シネマトブログ

映画の評論・感想を紹介するサークル「ブヴァールとペキュシェ」によるブログです。不定期ですが必ず20:00に更新します

生きている実感がない/アメリカン・サイコ

アメリカン・サイコ(字幕版)

 

クリスチャン・ベールが主演し、アメリカ人だけではなく、全ての人間がもちうる問題を浮き彫りにした作品、「アメリカン・サイコ」について、解説してみたいと思います。

 

名刺バトル

 

さて、この映画は冒頭から問題を見せ付けてきます。

高級そうなレストランで次々とメニューの名前がでてきます。
「イカのラビオリレモングラスソース」

「ゴートチーズにシーザーサラダ」

「メカジキのオニオン・マーマレード」

そして、ブランド服に身を包んだ男たち。

彼らは、仲間うちで高級とされているブランド服を着て、傍からみても違いのよくわからない名刺の意匠にこだわっています。


「オフホワイトの紙に、箔押し…。高級な厚み…」

といって、大変悔しがるのです。

スポンザードリンク

?

 


主人公であるクリスチャン・ベール演じるパトリック・ベイクマンは、そんな高級な男です。


身体を鍛え、化粧品でスキンケアを怠らず、顔のパックも忘れません。ナルシストのお手本のような人物です。


こんな物質社会の権化のような存在が主人公であり、その周辺にいる人物たちです。

 

実態のない仕事


パトリックの仕事は、会社の吸収と合併を行う仕事だそうです。具体的にはよくわかりませんが、M&Aコンサルティング会社なのだと思われます。

飲み屋にいったときに、その場にいた女性たちに「よくわかんない仕事ね」といわれて「そうなんだよ」とクリスチャン・ベールは答えますが、その通り。

彼の仕事には、実態がないのです。

彼らは、見えないプライドのやり取りをやって、それによってストレスを貯めています。

どれだけいい生活をしていても、どれだけお金を稼いでいても、パトリックはその時々のストレスによって、どんどん殺人衝動を抑えられなくなっていくのです。

彼が唯一、自分自身を見つけることができること、それこそが殺人なのです。


ホームレスの男にナイフを突き立てたり、友人の頭に斧を振り下ろします。

 

ここからネタバレ。

 

この映画はアメリカ人の中にある狂気を描いた作品ではありますが、人間の弱さを浮き彫りにする作品でもあります。


パトリックはお金もありますし、自分のことを愛してくれているフィアンセもいます。

ちなみに、このフィアンセは、ハイスクール白書 優等生ギャルに気をつけろで生徒会長に立候補しようとした女性トレイシーを演じたリース・ウィザースプーンです。

 


さて、そんな満たされているはずの彼は、娼婦を呼びパーティーを夜な夜な開いたりしているのです。
行為にふけっているときでさえ、彼は鏡で自分の肉体美を確認し、ビデオで見れるようにしています。


また、彼は音楽についてよく語ります。
フィル・コリンズは好き? アートっぽくインテリすぎたが「デュークからは彼が前面にでている」

まるで、どこかのディスコグラフィーをそのまま読んでいるみたいです。


ブランドや他人の評価や考えばかりを言っていて、実は、彼自身には何もないことがわかるのです。


ただ、彼自身が特別悪い人間と思われていないことは、フィアンセとの関係でわかります。

自分自身の殺人衝動を抑えられなくなったパトリックがフィアンセと別れようというのですが、彼女は冗談だとしか思わないところなどです。彼女からすれば、パトリックは平凡な男なのです。

 

殺しすぎではないか。

 

さて、この映画、後になればなるほど主人公の殺人が雑になります。

同僚を殺したところでもうすでにむちゃくちゃですが、後になると初めから隠す気がないんじゃないかというぐらいです。

完全にネタバレですが、彼は人を殺していません。


そもそも、人を殺せるような度胸なんてない人間なのです。

彼を苦しめていたのは、何も実態のない自分の世界を一気に破壊してしまいたいという衝動だけなのです。

生きているという実感がない彼が、殺人衝動によって、自分のいる場所が崩れていくという感覚を楽しんでしまい、一方で、苦しめられているというのがこの映画の内容なのです。


彼は自分が逃げられないところまできたと観念し、知り合いの弁護士に電話をしますが「昨日の殺人鬼パトリックは面白かったよ」と言われてしまい、全然信じてもらえません。


しかも、そのときですら、彼は弁護士に対して偽名をつかっていたことを告白するのです。


どういうことかといいますと、彼は色々な人物に対して、偽名を使っています。時には、自分が殺したいと思った人間の名前をつかうのですが、そのことからも、彼が自分という存在が希薄だということがわかるのです。

ファイト・クラブ

この映画をみていて、似たような話しで思い出されるのが、デヴィット・フィンチャー監督の映画「ファイト・クラブ」ではないでしょうか。


主人公のエドワート・ノートン演じる男は、イケアの家具を買うのが趣味の男です。それなりにいい生活をして、高級ブランドの服に身を包み、カタログのような生活を送っている彼ですが、不眠症で眠れません。

何不自由ない彼は、生きている実感がわかない中で、ブラットピット演じるタイラーに出会います。


彼は、その中で殴り合いをし、はじめて生きている実感を得るのです。

 

 

アメリカン・サイコでは殺人衝動の中で生きている実感を見出す主人公ですが、彼は、最後に自分自身が殺人をしておらず、結局、彼の生活は何も変わらないまま流れていってしまうという終わり方をします。


ファイトクラブはその点、カタログみたいな人生を送って生きている実感のないヤツラをぶっつぶそうとするというところで終わります。

 

現代社会は、目標とか生きがいを見つけるのが非常に難しくなっているのが実情です。

そんな中で、自分がどうしていけばいいのかわからなくなる人がいるとは思いますが、その恐怖そのものが描かれているのがアメリカン・サイコですので、気になった方は観てみると、自分自身を見つめてしまっているような恐怖をあじあうことができるかも、しれません。


以上「生きている実感がない/アメリカン・サイコ」でした!

 

 

 

スポンサードリンク