シネマトブログ

映画の評論・感想を紹介するサークル「ブヴァールとペキュシェ」によるブログです。不定期ですが必ず20:00に更新します

亡くなった家族の受け入れ方。映画「ラブリーボーン」

ラブリー・ボーン (字幕版)

ラブリーボーンは、ハリーポッターシリーズの監督でおなじみピーター・ジャクソン監督による作品です。

14歳で殺された女の子が、現世と天国との間から家族や友人を見守るというファンタジーさと犯罪が入り混じった稀有な作品となっています。

残酷な話に見えますが、愛らしくも感動的な本作品について語ってみたいと思います。

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いたって普通の家族の物語

主人公であるスージーは、自分が大好きな女の子です。
カメラを与えられて自撮りはするし、男の子に恋をしながら引っ込み思案だったり、天真爛漫という形容詞がよく似合う女の子です。
マーク・ウォールバーグ演じる父親であるジャックは、ボトルシップをつくるのが趣味の普通の男です。

 

ボトルシップ250cc(CUTTY SARK)

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この作品は、いわゆる普通の幸せな家族を描いています。
奥さんは美人ですが、若いころはカミュを読んだりするインテリ風でありながら、子供が生まれれば育児本を大量に読んでいて、際立って特徴がある人物ではありません。
そんな一見普通の家族ですが、変質者にスージーが目をつけられてしまったことで世界は一変してしまいます。

ハリー・ポッターのような演出

監督がピーター・ジャクソン監督ということもあって、演出がところどころハリー・ポッター風になっています。
真正面から風が吹いて髪がなびいてみたりするところや、特に、天国の手前のセカイでのシーンは、ハリー・ポッターの演出が多く見受けられるのも面白いところです。

この作品では、この世と天国の間で見守るスージーと、家族たちや友人たちの視点で描かれますが、スージーはいる場所は、いわゆる煉獄と呼ばれる場所だと思われます。

ラブリーボーン」の演出で面白いのは、この煉獄の描き方です。

スージーは、気づいたら殺されています。
この作品は、グロテスクなシーンはそれほどありません。多少、袋の中に遺体があるんだろうなぁ、とか、死体が森の中で横たわっていたりしますが、グロテスクには描いていません。
 
ですが、実際に暴力を振るわれるシーンはありませんが、犯人に捕まって
 
「帰らせて」
 
とスージーが言うのですが、コーラを飲んでいきなよ、とかいってごまかそうとするとにかく気持ち悪い犯人がよく描かれています。
 

死の描き方

死後の考え方というのはいろいろとありますが、「ラブリーボーン」では死というのをもっとイメージ化した世界として描いています。
 
少しわかりずらいかと思いますが、死んだ人間は、死んだ日を繰り返す。
といった考えでつくられる作品もいくつかあります。
漫画でいえば、煉獄のカルマです。
自殺した人間は身近な6人を不幸にするといった考えのもと、6人の人間を助けていくといった物語になっています。

 

煉獄のカルマ(1) (週刊少年マガジンコミックス)

煉獄のカルマ(1) (週刊少年マガジンコミックス)

 

 

もっと都市伝説的な形でいえば、自殺する人間は毎日自殺を繰り返すといった、恐ろしい考え。

ラブリー・ボーン」で描かれる死のセカイ、天国に行くまでのセカイというのは、どこまでもイメージのセカイとなっています。

スージーは、夜になればまた残酷に殺された自分を思い出して追体験することになる。
または、スージーのことを誰かが思えば、それが煉獄と連動して影響を与える世界です。
そのため、スージーが死んだことで絶望した父親が、大切につくってきたボトルシップを次々と破壊するシーンと、煉獄での巨大なボトルシップが壊れていくシーンが描かれるのがよくわかるところです。
この世の世界にいる人間の想いが、煉獄に影響を与えていく。

そんな思想で描かれていることで、スージーがどんな心境であるかも推測できるところです。
 

犯罪者の描き方

近所に住む殺人鬼であるジョージ・ハーヴイは、スージーに目をつけてしまいます。
彼は計画を立てて着実に行おうとするサイコパスです。
 
スージーに目を付けたあとは、彼女をとらえるための施設をとうもろこし畑に作成しようとして準備を進め、一瞬でも彼女の気を引くための場所を作り上げるのです。
 
バラを育てるという貴族趣味な男である彼は、犯罪をしないわけにはいかない性癖のもちぬしです。
対比するのも申し訳ないところではありますが、ジョジョにおける吉良吉影のような存在だと思ってもらえればいいのではないでしょうか。
社会生活も普通におくっているにもかかわらず、犯罪をしたくなる欲求にあらがうことができず、何度も過ちを繰り返す。

 

 

しかし、「ラブリーボーン」が、犯罪者に殺されてしまったかわいそうな女の子の話というだけではありません。

家族の在り方や死の受け入れ方

この作品は、普通の家族が日常を奪われ、再び日常を手に入れる物語です。

母親が若いころに読んでいた本がカミュであったように、不条理というものが世界にあふれています。

どうして、あの娘が殺されなければならなかったのか。

そう思いたくなるところですが、不条理は不条理だからこそ不条理なのです。

娘の死を受け入れられず困惑し、妻は出て行って農園でオレンジをつみ、あまり物事を考えなかった妹は、努力をして優秀になっていく。
一人の人間の死はつらいものですが、それは受け入れていかなければならないものとして描いています。

スージーは家族が心配で、成仏できないでいます。

スージーが下界を見守ることができるのは、マーク・ウォールバーグ演じる父親の強い想いがあるためです。このあたりは、イメージの世界であるから、というのが大きいですね。

しかし、真犯人に気づいても、警察は動いてくれず、自分で動いてもかえりうちにあってしまったことで、心が折れてしまう。
いつまでも、家族の死にとらわれているわけにもいかず、キスもしなかった妹はボーイフレンドをつくって、姉の年齢を超えていく。

ラブリーボーン」は、猟奇殺人に殺された14歳の女の子の話ではありますが、その中で強く生きる人たちを描いている作品となっていますので、見方をかえてみることで違った面白さを感じることができるものとなっています。
 
以上、亡くなった家族の受け入れ方。映画「ラブリーボーン」でした!
 
 
 
 
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