シネマトブログ

映画の評論・感想を紹介するサークル「ブヴァールとペキュシェ」によるブログです。不定期ですが必ず20:00に更新します

私の敵は、私です。/ジェイク・ギレンホール主演「複製された男」

複製された男 (字幕版)

 

「脳力が試される究極の心理ミステリー」と称された本作品は、一見すると難解にみえる作品ですが、ある程度のキーワードを抑えておくことで、非常に身近で、バカな男の性がわかる作品としてみることができる作品となっています。

ネタバレはあっさりめにしていますが、ネタバレなしには語れない作品となっておりますので、その点を留意して記事をご覧いただきたいと思います。

複製されたのか?


本作品を観ていて気にしてしまうことは、主人公とまったく同じ姿の男は、クローン人間なのか、ということでしょう。

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表面的なあらすじを説明しますと、歴史の講師をやっているアダム・ベルは、ある日自分とそっくりな人物アンソニーを映画の中で見つけます。

その男と会ってみると、自分と瓜二つであり、傷のあとまで同じであることがわかります。

混乱する彼に、俳優をやっているアンソニーは、自分と入れ替わり、アダムが付き合っている彼女とデートに行かせろと迫ってきます。

二人は服を交換し、アンソニーは、アダムの奥さんのところへと向かう、という話です。

 

時々でてくる蜘蛛のモチーフ。

冒頭の、怪しげな秘密クラブ。

やたらと途切れる映像など、深読みしたくなる箇所がいくつもある作品です。


さっさとネタバレしてしまいますので、気になる方は是非、ご覧頂いてから戻ってきていただけると幸いです。


さて、

 

タイトルが「複製された男」なので、そんな先入観をもってみてしまうところですが、原題では「enemy(敵)」となっています。


果たして、敵とはいったい誰なのか。

このような場合、えてして敵とは自分のことです。

 

敵は誰か。

重要な言葉として「6ヶ月」という期間が使われます。


主人公は、自分とそっくりな俳優であるアンソニーのことを探るために、放送局に俳優のふりをして乗り込みます。

「久しぶりだな。6ヶ月ぶりじゃないか」

と声をかけられます。

また、妊娠している俳優をやっているアンソニーの奥さんもまた妊娠6ヶ月です。


この作品を見るときにもっとも重要視するべきところは、俳優であるアンソニーも教師であるアダムも同一人物である、という前提にたつことです。


往年の名作である、「ジキルとハイド」の名前をだせば、なんとなく想像がつくのではないかと思います。

 

これは、奥さんもいてバイクにのって俳優業をおこなっているある意味において理想の自分を体現した存在であるアンソニー

そして、堅実だけれども、なんの面白みもない教師をやっているアダム・ベル。

この二つの人格が起こしている物語ということがわかると、途端に作品がわかりやすくなります。

 

ジキルとハイド (新潮文庫)

ジキルとハイド (新潮文庫)

 

 

 アンソニー(俳優)側から見ると、自分とそっくりの男がいて、そこにスタイルのよい彼女がいるというので、浮気の虫がうずくわけです。

 

浮気をしたくなる主人公の、心の問題として、自分自身が敵、という意味もあると思います。

また、日本語タイトルが「複製された男」です。


そして、何が複製されたか、というと、自分自身のことでしょう。

正確かどうかは別として、現実と理想の間で、分裂症になっている人間の話とみることもできるのです。


教師をやっているアダム・ベルは、今の生活に満足しているようには見えません。

スタイルのいい彼女もいて、教師としていいアパートに住んでいる。

片一方で、自分と同じ顔のアンソニーは、妊娠6ヶ月の奥さんがいて、俳優業をして優雅に暮らしている。

二人の関係にねじれが生じているというところがありますが、「複製された男」をわかりやすくみる場合には、この物語と似たような作品を参照にしながら、解説するとどういうことかがわかりやすくなると思います。

 

参照にする映画。


映画評論家である町山智弘氏が有料で公開している映画ムダ話の中でも解説されておりますが、この作品はいくつかの作品を思い起こさせる部分があります。

 

まずは、デヴィット・フィンチャー監督「イレイザーヘッド」です。この作品については、町山智浩氏が非常に詳しく著書などで解説しておりますが、監督が若くして子供を授かってしまったことの恐怖を描いたものとなっております。


「複製された男」でも、奥さんが妊娠したのは6ヶ月前、俳優業をやめて放送局に顔をださなくなったのも6ヶ月前なのです。

 

 

自分の母親にも「俳優なんてものにあこがれるのはやめなさい」と散々言われており、実は女好きの彼にとっては、妊娠中の奥さんは、欲求不満がたまる部分が多いのではないでしょうか。

子供ができる恐怖というよりは、子供ができたことで俳優をやめざるえなくなったことや、堅実な商売をやっているという、理想の自分とのギャップが描かれたものではないでしょうか。

暗い画面や、電線などがはりめぐらされた町並みからも、主人公が明るい気分ではないいことが想像できます。 

また、浮気や夫婦の問題として捉えたとき、スタンリーキューブリック監督「アイズ・ワイド・シャット」も思い出させるところです。


本ブログでも解説しておりますので、気になった方は是非みていただきたいと思いますが、「アイズワイドシャット」は、もてもての医者であるトム・クルーズが、数々の誘惑にあいながらも、あと一歩のところで浮気をしない、という物語となっています。


「複製された男」にしても、一種の夫婦の危機の話である、という点や、自分自身とはゆえ、誘惑の危険性があるという点においても類似する点は多いです。

 

cinematoblog.hatenablog.com

 

また、アカデミー作品章を受賞し、本ブログでも紹介した「バードマン あるいは(無知という名の予期せぬ奇跡)」も似たような話です。

この作品でも、バードマンとしてでてくるのは、もう一人の主人公自身であり、作品の中で、彼が空を飛んだりしているのは、全て彼の妄想となっています。


そのため、誰か他人がいる場合、彼はものを自分の手で投げており、一人でいるときにはそれは超能力のような力で吹き飛んでいるように見えるのです。

しかし、重複しますが、彼の中ではたしかにそのように感じている、というのが映像として表現されているところがポイントです。

 

cinematoblog.hatenablog.com

 

「複製された男」でも、俳優のアンソニーと教師のアダムは電話で話しているというシーンがありますが、奥さんからみたときには、一人でしゃべっているようにしか見えなかったのです。

電話の履歴も残っていないことからもそれがわかります。

 

この作品の原題でいうところの、敵は、まさに、自分自身であり、複製されている、自分がつくりだした妄想の自分そのものなのです。

 

歴史は繰り返す

 

主人公が講義の中で繰り返すいうことがあります。

「支配。時の権力者は、情報を制限することで支配をしてきた」


この作品のテーマは、その講義を体言するかのような内容になっています。


映画を普通にみていると、記事冒頭でも書いたように、自分そっくりの男と出合った主人公が、慌てふためく話と要約できますが、これが一人の男の中で起こっている出来事であるということを考えると、講義の内容も違ってみえてきます。


この作品自体が、観客に対して情報を制限することで勘違いをさせ、なおかつ、何度も繰り返されるものである、ということも伝えています。

 

この作品の冒頭部で秘密クラブのようなところに主人公は入ります。

そこにいくためにはカギが必要なようですが、主人公は、物語の終わりにそのカギを手に入れるのです。


終わりに手に入れ、また冒頭部に戻る。

これこそが、講義でいっていた繰り返しに相当するのではないでしょうか。

また、この場合の、支配とはいったい何のことなのかもわかってくるのです。

 

くものモチーフ

この作品においての、蜘蛛は女性の象徴であり、女性そのものの恐怖とみることができます。


冒頭部で、女性が蜘蛛を踏みつける。

頭が蜘蛛の女性が廊下を歩く。

ラスト、奥さんが蜘蛛になっている。


秘密クラブのカギをもった主人公は「今夜、でかけてくるよ」と言って、妻のいる部屋へ行きます。


すると、妻が蜘蛛になっている。


これは、今までの話でわかるところではありますが、主人公の中で彼女がどう見えたか、ということがわかるのです。

散々浮気をして酷い目にあったにもかかわらず、また、そんな秘密クラブに行こうとしたと考えた主人公。

奥さんは、「今夜、でかけてくるよ」という言葉に対して、反応をかえしていません。

 

その代わりに、彼は、巨大な蜘蛛になっている妻をみて「はぁ」とため息をつくのです。

自分を支配する女性の象徴。

母親に支配され、そして、彼は、妻に支配される。浮気にしろ何にせよ、彼は、支配され続けているのです。

 

講義の話からもループ構造をもっている作品ですので、おそらく、やっぱり、彼は支配に耐えられなくなり、冒頭の秘密クラブに戻るのでしょう。

ちなみに、秘密クラブで女性をみているおっさんたちは、本当であれば、もっとニタニタと笑っていてもいいはずなのに、ちっとも嬉しそうではありません

彼らは、どこか罪悪感をかかえながら、秘密クラブに参加しているに違いないのです。

ですが、秘密クラブにいるときだけは、支配から開放されるのではないでしょうか。

蜘蛛が女性による支配と考えた場合、秘密クラブででてきた蜘蛛を踏みつけるというシーンと合わさって、本来の意味の一旦がつかめるように思います。

 

この作品は、油断すると俳優と教師、どちらの物語なのかわからなくなります。

奥さんも、教師が付き合っている彼女も、二人とも金髪で似たような人です。好みによるでしょうが、どちらも美人ですので、不満をもつような必要はどこにもないように思えます。


混乱するかもしれませんが、時々、付き合っている(浮気している?)相手にみえていても、中身は奥さんのほうではないか、というシーンがありますので、この主人公の中で、現実とこうありたいという自分、あるいは、かつての自分などが、ごちゃまぜになっているというのが、この映画の実際の状態なのかもしれません。

 

 


映像そのものが嘘をついている、ということを考えながらみると、すんなりとその象徴も含めてみることができる作品ですので、ネタバレをしたあとに、もう一度みてみると、発見があったり、当ブログで紹介した他の映画も気になってくる機会になるかもしれません。

 

以上、私の敵は、私です。/ジェイク・ギレンホール主演「複製された男」でした!

 

 当ブログで紹介した別の記事は以下です。

 

cinematoblog.hatenablog.com

 

 

cinematoblog.hatenablog.com

 

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