずにサイコロを振るシーンは、胸が熱くなるところです。
「最後に、言い残すことはないか」
アランの成長物語ではありますが、サラとのキスは自分からできず、結局、サラにキスされる、というのは、おちゃめな演出といえるでしょう。
それは、彼がここから大人になっていく、ということを表しているところに違いないのです。
子供のときにジュマンジに取り込まれてしまって、成長できないまま大人になってしまったアランの、その大人なのに無邪気な笑顔ができるのは、ロビン・ウィリアムズをおいてほかにいないと思わせる絶妙な配役も魅力です。
誘拐ものや死を取り扱ったもの
不思議なボードゲームによって26年間主人公はとらわれてしまっていますが、考えてみると、これは失踪ものとしてもみることができます。
子供と親が仲たがいするのはよくある話です。
「ジュマンジ」も、謎の失踪によって親子が引き裂かれた物語、としてみることも可能だったりします。
26年たったあと、主人公は両親がすでに死んでおり、会社はとっくに破産していたことをしって愕然とするのです。
もっとわかりやすくいってしまいますと、本作品の構造は、かの名匠フランク・キャプラ監督「素晴らしき哉、人生!」と同様の構造といってもいいかもしれません。
「素晴らしき哉、人生」は、ジェームズ・スチュアート演じる主人公が自殺を図ろうとするのですが、2級天使に自分がいなかった世界をみせられることで、人生を考えなおすという物語になっています。
自分がいないことによって、多くの人が不幸になることを知って、もう一度生きなおしたい、と願う主人公の姿は、アメリカでのクリスマスにみる映画の定番の一つとなっています。
ジュマンジもまた、26年間自分がいなかったことで様々な不幸が起きましたが、ジュマンジはゲームが終わればすべて元に戻る、というルールがあります。物語は、それをうまく利用し、再び父親との関係をやり直すことができる、という構造になっています。
サラの物語
アランと一緒にゲームを始めてしまったキャラクターとして、サラがいます。
彼女は、アランがボードゲームに取り込まれて行方不明になり、アフリカにしかいないコウモリに襲われたとまわりに言ったことによって、精神の異常を疑われ、孤立してしまった女性です。
スピリチュアルなものにはまり、精神的な治療を重ねてようやく、子供のころの出来事を忘れられそうになっていたところでした。
彼女もまたジュマンジの影響によって不幸になっており、物語のラストの巻き戻り現象によって、主人公と幸せに過ごすことになるのです。
各キャラクターに対して、このような救いがある点は、ジュマンジという物語が幅広くみることができる作品としての性質を兼ね備えているといえるのではないでしょうか。
警官の物語
主人公が素直に謝ることができなかったことから不幸になってしまった人物として、パリッシュの工場に努めていたアイデアマン、カールという男もまた、不幸になってしまった人物です。
物語が終わったあとは、靴づくりで成功した人間となっていますが、アランがいなくなった世界では、警察官として町を巡回しています。
彼は息抜き要因のような人物となっており、彼の乗っているパトカーがいかにして壊れていくのか、という点をみるのがコメディタッチで面白いところです。
兄弟の物語
さて、一応兄弟にもふれておきたいと思います。
アランが26年間とらわれていながら、ゲームを再開してくれたのがジュディとピーターの姉弟です。
彼らは、両親を事故で亡くし、ひねくれた子供に育っていました。
姉のほうであるジュディは、嘘をつきまくる子であり、弟のピーターは、誰とも口を利かなくなっています。
両親の死が原因となって、大人に対してまっすぐな態度がとれない子供になってしまっています。
ジュマンジをはじめてしまったことで、大人なのに中身が子供のアランや、頭がおかしいサラと出会うことで、大人への認識がかわり、大人を信頼していく物語にもなっているところが秀逸です。
特にピーターが顕著であり、ジュマンジの呪いによって全身に毛が生えた彼が、恥ずかしがりながらもアランに尻尾が生えてきてしまったことをきいてもらう、というのは、大人を信頼できるようになったからにほかなりません。
また、ピーターとアランとのやり取りによって、アラン自身、が父親の面影を自分の中にみてしまったりする点も、よくできたつくりの脚本といえます。
ジュマンジが一つなぎにする物語
ジュマンジという物語が非常に優れているのは、ファンタジーなアイテムが一つあることによって、本来出会うはずのなかった人たちが出会い、それぞれの欠けている部分を補完しながら成長し、幸福になっていくというエンターテインメントの重要な部分を見事にすくい上げている点です。
映像的にも面白く、CGが十分な発達をしていなかった当時でありながら、アニマトロニクスといった技術などを複合的につかって、ライオンやサルなどの動物たちが街を破壊していく様子が描かれているところは一見の価値があります。
「ジュマンジ ウェルカムトゥジャングル」は派手ではありますが、やはり、一作目の面白さもぜひ堪能してみてもらいたいと思います。
以上、一つ目の作品も押さえるべし。映画「ジュマンジ」感想&解説でした!