「万引き家族」を見る前に。是枝裕和監督「そして、父になる」感想
「万引き家族」でパルム・ドール受賞するという快挙をなしとげた是枝裕和監督による家族を前面に押し出した作品「そして、父になる」。
福山雅治が初の父親役ということでも話題となった本作品について、どのような作品であるのか、見所を含めて解説してみたいと思います。
「万引き家族」で主演を務めるリリー・フランキーも登場しているところもポイントかと思います。
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新生児取り違え
さて、新生児取り違えときいて、疑問を抱く人もいるのではないでしょうか。
自分の子供が、赤の他人の子供と取り違えられてしまうというありえないような事件は、かつての日本で起きていたのです。
取り違えによって、本来は裕福な家庭に生まれ育つはずだった人が、貧乏で壮絶な人生を送ったというノンフィクション「ねじれた絆」などが有名なものとなっているところではありますが、顔の見分けがほとんどつかない赤ちゃんは、不注意によって入れわかってしまうこともあったのです。
それを現代のものとしてつくりだされたのが「そして、父になる」ですが、是枝監督によって、現代におけるどうしようもない偏見や、親になりきれない親達への警鐘になっている点と、どうしていけばいいのかという一種の解答を示してくれる良作となっております。
そして、現代のものとして描かれた「そして、父になる」は、エリートサラリーマンである福山雅治と、その妻が、病院にいくところからはじまります。
人は偏見でものをみる
福山雅治演じる野々宮良多は、大規模なプロジェクトを動かす企業に務めており、彼自身は出世街道まっしぐらです。
そんな彼のもとに、自分の実の子だと思っていた子が、実は他人の子ではないかという疑惑が持ち上がるのです。
取り違えられた相手の両親と会うときの衝撃は、ギャグといってもいいぐらいです。
きっちりとスーツを着た福山雅治。
それに対して、ジャケットこそ着ていますがラフな格好のリリー・フランキー演じる斉木。
「どうも、遅れてすみません。妻が、でかけに、そのセーターどうかっていうから」
と、もう、遅刻した原因を妻のせいにする、いかにも危険そうな夫婦です。
そして、自分の育てている子供の名前の由来について話します。
「あの日は、いい天気でね。沖縄の夏みたいだなんてこいつと話して。それで、琉球の琉に、晴れで、琉晴(りゅうせい)って」
一歩間違えばキラキラネームです。
しかも、リリー・フランキー演じる斉木は、「おたくら、なんかすることあるんちゃいますか」
取り違えをした病院に対して、金目の要求をしているのが伝わる、物腰こそ一見やわらかそうですが、普通に暮らしていればエリートサラリーマンである福山雅治は、一生出会わない相手だったでしょう。
この物語は、そんな福山雅治演じる野々宮が、偏見やプライドから離れていく物語となっています。
似てない子供を気にする世間
「今だからいうんだけどさ。山下さんちのおばあちゃん、似てないねぇって。あんたたちのことをよく思ってない人がいるのよ」
どこの世界でも、その夫婦の子供が似てる似てないっていうことで言ってくる人というのはいるものです。
そういった言葉もあり、野々宮の妻は「母親なのに、気づいてあげられなかった」と悩むのです。
実際、生まれたばかりの子供が、自分の子かどうかなんてわかるはずがありません。
ですが、母親の業とでもいうのでしょうか。
彼女は悩み、やがて壊れかけていくのです。
ちなみに、リリー・フランキー演じる斉木一家の奥さんもまた、
「似てないのよ、一人だけ。口の悪い友達が浮気したんだろって。ひどいこというなって。でも、まさかねぇ」
旦那に似てない子供はそう思われてしまっても不思議がない程度に、世間というのはゆがんだ見方をしてくるものです。
子供の取り違えということによって、一家というのは色々なところで影響を受けるのです。
崩壊しかけた家族
「このプロジェクトが終わったら、少しは時間とれるから」
「この6年、ずっと同じこといってますけど」
と、奥さんに皮肉を言われます。
福山雅治演じる野々宮は、家族をないがしろにして、エリートサラリーマンとして頑張っています。
「そして、父になる」では、そういった家族のあり方に対しての警鐘となっており、家族というものがどういうったものか、というものが示されるのです。
野々宮一家は、子供の取り違えさえなければ、それなりに順調に月日がながれていったことでしょう。
父親に影響されて、やや引っ込み思案に育った息子。
愛情の不足を感じながらも、多少の寂しさには目をつむりながら、息子の成長を見守る妻。
ですが、子供の取り違えが発覚することで、子供との向き合い方を考えなければならなくなっていくのです。
対比的に描かれるのが、リリー・フランキー演じる斉木一家がよくできています。
貧しくても暖かい家族
電気屋を営んでいる斉木一家は、とにかく家族との時間を大切にしています。
はじめこそ、危険そうな家族かと思われていたリリー・フランキーも、子供達に対して優しく、一緒にいる時間を大切にするお父さんだったりします。
子供達も、楽しそうにしており、野々宮一家が薄暗く描かれるに対して、斉木の家は常に明るい画になっています。
子供をないがしろにしている野々宮への批判も斉木は述べます。
「もっと一緒にいる時間つくったほうがいいよ、子供と。おれ、この半年で、良多さんが一緒にいたより長く慶多といるよ」
「いろんな家族があっていいんじゃないですか。時間だけじゃないと思いますけどね」
「なにいってんの。時間だよ、子供は時間」
リリーさんの演技がうまくて、心がざわつきます。
「僕にしかできない仕事があるんですよ」
「父親かて、とりかえのきかん仕事やろ」
野々宮は、答えをかえすことができません。
「そして、父になる」で重要なのは、福山雅治演じる野々宮という男は、本当に自分が感じていることを隠して、耳障りのいい言葉でかわそうとしていることです。
そんな野々宮の痛いところを、斉木は突いてくるのです。
血はつながって無くても家族か
さて、本作品の重要なテーマの一つに「血のつながらない子供でも、家族になれるのか」というところがあります。
野々宮一家と、斉木一家。そこで行われた子供の取り違え。
そして、その原因を作った人物がいます。
野々宮は、その人物に会いにいき、問い詰めようとしますが、その人物の義理の息子に阻まれて、思いとどまるのです。
「おまえは関係ないだろ」
「関係ある。ぼくのおかあさんだ」
そういわれて、野々宮は、その子供の肩に手をおき、去っていきます。
母さん大事にしろよ、とかいわないあたりがいい感じです。
一方で、実の父親に野々宮は言われます。
「実の子供、お前に似ていたか。離れていたって似てくるものさ。いいか。血だ。人も馬と同じで血が大事なんだ。その子はどんどんお前に似てくるぞ。逆に、慶多は相手の親に似てくるぞ」
野々宮は、6年間も他人の息子を息子として、一緒に過ごしてきました。
果たして、血がつながっていないというだけで、その6年間が無かったことになってしまうのか。
家族とは、何なのか。
物語の全編に渡って、優れた脚本によって多面的にそこが描かれているのが「そして、父になる」の魅力です。
子供は知っている。
結局、野々宮と斉木は自分の育てていた息子と、血のつながった子供を取り替えます。
野々宮は、琉晴という名前の子供を自分の息子として迎え入れようとしますが、うまくいきません。
「パパとママと呼ぶことって。なんで? パパちゃうやん」
「これから、おじさんがパパなんだ」
「なんで?」
琉晴(りゅうせい)という息子は、エリートサラリーマンである野々宮の血をひいているだけあって、ちょっと頭がよかったりします。
だから、なおのこといきなり、野々宮のことをパパと呼べるはずもないのです。
理屈を説明できないから、力で子供を圧迫することとなり、ますます野々宮と子供の心は離れていってしまいます。
子供にだって心があり、どうやって、その子供と向き合うべきかというのも示されます。
これは、映像として描かれてはいませんが、福山雅治演じる野々宮が、母親に連絡したりして、当時の親の気持ちがわかったことでもかわっていきます。
そして、自分自身もまた同じような境遇にいたことも。
そして、父になる。
この映画は、いうまでもないかもしれませんが、自分のプライドによって家族をないがしろにしていた男が、子供に対して過度の期待をしたり、相手の同じ人間としてみることの大事さをうたった作品となっています。
そして、なによりも、血がつながっていなくても同じ時間を過ごしてきたという事実にはかわりがない、ということを教えてくれます。
「血のつながっていない子供を、今まで通り愛せますか」
「愛せますよ、もちろん。似てるとか似てないとかそんなことにこだわるのは、子供とつながっているっていう実感のない男だけよ」
斉木の妻(真木よう子)による強烈な台詞です。
ロケーションを探すのがすごく大変だっただろう、二つの道がまじわる場所で、福山雅治演じる野々宮は、慶多と向き合います。
果たして、斉木家と、野々宮家。
家族になれるのかどうか。
是枝監督は、以前、「誰も知らない」というネグレクトや存在しないことになっている子供に焦点を当てた作品をつくっています。
壊れ行く家族を描いていた是枝監督が、再生する家族を描いていく「そして、父になる」は、テーマ・内容ともに優れたものとなっていますので、気になっている方は、是非、この作品をみて、家族とはどういうものなのか、ということを考えなおすきっかけとしていただければと思います。
以上、「万引き家族」を見る前に。是枝裕和監督「そして、父になる」感想でした!