60歳差の愛 「ハロルドとモード 少年は虹を渡る」
普段恋愛映画はあまり見ないのですが、珍しくこの前鑑賞しました!
ハル・アシュビー監督『ハロルドとモード 少年は虹を渡る』(1971年、91分、アメリカ)。
ずっと観たい観たいと思っていたのですが、ようやく観ることができました。
この映画は、異色の恋愛映画として海外でカルト的人気を博していました。
数年前、日本でも映画館で上映され(その時は観にいけませんでした!)、その後DVD,BDが発売されました。今では容易に観ることができますので、気になる方はぜひ買うなり、レンタルするなりしてください!
年齢差約60歳の恋愛映画。45年ほど前の映画ですが、今でも色あせない名作です!
どんな映画?
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ハロルド(19歳)という青年とモード(79歳)という老女の、年齢差約60歳の恋愛を描いた異色作です。
ハロルドには父親がいませんが、母と広大な屋敷に住んでいます。いわゆるお金持ちです。どのくらいお金持ちかというと、屋敷の中は高級そうな美術品で溢れ、車もポンと買ってくれるほどです。
そんなハロルドには二つの趣味があります。
ひとつは狂言自殺。
冒頭、約五分ほどかけて、彼が屋敷内で首吊り自殺をするシーンがうつされます。
ドアを開けて入ってきた母親は、ハロルドの首吊りを見ても一向に動じません。
彼がいつも自殺の演技をしているので慣れてしまってるわけです。
そんな特殊な家庭環境を描写する冒頭のシーン。
ぐっと物語に引き込まれる、いいオープニングですね(余談ですが、この狂言自殺のシーン、カメラは執拗にハロルドの足元をとらえます。これは首吊りを決行した時に足がだらんと垂れ下がるのをショッキングにみせるための演出だと思われます。このような細かい演出がこの作品では随所にみられます)。
また、この自殺ごっこを含むオープニング自体がラストシーンの伏線にもなっております。
ハロルドのもうひとつの趣味が他人の葬式に参列すること。
狂言自殺と葬式への参列(さらに、ビルなどの解体現場を見ること)。
何不自由なく育てられたはずのハロルドは、それ故に興味の対象を「死」に向けているようです。
一方、モードは79歳の老女。ですが非常に元気で、彼女も見知らぬ他人の葬式に参加することを日課にしていました。そんな他人の葬式会場でモードがハロルドに話しかけたことから全てが始まります。
「75じゃ早すぎるし85は遅すぎる。80ならちょうどよい」
初めてハロルドと会った時にモードが何気なく語った言葉。
近々80歳の誕生日を迎えるモードが、自身の死ぬべき年齢をあらわしています。
モードは、死は終わりなどではなく、あらゆる生命は死と生を繰り返しながら命を育んでいる、それは人間も自然も変わらないという信念を持っています。彼女にとってみれば葬式は必ずしも悲しみの場ではなく、次なる生へ向けた素晴らしいセレモニーの場となります。彼女は死を祝福するため、他人の葬式に参列していたのです。
趣味は同じでも、死を覗き込むように傍観しているハロルドとは、理由付けが違います。また、その違いにハロルドは惹かれていくのです。
風変わりなデートを重ねる二人
モードはかなり過激な性格をしています(見た目も喋り方も若々しく、あんまりお婆ちゃんという感じもしません)。
人の車やバイクを勝手に奪い(特殊な「鍵」を持っているようです)、無免許で危険運転する。
街中に植えられている木に同情して、引っこ抜き、自然の中に植えなおす。
知り合いの作家のヌードモデルをする。
そのどれもがハロルドにとっては新鮮です。
そもそもハロルドと本格的に知り合いとなった原因が、彼のマイカーを葬儀の帰りにモードが盗んだためというものなのです。
ハロルドは顔が青白く、言葉数も少なく、自分の興味にないものにはなるべく関わりたくないという感じで日々を生きています。
一方、モードはよく喋るし、よく動く。やりたいと思ったことはとりあえずやってしまう。ハロルドとの対比を視覚的にあらわすため、葬式でオレンジをかじる、傘、コート、ひまわり、ジンジャーパイ。など黄色、暖色のイメージで彼女のパーソナリティがあらわされます。
ハロルドの家は美術品、芸術品(=貨幣的価値の高さ、旧来の価値観、他人の評価を気にする)が美しく並べられていますが、モードの家(トレーラーハウス?)にはガラクタ(街中の「空気」、女性器を模した大きな美術作品など)が雑然と置かれています。ここでも二人の置かれている環境の違いがわかりやすく表現されています。
ハロルドは自分にない価値観を持ったモードに惹かれていきます。
彼の母親は、父親のいないハロルドを快活で強い男性に育てようとしますが、うまくいきません。映画の中で、あたかも父親の代役のように登場する叔父(軍人)、精神分析医などにも彼は心を開くことができません。
ハロルドがモードになぜ狂言自殺をするのか、理由を話すシーンがあります。それは学校で起こった事故によりハロルドが死んだと思い込んだ母親が普段まったく見せないような動揺した様子を見せたためです。彼は母親の気をひきたいがために自殺の真似事をしていたのです(なんと後ろ向きで、いじらしいのでしょうか)。
モードは、彼女が自宅に飾っている傘を発端として、自身がアウシュビッツ収容所の生き残りであること(他人の決めたルールや価値観に縛られることを否定する生き方の原因となった出来事)を明かします。
遊園地でデート(このシーンはとてもファンタジックで美しい)したあと、ハロルドはモードに指輪を贈ります。母親に強制的に何度か見合いをさせられていたハロルドは自身で婚約者を見つけるのです(狂言自殺しか自己主張ができなかった彼が結婚相手を自分で選ぶ、というところに成長が感じられます)。
しかし、モードはその指輪を海に投げ捨ててしまいます。
「これで、どこに指輪があるか一生忘れないでしょう?」
この告白シーンの間にモードの腕に、アウシュビッツの囚人番号が今でも読み取れる状態で刻印されているのが分かります。彼女は人生のことあるごとにその数字を眺めたことでしょう。その度に過去の辛い出来事に思いをはせたかもしれません。
その夜、ハロルドとモードは結ばれるのですが、結局それが最初で最後の愛の交歓となります。
死と再生のラストシーン
モードの80歳の誕生日パーティ。モードはハロルドに「致死性の薬を飲んだので、もうすぐ死ぬだろう」と告げます。ハロルドと最初に言葉を交わした時に言った「80歳は死ぬのにちょうどいい年齢」というのを実行してしまうのです。誰にも自分の価値観を左右されたくないモードは、死ぬ時も自分の意思で決めたのです。自分を愛してくれる人が誕生日を祝ってくれる、その日を最後の時に選んで。
ハロルドは取り乱しながらも急いでモードを病院へ連れて行きますが、あっけなく死んでしまいます。
それは彼の人生に訪れた最大の衝撃といえます。
モードはアウシュビッツにおける友人の死や、自身の死の危機を乗り越え、自分の新しい生き方を見出しました。
ラストシーン、ハロルドは一人で車を運転し、崖から落ちます。
結局、彼は悲しみに暮れて死を選んでしまったのか?
そう観客が思ったあと、彼が崖の上をバンジョーで弾き語りながらブラブラ歩いていくシーンに切り替わります。彼は生き続けることを選んだのです。
彼が、モードから貰ったバンジョー(弦楽器。たとえ歌が下手でも、歌いたいなら歌う=自分がやりたいことをやりたいようにやる、つまりハロルドの信条を象徴するアイテム)で苦手ながらも歌を歌うことで、彼女の死を受け入れ、死んでいるように生きていたハロルド自身が生まれ変わったことを表現する、ポジティブなエンディングだと思います。
まとめ
この映画を簡単にあらわすと「生きている実感を味わえなかったハロルドが、モードの個性を尊重する生き方に触発され、生まれ変わる」という、死と再生の物語です。
そこが単純な恋愛映画と違っている部分ですね。
60歳差の恋愛、と書くとそこだけがピックアップされるかもしれないのですが、人生論にまで踏み込んでいて、また前述したように映像・演出もいいので、ファンタジックな恋愛映画が見たい、という人にオススメです。
生と死をポジティブな繋がりを持つものとして捉えていたモード。
バンジョーを弾き語るハロルドの前に、いつの日か、モードのように天真爛漫で人生を謳歌する女性があらわれることを願いつつ、今回の原稿を終えたいと思います。