シネマトブログ

映画の評論・感想を紹介するサークル「ブヴァールとペキュシェ」によるブログです。不定期ですが必ず20:00に更新します

誰かの幸福は誰かの不幸/クリント・イーストウッド「トゥルー・クライム」  

 

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クリント・イーストウッド監督といえば、俳優では「ダーティ・ハリー」「マディソン群の橋」、監督では「許されざるもの」や「グラン・トリノ」といった素晴らしい作品に出演・撮影している大物中の大物です。

そのクリント・イーストウッド作品の中でも、すこし地味な印象のある「トゥルー・クライム」ですが、この作品もまた、A級監督であるクリント・イーストウッドらしい素晴らしい作品となっていますので、解説してみたいと思います。

 

新聞記者が死刑囚をインタビュー

クリント・イーストウッド演じるスティーブ・エレベットは、少々困った新聞記者です。

事件の匂いをかぎ分ける鼻をもっていることを誇りにおもっている彼は、最近、うまくいっていないことに、自分自身で気づいています。

主人公のエレベットは、女好きです。
女性問題でおそらくは何度も問題を起こしているでしょうが、彼は改めることができません。

新人の記者である女性を口説いていたら、その子は事故で亡くなってしまいます。

その子が取材していたのが「お店でバイトをしていた妊婦を、銃で撃ち殺した黒人死刑囚」についてです。

その事件を引き継ぐことになったクリント・イーストウッドは、余計なことを考えるなと何度も警告されているにも関わらず、事件が冤罪ではないかと自慢の鼻で気づいてしまい、冤罪事件を暴くべく真相を追いかける、という物語になっています。


物語としては、ビーチャムが死刑になってしまうのと平行して、死刑の12時間前にクリント・イーストウッド演じる主人公が冤罪を証明することができるのか、というサスペンスな内容になっています。

刻々と迫る死刑の時間と、少しずつ事件の真相がわかっていく編集の仕方も非常にうまく、飽きさせないものとなっていますが、この作品の面白さはそこだけではありません。

 

主人公はダメ人間

主人公のエベレットは女好きで、仕事のためには家族をないがしろにしてしまう人物です。

同僚の奥さんとは浮気をしますし、動物園にいきたいといっている娘に対しても、酷い扱いをします。

 

「カバ君がみたいの」という娘を放っておくわけにもいかず、かといって、事件も気になるエベレットは、どちらも終わらせる方法をとります。

カートに娘を乗せて、全力疾走で一気に動物園を見せて終わらせようとするのです。

娘は怪我をしますし、たいして見ることもできないしで、酷い父親です。


同僚の奥さんとの浮気もばれてしまって、もうとんでもないことになってしまいます。


余談ですが、クリント・イーストウッド本人も実はかなりの女好きで知られています。

トゥルー・クライム」に登場する娘は、5,6歳ぐらいだと思われますが、実はクリント・イーストウッドの実の娘です。

名前はフランチェスカ・フィッシャー・イーストウッドと言います。

そのため、「ダディー」と呼ぶ娘の演技がごく自然にみえるのは、実の娘と父親という関係がそうさせるのかもしれません。

 

主人公は、家庭でも、仕事でもうまくいきません。

そんな中、死刑囚であるビーチャムの無実を晴らすことで、自分自身を取り戻すためにも、なんとかしようと奔走します。

ダメな男が復活する話しかと思いきや、こと「トゥルー・クライム」に関しては、これは物語のテーマをよりわかりやすくするための人物造詣だといえます。

 

不幸や幸福は簡単にはわからない。

どういうことか。

ここからは、ネタバレになりますので、大丈夫な人だけ戻ってきていただきたいと思います。

 

物語のあらすじ自体はそう難しくありませんが、この作品でいいたいテーマは「不幸と幸福」についてではないでしょうか。

あるいは、誰かの幸福は誰かの不幸の上に成り立っているということを述べているように思われます。


それが示唆される場面はいくつかありますが、特にポイントになっているのは、妊婦を撃ち殺した真犯人をイーストウッドが見つけ、犯人の祖母に声をかけるところです。

「すぐにでも会いたい。彼の居場所をご存知ですか」

「もちろん。でも、会えないわ」

「罪のない男が、殺されるんだ。真実を暴かないと今夜、彼が死刑になるんですよ」

なんとかして、ビーチャム氏を救おうとするクリント・イーストウッドですが、犯人の祖母が言った言葉に絶句してしまいます。

「この地区では罪のない人間が次々と殺されているのよ。でも、記者の姿は一度も見かけない。私が知っている事実は一つだけよ。孫は3年前から墓の中に眠っている。公園で、誰かに刺されたの。やさしい子だったわ。あの子が殺されたとき、誰も取材にこなかった。誰も真実なんて暴きにこなかった」

ここで重要なのは、真犯人が死んでいたことではありません。

真犯人もまた誰かによって殺さたにもかかわらず、この地区では死はあたりまえなのです。

でも、祖母にとってはやっぱり孫の死は悲劇であり、でも、他人からみればそれは当たり前のこと。

 

また、死刑囚であるビーチャムに取材にいったクリント・イーストウッドが、彼の無実を信じていることを伝えると、ビーチャムの奥さんが叫びます。

「無実を信じてくれるのね」

「ああ、信じてる」

「どこにいたの? なぜもっと早く来なかったのよ! どうして早く来なかったのよ!」


一人の人間が知りえることには限界があります。

ビーチャム氏が無実だと信じて、それを調べるのが主人公であるエベレットですが、彼が救える人間には限りがあります。

普通であれば、死刑になる当日に無実を信じる人物が現れたところで、それは単なる絶望を上塗りすることにしかなりません。

今更協力者が現れたところで、全ては遅いのです。


また、犯人の祖母もそうですが、その死刑囚は助かるかもしれないけれど、なぜ、自分の孫のときは、来てくれなかったのか。

なぜ、見知らぬ他人には光が当たって、自分の孫には光が当たらなかったのか。

 

正義のヒーローがいたとしても、ヒーローが救えるのは目の前にいる人物だけです。

ましてや、それが、生身の人間であれば、その範囲は限られてしまいます。

救えるひと、救えないひと

トゥルー・クライム」は、人間がもつ限界や、幸福や不幸の姿を浮き彫りにします。


ネタバレですが、死刑囚であるビーチャムは危機一髪のところで助かります。

ですが、クリント・イーストウッド演じる主人公は、幸福ではありません。

 

普通のハリウッド的な映画であれば、見事に無実の罪を晴らした主人公は、無事に家族と暮らせるようになった元死刑囚をみて満足し、大ニュースをものにしたことで仕事も順調にすすみ、彼自身もまた自信を取り戻すことでしょう。

家族とも幸せに過ごし、ハッピーエンドが迎えられるはずです。

 

ですが、「トゥルー・クライム」のラストでは、元死刑囚の家族は幸せそうに過ごしていますが、クリント・イーストウッドは、家を失い、家族を失い、一人で寂しく街でビーチャム一家を見つけます。


主人公は自分の幸せは、失ってしまったのです。

おそらく、無実の罪なんて晴らさなければ、真実なんてものを暴こうとしなければ、主人公は家族を失わなかったかもしれません。


不幸と幸福については、いくつか作品上でも提示されています。

主人公が浮気していた同僚の奥さんは、旦那の気を引くために浮気をしていたことがわかります。

普通であればどういう神経をしているのか、と思うところですが、奥さんが寂しがっていることを知った旦那は、結果として妻を大切にします。

ですが、主人公は浮気がばれてしまい、家庭崩壊に繋がります。

ビーチャム一家は幸せになりましたが、その発端となったのは、若く優秀な新人記者である女性ミシェルが事故で死に、主人公に仕事がまわってきたおかげです。

一方で、新人記者の父親は、遺品を整理しながら娘が死んだことで呆然としてしまっています。


また、「トゥルー・クライム」では、いい人も悪い人も同時に描いています。

神父でありながら、教会の力を示すためにビーチャムを利用しようとする人物や、一見ふざけた看守達に見えながら、一方で、緑色の鉛筆をなくして泣いているビーチャムの子供のために総出で探してあげたりもします。


人間の多面性や、不幸や幸福がどんな形で積み上げられているものかも含めて、考えさせられる非常に深い映画が「トゥルー・クライム」となっています。

クリント・イーストウッド監督の映画の多くは、テーマ性で強くでており、映画をみたあとに、映画を通して何か考えさせられるものとなっていますので、気になった方は是非、そのあたりも含めた中でご覧いただくと、新たな発見があるかもしれません。


以上、誰かの幸福は誰かの不幸/クリント・イーストウッドトゥルー・クライム」でした!

 

真夜中の死線 (創元推理文庫)

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当ブログで紹介しているクリント・イーストウッド監督作品は以下となります。

 

 

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