不評?能年玲奈・のん主演「ホットロード」感想&解説
十代におけるバイブルとして語られる漫画「ホットロード」。
本作品を能年玲奈主演によって映画化したわけですが、色々と賛否両論がある作品となっております。
余分なところや、日本映画の悪いところがでていないわけではありませんが、この映画が伝えたい部分について感想&解説をしてみたいと思います。
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不良少女の純粋さ
本作品は、乱暴な言い方をしてしまえば、愛情不足の少女と、不器用な生き方しかできない少年の赦しと成長の物語です。
物語のはじまりで、能年玲奈こと、のんが演じる和希(かずき)の置かれている状態が一発でわかります。
万引きをして捕まっているにもかかわらず、和希は無表情のまま座っています。
母親が迎えにこないせいで、学校の先生が対応するのですが、和希は「お母さんは男と会っているんです」
と告白します。
家にかえった和希は、母親に対して「ママ、今日あたし、万引きで捕まったよ」というのですが、木村佳乃演じる母親は、夢の中にいるようにぼうっとしています。
「連絡なかった?」
「今日、仕事でほかに行ってたから」
和希の表情が再びなくなります。
彼女は、期待していたのです。
わざわざ書くまでもありませんが、彼女は、典型的な愛情不足の少女であり、母親が誕生日に男性と会っていたタイミングで、わざと万引きをして捕まり、母親の関心を自分に向けようとしていたのです。
映画「ホットロード」が描きだそうとしているのは、和希という少女が母親との和解する物語である、ということです。
そして、そのきっかけを与えたのは、暴走族横浜NIGHTSに所属する春山という男の存在なのです。
不良少年の純粋さ
春山の出会いは象徴的に描かれます。
映画「ホットロード」における和希という主人公は、お嬢様学校の生徒です。
エスカレーター式に大学までいくだろうしゃれた制服の学校を想像させ、その中で彼女は、愛されないことによって不安定になっています。
話しかけられても答えない和希。
不良グループのたまり場のようなところで座っている彼女に、春山という男が、心の中にずかずかと入り込もうとします。
春山という男もまた、純粋です。
不良であり暴走族に所属しているとはいえ、一番危険な交差点に入っていく切り込みする等、単なる情熱だけではできないことをやっているのです。
交差点に先に行って、車の通行を止めてしまう役目ですが、下手をすれば事故にあって真っ先に死んでしまうかもしれない危険なポジションです。
そんな危うい彼が、同じく危ういバランスの上にいる和希という少女に声をかけるのは、必然といえるでしょう。
愛情を注いでくれるもの
この作品は、子供が救われる世界を描いています。
和希がいる学校はお嬢様学校で、愛情の大小はあるものの多くの学友は普通に生活しているはずです。
その中で、どこか違和感を感じながらも生きている和希。
そこに、お嬢様学校になじめない友人が入ってきたことで、そちらに惹かれていきます。
正確にいえば、和希は学校になじめない人がきたから惹かれたのではなく、彼女にとって、差別や区別が嫌だったのでしょう。
なんで、誰かを差別したり、自分の交友関係を誰かに制限されなければならないのか。
突然、和希のセリフが強めになったりするのも、彼女のアンバランスさがよく表れています。
そこで出会った春山との疑似的な恋愛の中で、彼女は、母親以外からの愛情を感じ、そして、自己愛以外のものに気づいていくのです。
そのあたりが、食中毒で倒れた和希が、自分の薬を春山に与えるというところでもわかります。
子供が大人になるための一歩というのは、自分だけが得るのではなく、自分の大切なものを他人に惜しげもなく与えられるかどうか、という点なのです。
和希の純粋さ
ホットロードは何度も映画化が断られた作品だったそうです。
のんが演じることによって了解が得られたとのことですが、このキャスティングはたしかに絶妙だったと思います。
和希という女の子は、たんにかわいいだけではありません。
病的に心を傷ついているわけでもありません。
和希は純粋でありながら、強い意志がなければならないのです。
表現がいいか悪いかはわかりませんが、のんは見た目はかわいらしいお嬢さんに見えます。
ですが、単なるアイドル的な可愛さではなく、豹変しても違和感のない不思議さもまたもっている稀有な女優です。
和希は、お嬢様学校に通い、同時に不良少年少女たちの中でも自分自身を見失わない人物でなければならず、そういった意味で、絶妙なキャスティングなのです。
母親との関係
さて余談はこれぐらいにしますが、本作品の一つのポイントは、和希と母親の関係です。
木村佳乃演じる母親は、実は子供です。
高校1年生から付き合っていた男性がいたにも関わらず、理由はわかりませんが、別の男性と結婚して、相手もまた妻子がある。
それでも、自分の結婚は間違いだったと思って、いつまでも関係を続けて、娘への関心ンが薄い。
母親こそが、子供のままなのです。
和希はそんな母親が許せないのです。
「パパがかわいそう!」といったりしますが、彼女自身は父親の思い出などありません。
一つだけありますが、一つだけです。
その思い出も、あとで意味をなくしてしまいます。
そんな母親に対する愛憎の中で、彼女はぐれていくわけです。
「なんで、こんな子になっちゃったの?」
「おまえが、こういう娘したんだ!」
和希は怒りますが、それは当然でしょう。
自分に愛情を注がず、結婚が間違いで、高校時代の男との人生が本物だったと思っている母親と一緒であればなおのことです。
そして、勇気をだして話しかけた母親は、母親としての資質をもっていなかったのですから。
母親との転機
和希が変わるきっかけはいくつかあります。
大きな流れとしては、春山に出会うことで、自分以外の人間に愛情を向けられるようになったこと。
さらに、その前段階としては、他人の母に気遣ってもらったことです。
二日間寝込んでしまった和希は、春山の母親に言われます。
「髪の毛いたんじゃったね。あなたの体、大事にしなきゃかわいそうよ」
他人の母親に関心・愛情を向けてもらったことで、和希の中できっかけが生まれるのです。
だからこそ、次の場面で彼女は母親と対話をすることにしたのです。
「じゃあ、ママはあの日、どこいってたの?」
それまで、彼女は母親の愛情(関心)を欲しがっていましたが、はじめて自分の心を打ち明け始めたのです。
さて、母親に愛されなかったけれど、他人の母によって一つの気づきや赦しを得た作品で、もっとも有名な作品といえば、宮崎駿監督「風の谷のナウシカ」です。

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母親に愛されないと感じていたナウシカが、アスベルの母親に謝られます。
母親が不在になってしまっていたナウシカのセカイで、他人の母の言葉によって一つの赦しを得て、再び活力を取り戻す、という場面です。
映画「ホットロード」もまた、他人の母の力によって、彼女は変わっていったのです。
ただし、その言葉に対しての母親の対応は、あまりよい反応ではなかったのは、映画をみていただければわかるところです。
母親は、いつまでも、高校時代の恋人の少女のままなのです。
春山サイド
さて、和希が母親との関係の中で失望し、家出をしている間、春山サイドの物語が進行します。
族長を譲られてみたり、仲間からの信頼が得られなかったりする中で、彼は無責任さとスレスレの中で走り続けてきたにもかかわらず、自分の責任を負える男になっていくのです。
本作品における春山の話は、避けては通れないとはいえ、和希という少女の話が根底にあるだけに、蛇足のように感じてしまうのは残念なところではあります。
また、春山と和希が二人暮らししながら、いちゃいちゃするシーンは、それまで愛情が十分でなかったり、孤独を感じていた二人だったからこそ、その時間や感覚の穴埋めをしようと、子犬のようにじゃれあう姿は、みていてこそばゆいものを感じてしまいますが、青春の一つのシーンともいえるところです。
大団円にむけて
さて、このあとについては、伏線の回収や広げた風呂敷を畳んでいくという部分なので、簡単に解説します。
切り込みという危険なことをやっていた春山が、族の抗争の中で、事故にあってしまうといういつ発生してもおかしくないイベントが発生。
母親の代替であり、自分以外に大切なものになった春山を失ったことで、無気力になる和希が、再び気力を取り戻す、というところは、一度、彼女の中で母親との関係に決着がついてしまった後としては、物語としてそれほど重要ではないでしょう。
春山にとっても、自分の足でバイクに乗れなくなったとしても、それはそれで、厳しいでしょうが、和希という存在におかげで救われているはずです。
物語の最後で、和希は再び母親のいる実家で暮らし、学校に通います。
愛情不足に陥っていた和希は、愛情をとりもどし、愛するものを見つけることで成長しました。
いつかは春山の子供を産みたい(つまり、大人になりたい)という意気込みで物語は終わります。
不良な男と、女の子の悪くて泣ける物語ぐらいで考えてしまうと、本作品が描きたい部分を見過ごしてしまうかもしれませんので、登場人物の心情に寄り添いながらみると、また見えてくるもある作品となっています。
以上、不評?能年れな・のん主演「ホットロード」感想&解説でした!