エロとバカ/園子温監督「みんな!エスパーだよ」ドラマ&映画
「みんな!エスパーだよ」は、デトロイト・メタル・シティ等の代表作をもつ漫画家 若杉公徳氏の漫画です。
ある日突然エスパーに目覚めた少年が、その能力をつかって世界を救おうとするというほぼギャグとしか思えない設定でありながら、3巻のラストから一気に展開がかわっていきます。
正直言って、ドラマにする必要があるのかと思われるこの作品が、2013年には鬼才 園子温監督の手によって、ドラマ化・映画化されました。
今回は、ドラマをメインとしながら、映画を含めた中で、園子温版の「みんな!エスパーだよ」が、原作とどんなところを変更していったのかを含めて語ってみたいと思います。
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少年はカタカナの世界を救う!
主人公である鴨川嘉郎は、ある日、人の心の声が聞こえるようになる超能力、エスパー能力に目覚めます。
そして、彼は叫びます。
「ボクが、世界を救うんだ!」
俗に言う中二病的な発想ですが、この鴨川嘉郎の言葉こそがこの物語を、原作もドラマ版も映画版も繋ぐ一本の筋となっています。
主人公が、住んでいるのはドラマ版では愛知県東三河市です。
これは、監督である園子温監督が愛知県の豊川市出身だったからという理由だそうですが、ここで重要なのは、ここがド田舎だということです。
誤解と偏見を恐れずに書きますと、田舎の良くも悪くも下品なところをかなり誇張して描いています。
主人公は、何のとりえもない高校生です。
才能があるわけでもなく、好きな子がいても話すこともできない。成績が特別いいわけでも、運動ができるわけでもない。
すんでいるところは田舎で、友人はえっちなDVDの話ばかりしてくる男です。
周りの先生も、おじさんも、なんだったらアーケードを歩いている人たちも、みんな考えていることはエロいことばかりで、女子高生とみるや、非常にいやらしい妄想ばかりしていて、とても品性があるとはいえません。
鴨川嘉郎は、そんな田舎にうんざりしているのですが、自分は脇役で、このまま田舎から出ないまま生きていくんだろうと考えて生きていました。
ですが、何の脈絡もなく超能力を手に入れたことで、彼は思うのです。
「ボクは、ボクの人生の主人公になれるんだ。この力でボクは人生を変えるんだ」
そして、彼は、一ヶ月前に東京から転校してきた少女、浅見紗英(あさみ さえ)をエロ教師から守るため、超能力を使うと誓うのです。
さて、主人公は世界を救うと言っているのですが、舌の根も乾かないうちから、浅見さんを守ると言っています。
実は、主人公にとっての世界というのは、一度も話をしたこともない彼女と自分がいる世界を守る、という意味になっているのです。カレが守りたいセカイとは
さて、詳しい話は省略しますが、2000年代から現れた物語の類型の一つとして、セカイ系と呼ばれる形態があります。
セカイ系の特徴は、自意識過剰な主人公が、きみとぼくの二人の、小さな世界の中で起きる限定的な物語として考えていただければ、大きくはずしてはいないと思われます。
主人公にとって、大事なのはヒロインのことであって、それこそが主人公にとっての全てになっているのです。
だから、彼女がいなくなることは、彼にとってのセカイが終わることであり、世界の崩壊と、自分の半径20キロ程度の世界こそが、主人公にとっての全世界なのです。
原作でもドラマでも、なぜそこまで主人公がヒロインにこだわるのか。それは、その女の子がヒロインだから、という理由、それだけに過ぎません。
ヒロインの女の子は、性格が非常に悪いです。
主人公は、エスパー能力によってそれがわかっているはずですが、決して、彼女の性格の悪さを見ようとしません。
そもそも、一度も話したこともない転校生の女の子を、「きみこそがボクのヒロインだ! 君をまもっちゃるけんね」と思ってしまう思い込み、というのは、普通であれば痛いだけです。
ですが、ドラマ版では、まるで鴨川嘉郎の世界を守ろうとするようにセカイが実際に動いているという事実もあります。
ドラマ版は、特に主人公の願望が物語に流れており、それを理解することで、作品のバカバカしさを受け入れることができるようになるのです。
この物語は、おそらく、すべては彼の妄想、とまではいいませんが、その荒唐無稽な世界の中で、実は、セカイ系を皮肉り、そして、ほとんど成長しない人間達を描いているのがポイントです。
エロは世界を救う
この作品はいくつかの見方ができますが、その一つとして、童貞たちがいかにキモイ生き物であるか、なぜもてないのか、を徹底的にみせています。
この作品の中で、主要キャラとしてでてくる女性は三人しかいません。
一人は、園子温監督の奥さんである神楽坂恵演じる秋山女史。彼女は、安田顕演じる科学者の助手として、超能力の研究を行っています。
続いて、ヒロインであり、元ハロー!プロジェクト2期生であった真野恵理菜演じる浅見紗英。
そして、三人目が、女優として様々な作品に出演している夏帆演じる平野美由紀です。
原作と設定が異なっていて、ドラマ・映画版の平野美由紀は、主人公の幼馴染となっています。
だから、主人公とは仲が良く、しかし、ヤンキーになってしまっていたために疎遠だったのですが、超能力をもったことをきっかけに仲良くなり、うやむやのうちに主人公たちと行動を共にすることになります。
1話でもこの作品をみればわかるのですが、この作品が下品です。
そして、男(特に童貞)のもつゆがんだ女性観が誇張され、いい意味で頭が悪くなる作品です。
鴨川嘉郎たちは、マキタスポーツが演じるテルさんの店シーホースでよく集まります。
そこではシモネタは当たり前の世界です。
男だけの世界であれば笑ってみてられるのですが、夏帆演じる平野美由紀がいることで、事情が変わります。
彼女はヤンキーで男っぽい性格ですが、実はかわいい女の子という設定です。
そんな女の子がいるのに、男どもときたら、平気でシモネタを言うのです。
そのあたりの感性こそが、主人公達を主人公たらしめている要因でもあるのが、よくわかります。
「やりたいだにー」と欲望を垂れ流しの彼らですが、彼らが、自分で自分の恋人をつくったりする機会を奪っているのがよくわかります。
ちなみに、映画版では、自分の下腹部をテレポーテーションの超能力で見せては逃げる男、榎本洋介という先輩が、ヒロインである浅見さんに好かれる描写があります。
正直、好かれる要素はまったくないのですが、なぜかベタ惚れになるのです。
ですが、自分の欲望を垂れ流しにする男達をみて、浅見さんは榎本先輩に幻滅してしまうのです。
映像化された作品においては、女性から見た男がいかに幼稚であるか、という点を見ることができるのもおもしろいところです。
また、心の声が聞こえる女の子、という設定は、筒井康隆の小説「家族八景」「七瀬ふたたび」などの主人公である七瀬をモデルにしているんじゃないかと邪推してしまいます。
七瀬もまた、人の心の声が聞こえるという主人公で、その中にでてくる男性は、ほぼ必ず七瀬をみるといやらしい妄想をし、七瀬は男性不信ぎみになっている、という描写があるので、もう一人のヒロインである平野美由紀に興味がでたかたは、こちらの小説もオススメです。
マキタスポーツの悲哀
ドラマ版での最重要人物として、お笑い芸人でありミュージシャンでもある、多彩な活躍をみせるマキタスポーツが、永野輝光こと、テルさんとして大活躍します。
原作では、あまりぱっとしないキャラクターですが、ドラマ版では、主人公たちが集まる喫茶店シーホースのマスターとして、エロく、そしてバカな、素晴らしいキャラクターを演じています。
テルさんをまるまる一話つかった作品もあり、第八話「真実の愛? 奪われたエロの灯を消すな、大作戦!」においては童貞野郎がいかに純粋な存在かがわかるエピソードとなっていて、泣かせる話になっています。
ドラマ版では、エロをある意味バカにして描いています。
ですが、8話では、偽りの愛によって、エロがなくなってしまったテルさんに、みんなが再びエロを取り戻そうとする話になっています。
ドラマの最初のほうでは、エロいテルさんに対して、主人公たちがあきれていたにもかかわらず、この頃になると、人間にとってその人のキャラクター性というのは、エロという属性であったとしても、大事なものなのだと気づかされる、エロかなしい物語になっているのが見ものです。
マキタスポーツの演技も抜群で、憎めないけど、スケベなオジサンを熱演しているのが素晴らしいです。
テルさんあっての、ドラマ版といっても過言ではないでしょう。
世界は救われるのか。
ドラマ版は全12話。プラス、番外編があります。
全ての話で園子温が監督しているわけではありませんが、園子温が監督しているときは、オープニングの音楽のときに、わかるような演出が加わっています。
複数人の監督が行っているのですが、それぞれの監督によって演出の違いがわかるところも興味深いところです。
園子温はテンポのよい編集が多いのですが、やはり、場面から場面への転換が映画的なカットが多いのに比べて、他の監督では、バストアップのシーンが多様されていたり、いかにもドラマ的な演出になっていたりと、カットの繋ぎ方に注目しながらみると、別の見方を見つけられるかもしれません。
主に、ドラマ版の内容を話していましたが、映画は、園子温の今までの映画を彷彿とする場面や脚本に溢れています。
諸事情から夏帆が平野美由紀役で出られなくなり(海街diaryという映画の出演が重なったためという話が主流のようです)、池田エライザというモデルさんが演じていますが、基本的な役柄は同じです。
ただ、物語の荒唐無稽さが非常に今までの園子温らしく、演劇のような舞台設定や、集団に同じ台詞を言わせたりする手法は「自殺サークル」などでも見られます。
ドラマ版でも、父親を嫌っている浅見紗英が、いきなり改心して、鍋をつつくシーンなどは、園子温がモチーフにする擬似家族の象徴としてよく使う場面です。
宗教集団の中で、嘘みたいに明るい笑顔を向けながら鍋をつつく「愛のむきだし」や、家族を演じる擬似家族の物語「紀子の食卓」などでも血まみれの中で鍋をつつくシーンなど、園子温映画では切っても切れないシーンです。
東三河にいくだにー
ドラマ版も映画版も、いずれも、非常に荒唐無稽な終わり方をします。
おそらく、ドラマ版の最終話は、あまりに話がすごすぎてまったくついていけないと思いますが、散々書きましたとおり、この物語はセカイ系の物語であり、すべては鴨川芳郎という男のセカイなのです。
なので、そのセカイの中で、彼はしっかりと主人公になっている。
だから、物語としてはそれでいいのだと思います。
彼はしっかり、彼の物語の主人公になったのです。
みもふたもない話を書いてしまいましたが、エロとパンチラとコメディがたっぷり入っており、何も難しいことなんて考えずに、自分も東三河の住人になったつもりで見るのが一番正しい鑑賞方法だといえます。
ドラマ版の中で、安田顕演じる大学教授は、とある事柄によって落ち込んでしまい、キャバクラのおねーさんたちの店にはまってしまい、主人公に「駄目な大人だに」と思われ、まわりからもあきれられてしまいます。
ですが、「東三河弁を覚えないとな」
と言って、おねーさんたちから東三河弁を習うのです。
方言というのは、田舎っぽさを強調する一方で、東京を代表とする標準語を話す人間と比べると、時に暖かく響きます。
そんな風に田舎に溶け込んでいくことの大切さも暗に説いているのかもしれません。
そして、ドラマ版・映画版を全部みたときには、どえらいもんみただに! と思うこと、間違いなしです。
以上『園子温監督「みんな!エスパーだよ」ドラマ&映画』でした!