問題行動を起こすのは何が悪い? ネタバレあり/エスター
「この娘、どこかが変だ」のキャッチフレーズでお馴染み、「エスター」は、衝撃的なラストと呼ばれる後半もあって、話題作の一つでありました。
この映画は、事前情報なしでキャッチフレーズや画像だけみると、霊能力とかをもった少女の話になるかと思ってしまう方もいるかと思いますが、サイコホラーと呼ばれるジャンルに入る作品です。
エスターという少女が巻き起こす恐怖について、語ってみたいと思います。
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家族の問題
一応、この物語の主人公であるのが、音楽家であり、2人の子供と夫をもつ女性
ケイトです。
物語は、ケイトが子供を死産してしまうところからはじまります。
周りの人間がお腹の中の子供を無理やり取り出そうとしているのにも関わらず、ケイトだけは、お腹の中の子供は生きていると言い張っており、当人とまわりとのギャップが描かれます。
このような形の物語で有名なのは、ミア・ファローが主演し、巨匠ロマン・ポランスキー監督の代表作の一つ「ローズマリーの赤ちゃん」です。
ミア・ファロー演じるローズマリーは、夫と共にニューヨークのアパート引越ししてきますが、そこで、悪魔に襲われる夢をみるのです。
自分が悪魔の子供を宿してしまったのではないかという恐怖や、周りの人間が悪魔崇拝者ではないか、という疑心暗鬼の中でおかしくなっていくという物語です。
周りの人間が信じられなくなったり、自分自身も信じられなくなる恐怖などがたっぷりと描かれています。
「エスター」のケイトもまた、赤ん坊の死産を認めることができず、まわりに不信をもっていることが、冒頭のシーンだけでわかります。
しかも、彼女は、その死産が原因でアルコール依存症となったということがわかります。
そして、ようやくアルコール依存症からぬけだしたところで、養子を迎え入れることを考えている、というところから物語が始まります。
特に夫は、彼女のことを表面上は心配していますが、アルコール依存症になっていたことを引きずって、彼女を本当の意味で信用していません。
また、音楽家でもある彼女は、子供たちに音楽を教えたいと願っていますが、息子は音楽に興味がなく、娘もまた難聴であるため、教えることができません。
ケイト自身の問題が、家族の中で大きな影を落としているのです。
サイコパス
エスターの原題は「ORPHAN(オーファン)」です。
オーファンは、孤児を意味します。
エスターでは、そんな問題をかかえた家族の中に、エスターという怪物を招き入れてしまうことで、とんでもないことが起こってしまうのです。
エスターは、一見、可愛らしい女の子です。
少し大人しい面があるものの、絵を描く芸術的感性をもっています。
ですが、後半で書きますが、秘密と問題をかかえており、その異常性がだんだんと明らかになっていくのです。
さて、サイコパスという言葉をだいたいの方は聞いたことがあるとは思いますが、ざっくりと説明してしまうと、反社会的な人格をもつ一種の病(?)とされ、他者への感情的な共感性に乏しいのが特徴とされています。
非常に高い知性を持っていることが多く、有名なところでいえば、映画「羊たちの沈黙」にでてくる、レクター博士なんかも、その部類に入ります。
圧倒的な頭脳によって、自分自身すら駒にみたてて物語を進めていく超人的な力をもっているともいえる人たちです。
それが10歳の少女の姿をしていたとしたら、はたして問題をかかえた人たちは、家族として迎え入れることができるのか。
問題行動
この作品でポイントなのは、サイコパスだからといって必ずしも悪いわけではない、ということです。
たしかに共感性に乏しいかもしれませんが、物語の前半のエスターはとてもうまくやっています。
ですが、主人公であるケイトは、明らかに、エスターを死産で失った娘のかわりにしようとしていることがわかるのです。
また、自分に愛情が向かなくなってしまったことで息子はイライラしはじめ、エスターに対して意地悪をしたりします。
息子の不満に夫も半ば気づいているのでしょうが、可愛らしいエスターを前に、息子のことを放っておきます。
夫婦のエスターへの対応も問題です。
エスターが学校に行く際に、ふりふりのレースがついた格好をしてきます。「ジーンズを履きなさい」
とケイトが注意するのですが、
「人と違っていてもいいと言ったわ」といって、エスターは譲りません。
たしかに、ケイト自身もまた、まわりから浮いていた子供時代があったことで、他人と違うのはかまわない、とエスターに言っていたのです。
気に入られようとして、甘く言ってしまう言葉の端々をつきながら、彼らは問題の種を自らつくっているのです。
当然のごとく、エスターは学校で同級生に好奇の目で観られることとなり、問題が発生します。
しかも、彼らは、エスターを信じることができず、孤児院に連絡して彼女の素性を確認しようとするにあたって、状況はどんどん悪くなります。
少し問題があっただけで、彼らはエスターを疑うのです。
多くの場合、問題行動を起こすのは愛情不足からきていることが大半です。
物語後半で明らかになりますが、エスター自身もまた愛情が不足していることでそんな行動を起こしてしまう娘だったことがわかるのです。
本当の、主人公は。
ケイトの娘は、耳がほとんど聞こえません。
エスターには「先天的に耳が聞こえないの」と言っていますが、おそらく、それは違うでしょう。
家の近くには湖があり、エスターと娘のマックスが遊んでいるのをみると、ケイトは必死になってとめます。
娘が湖で何かあったのは明らかです。
また、湖と死の関連性などで有名なのは、ニコラス・ローグ監督「赤い影」です。
湖に転落して娘を失くしてしまった夫婦が、ヴェニスで出合った霊能力をもつ老夫婦の言葉を聞くことで、奥さんの様子がおかしくなっていってしまうサスペンス・スリラーです。
「その娘は、赤いコートを着ているわね」
と、霊能力のある老人はいいます。
マックスの服装が赤いのは、その影響があるのではないかと思います。
ケイトは、いきなりできた物知りでやさしいおねえちゃんであるエスターに懐きますが、エスターは自分の悪事を手伝わせるため、マックスを自分の手足のように使い始めます。
「このことを言ったら、大変なことになるわよ」
幼いマックスは、震えながら頷きます。
エスターの引き起こした事件について知っていながら、どうすることもできないマックスが、やがて、家族を守るため、行動を起こすようになる、という彼女の成長物語にもなっているところが一種の見所です。
彼女が補聴器をはずすと、映画でも音が静まるところなど、アクションシーンに以降してからは、暗に彼女が映画上の主体であることが示されるのです。
少しだけ、ネタバレ。
さて、ここからは「エスター」を観て、衝撃のラストをみたあとにしたほうがいいと思われます。ネバタレをしたくないかたは、映画をみてから戻ってきてください。
さて。
衝撃のラストといっても、ラストそのものが衝撃的なわけではありません。
エスターは、完璧な少女です。
少し大人しいというところを除けば、そのケイトたちにとって理想的な女の子なのです。
ケイトたちがエスターと出会う前から、エスターは彼らに目をつけています。
正直、ケイトたちは裕福です。
それは、ピカピカに磨かれた日本車のレクサスに彼らが乗っているだけで一目でわかります。
その姿を2階の窓から見つけて、彼女は早速夫婦に気に入られるような少女を演じるのです。
また、音楽を教えたがっているケイトのために、ピアノが弾けるにもかかわらず、ひけない振りをします。
そう、エスターは彼ら夫婦がもっとも気に入るように演出し、その知性から、完璧に理想の娘を演じていたのです。
ですが、それはエスターにとっても辛いことだったはずなのです。
彼女はカウンセラーの診察を受けさせられますが、そのことで逆にケイトのほうが「貴方にも問題があるわ」と言われてしまいます。
ケイトが診察を受けている間、エスターはトイレの中で暴れます。
それは、カウンセラーを完璧にだましきったことによる、絶望があるでしょう。
プロであるカウンセラーですら、彼女の内面に気づくことができなかったのですから。
他人が望む自分を演じるというのは、想像以上にストレスになるものです。
彼女は、そのストレスによってさらなる問題行動を起こしてしまうのです。
全ては愛情不足からはじまる。
エスターは、父親を誘惑します。
彼女は、自分を偽り続けてきました。
そのため、愛情の行き場所を失って、父親に対して次々と愛情を求めてしまい、拒絶されることでさらなる問題を起こしてしまうのです。
内面の自分と、外面の自分とのギャップ。
いつまでも子供のまま、内面だけが大人になってしまうという点の絶望感については、当ブログでも紹介した「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」の吸血鬼にされてしまった娘と同種の問題でしょう。
ただし、エスターは、精神がバケモノなだけで肉体までバケモノなわけではありません。
肉体は人間である、というその悲哀もまた演出している点が優れていると思います。
サイコパスの女の子を養子に迎えてしまった家族の話、とひとくくりにすることもできますが、この物語は、子供に対しての愛情の与え方や、向き合い方、家族そのもののに対する問題そのものを取り扱った映画としても、観ることができますので、興味があるかたは一度見てみるのもいいかもしれません。
以上「問題行動を起こすのは何が悪い? ネタバレあり/エスター」でした!