デ・ニーロとショーン・ペンの共演/俺たちは天使じゃない
ロバート・デ・ニーロといえば、知らない人のほうが少ないぐらいの有名な俳優です。
そのロバート・デ・ニーロと、これまた名優であるショーン・ペンが共演した1989年の映画、「俺たちは天使じゃない」を紹介・解説してみたいと思います。
比較的短い映画ということもあって見やすいというのもありますが、この映画では、刑務所に入っていた男が、信仰に目覚めていく過程を描きつつ、信仰するものを皮肉りながらも信仰によって救われる人たちを描く傑作です。
もともとは、舞台で行われたいたものが1955年の映画化され、そのリメイク版として、ロバート・デ・ニーロが製作総指揮を行うという、一風変わった映画でもあります。
日本人は比較的信仰には馴染みが薄い人が多いわけですが、本作品をみることで、信仰とはどういうものか、というのがわかるきっかけになるかもしれません。
デニーロの顔芸
ロバート・デ・ニーロといえば顔芸です。
「俺たちは天使じゃない」でも顔芸は健在で、困ったときは、必ず変顔で誤魔化します。
ロバート・デ・ニーロについては、誰しも一度や二度は映画でみたこともあるでしょうが、改めて代表作などを説明します。
まずは、マーティンスコセッシ監督「タクシードライバー」、ヴェトナム戦争で傷ついた心の持ち主である男トラヴィスを演じ、鏡の前で自分にむかって語りかけるシーンは、様々な作品に引用されています。
この映画の影響を受けて、実際に大統領暗殺未遂事件が発生してしまったことからも、その影響力の大きさが窺えます。
また、実在したボクサージェイク・ラモッタ役を演じた「レイジング・ブル」も有名で、アカデミー主演男優賞を受賞しています。
もちろん、デニーロといえばマフィア役です。
超有名作である「ゴッドファーザー2」では、若き日のヴィト・コルレオーネを演じ、マーティンスコセッシ監督「グッドフェローズ」でも、マフィアを演じ、圧倒的な存在感を発揮します。
コメディでも有名で、「俺たちは天使じゃない」のようなもので顔芸もありますが、今までの自分の役を利用した、精神病になってしまったマフィアを演じた「アナライズ・ミー」なんかも有名です。
演技の仕方も有名であり、役作りのために実際にその職業になってみたり、体重を大きく変えたりする、通称デニーロ・アプローチは、メソッド演技の代表とされています。
勘違いから始まる物語
さて、物語のほうに移りますが、
原題は、邦題の「俺たちは天使じゃない」とそのまま同じ「We're no Angels」となっています。
天使じゃない、とはどういうことか。
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刑務所を脱走することになってしまったロバート・デ・ニーロ演じるネッドと、少しほうっとした男であるショーン・ペン演じるジムが、国外に脱出しようとしたところ、神父に間違えられてしまったことから、その状況を利用して国境を越えようとするところから、物語が動いていきます。
コメディものでよくありがちな、勘違いものではありますが、そこから、信仰に触れていくところが見所です。
聖書の一説を見て、苦し紛れにショーン・ペンが老婆に言うと、勝手に向こうが「あんんたたち神父さんかい。それじゃあ、この鹿を楽にしてやってくれ」と銃を渡されます。
デ・ニーロとショーン・ペンは、刑務所にこそ入っていましたが、根は非常に優しい男たちなのがポイントです。
そのため、神父に間違えられてからも、徐々にまわりにおしきられるようにして物語が進んでいきます。
マリア様が見ている。
特徴的なのが、マリア様がことごとく主人公達を助けてくれることでしょう。
具体的には作品をみていただきたいと思いますが、それは都合がいいとしか思えない出来事がおこりますが、それもコメディと考えてもらえればと思います。
この作品では、神を信じていない親子がでてきます。
耳が聞こえない娘のために、5ドルで男たちと寝る女性を演じるのが、大女優デミ・ムーアです。
デニーロはデミムーアに惹かれますが、脱走中の身でお金もなく、また神父であるという身分からなかなか手がだせずにいます。
「神父さんだったら、奇跡を起こして、娘の耳を聞こえるようにしてよ」
と言われて、どうしようもできないデニーロ。
この物語は、一見して都合がいいと思われるぐらいの奇跡が立て続けに起こりますが、それは非常に願いを体言したかのようなものなので、決してご都合主義にみえないところが絶妙です。
最後には、マリア様が自ら主人公を助けてくれる、という、映画史上でも類を見ない身体をはった奇跡をみることができます。
信仰を持たないものの末路
リメイク版では、二人ではなく脱走した三人で行動をともにします。
男達3人が雑貨屋に行くと脱走中なのにも関わらず、みるにみかねて雑貨やを手伝おうとすることになっていきます。
ですが、デニーロ版では、3人のうちの一人は、物語序盤にでてくるものの途中からでてこなくなります。
この物語が、刑務所からでたものの、3人の男たちの異なる運命を描いているところにも魅力があると思います。
物語のネタバレ的になってしまうので、軽く書くのみにしますが、ロバート・デ・ニーロは普通に女性を愛する男です。はじめこそ信仰をバカにさえしているのですが、やがて、信仰によって、愛を得ていくというまさに主人公たるにふさわしい男です。
続いてショーン・ペンは、信仰に身を捧げる決意をしていくことを選択していきます。
その先にあるものがなんなのかは、物語を最後までみていただきたいと思いますが、デニーロとはまた違った道に進んでいきます。
3人目の男は、信仰をもたなかった男です。
二人は信仰に助けられ、もう一人は信仰によって最後に向かっていってしまう人物として描かれています。
かといって、これは宗教を信じろとかいう話ではありません。
何かを信じるということが、人間の力になるということを描いた物語でもあるのです。
大演説 ポケットの中身の論争
名シーンの中に、ショーン・ペン演じるジムが、全員の前で話をしなければいけなくなり、ポケットに握り締めた紙切れを頼りに大演説を繰り広げるシーンがあります。
壁に貼ってあった聖書の言葉を頼りに、意味もわからずに言葉を話していた男。
その男が、銃のチラシを頼りに自分の言葉を紡いでいく姿は感動的ですらあります。
大変な危機に出会ったとき、ポケットの中に何が入っているのか。
はじめこそ誰かの受け売りで言葉を紡いでいた男が、数々の困難をもとに得た経験を、大観衆の前で言葉にしていく。
信仰や経験が、一人の男を大きく成長させ、それが、まわりにも波及していく様がすばらしいです。
このシーンでは、刑務所の所長が脱走者がいないかを探しているのですが、ショーン
・ペンがあまりに立派な演説をするので、まさかその男が脱走犯だなんて、まったく思わないのです。
もし、彼が成長していなかったら、所長は彼を見つけてしまっていたに違いないのです。
トレーラー映像の中でもありますが、「君らもエジプトでは異邦人だった」という言葉を引用している、というのがありますが、劇中の中で「これがテーマですね」というのは、まさにこの映画そのもののテーマでもあります。
信仰を持たなかったデニーロやショーン・ペンが、いつのまにかこの町で異邦人ではなくなっていく様子が描かれているのです。
コメディ映画としても、信仰の物語としても、非常に優れた映画ですので、興味がある方は是非みてみることをおススメします。
以上、「デ・ニーロとショーン・ペンの共演/俺たちは天使じゃない」でした!