鈴木則文の演出術 菅原文太主演『関東テキヤ一家』(1969年)
今回はこの後に『トラック野郎』シリーズを生み出すことになる、菅原文太と鈴木則文監督のコンビによる『関東テキヤ一家』シリーズの1作目をご紹介!
テキヤってなに?
菅原文太アニキによる『関東テキヤ一家』シリーズは全5作。1~4作目までを鈴木則文(通称ソクブン)が監督し、5作目を原田隆司が担当。
文太兄ィがブレイクするきっかけとなったシリーズでもあります。
このシリーズを観る前にいくつか専門用語(?)の説明をします。映画の世界に入っていくのがスムーズになるはずです。
恥ずかしながら自分も調べないとはっきり意味が説明できないものもありましたので、そちらの世界に詳しい人は復習として、知らない人は予習として軽く見てみてください。
まずは、そもそもテキヤとは何なのか?
たいていの人はみたことあると思いますが、お祭りなどの縁日で屋台出したりなんかしている人のことですね。
漢字で書くと的屋。
例えば、屋台でアニメやヒーロー物のお面を売ったり、イカ焼きを売ったり、金魚すくいをやらせたり、射的をやらせたり、くじ引きさせたり、芸を見せてお金をもらったり、これらすべてテキヤです。
で、別名として香具師(やし)などと呼ばれたりします。
さらに、神農(しんのう)とも言われます。
任侠・ヤクザ映画を観てるとよく「神農」という言葉でてきますね。
あれは商いをして稼いでいる、という意味です。
対して、賭場を開帳してそのテラ銭で稼いでいるのは、博徒(ばくと)と呼ばれています。よく対比的にこの二つの稼業が出てきます。
一応、稼業を持っているという意味で、神農はヤクザとか暴力団とは区別されるようです(ここらへん自分も詳しくはわかりませんが…)。
今作の菅原文太は舶来の傘をたくみな口上で宣伝し、販売しています。
そして、そんなテキヤが仕事をする場所を「庭場(にわば)」と呼び、その場所の区分を地元のテキヤ組織が担当し、露天商などに割りふります。また、実際に祭礼がある日のことを高市(たかまち)、や縁日と呼びます。
で、そのテキヤにおける分類ですが、本作ででてくる単語として、「コロビ」と「タカモノ」というものがあります。
「コロビ」とは地面にひいたゴザやシートに文字通り商品を転ばせているものを指します。作中の上州三軒家一家はこちらを専門としています。
対して「タカモノ」は小屋など大掛かりな舞台を作って興行をするもの、例えばお化け屋敷とか見世物小屋、プロレス興行などを指します。作中では矢倉一家が専門としていて、業種により仕切る一家が決まっており、それぞれの領分を越えることはご法度なのです。
さらに馬賊という、テキヤを強請って金を巻き上げる輩もいるようで親分衆はその対策もしなければいけません。
さて、簡単にテキヤに関する説明を終えたところでいよいよ本編のほうに移っていきましょう。
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主な登場人物
国分勝(菅原文太)・・・浅草菊水一家の若衆。血気盛んな男。
引地(待田京介)・・・菊水一家。冒頭では謹慎している。女好き。
時枝(寺島達夫)・・・源田一家。国分とは昔からのダチ。源田への忠義は厚い。
市井(嵐寛寿郎)・・・菊水一家三代目。露天商への思いやりのある親分。
五郎(南利明)・・・名古屋生まれ、菊水一家の子分。お調子者で国分を慕う。
源田(渡辺文雄)・・・源田一家親分。成り上がり思考が強い。市井と対立する。
志津(土田早苗)・・・国分ととても仲のいい女性。しかし、意外な展開に・・・。
明石(桜町弘子)・・・上州三軒家一家の四代目。女性。筋の通った人。
矢倉(天津敏)・・・矢倉一家親分。明石と対立している。
大島(大木実)・・・福島大瀬戸一家の四代目。菊水一家に協力する。
銭村(河津清三郎)・・・神農睦会の提唱者。関東のテキヤを牛耳ろうとする。
菊水一家と源田一家
浅草を縄張りとするテキヤ、菊水一家。三代目市井のもとで、国分勝(こくぶまさる)は日々仕事に励んでいた。
国分は五郎とともに謹慎中の引地をゴーゴークラブで見つけるが、源田一家のものと乱闘になる。そこに源田一家ではあるが国分と親しい時枝が現れ、事なきをえる。
しかし、源田は市井の襲撃を命じ、白昼堂々、露天商を巻き添えにして市井が怪我を負う。
時枝は、力のみで成り上がってきた、俺の邪魔をするやつをつぶすと豪語する源田を説得する。新しく設立される予定の関東の神農組合の役員に源田が選ばれる可能性があり、今喧嘩なんてしたらそれが流れてしまう、ここは自分にまかせてくれ、と。
国分らは親分の負傷の仕返しとばかり、源田を討ちにでかけるが途中で時枝と会う。そこに市井も駆けつける。
「テキヤは暴力団じゃない、きちんとした職業をもった商人なんだ」
と国分を諌める市井親分。
さらにはそこにテキヤの銭村も現れ、無駄な血は流さないにしようとそれぞれ誓い合う。
国分は時枝の家で酒を飲む。時枝には妻と子がおり、国分にいい相手はいないかと尋ねる。じつは国分には意中の相手がいるのだが、ここでは口にしない。
菊水一家に戻った国分。市井親分にドスに紙を巻かれ、「喧嘩はご法度だ」と命じられる。気の強い国分であったが親分は尊敬しているので素直に従う。
関東テキヤ商売の旅。
関東各地の縁日を巡る旅が始まった。菊水一家も数台のトラックに分乗してまずは群馬の秋間祭を目指す。関東テキヤ商売の旅。
途中で、女プロレス団とそのマネージャーにヒッチハイクされる。女好きの引地と調子のいい五郎のせいで群馬まで同行することに。
その群馬では三軒家の女親分、明石操と知り合う。
三軒家一家はどうやら同じくここ群馬を縄張りとする矢倉一家とあまり仲がよろしくない模様。
五郎が珍妙な口上で万能包丁を売ろうとするもうまくいかない。そこに志津があらわれる。国分は彼女を「しづちゃん」と呼ぶ。志津も国分と非常に仲睦まじい様子。久々の再会を喜ぶ二人。
引地は女プロレスのマネージャーに泣きつかれる。
どうやらストリップをだすのでプロレス興行は必要ないと矢倉一家に断られたようだ。
引地は三軒家に頼み込むも、自分のところでは本来は出し物は取り扱っていないと断られる。しかし懇願され、矢倉一家と話をしてみると請け負う。
矢倉一家は東京の源田一家と盃を交わす予定で、銭村が仲を取り持つことになっている。今度の神農の新しい組合では、福島の大瀬戸一家の大島と源田が役員の座を争う見込みになっており、大瀬戸の先代と市井とは兄弟分の仲であるために大島を押すに違いない、と予測されていた。そのため源田は矢倉と手を結び勢力を大きくしたかったのだ。
その矢倉と源田の祝いの席に明石が乗り込み、自分のところは招待されていない、女プロレスは自分のところで仕切らせてもらうと宣言する。
その席に居合わせた大島も明石に同調。
ここに、矢倉・源田VS三軒家・大瀬戸・菊水という対立の構図がはっきりと出来上がった。
その後、ストリップ劇場を引地と五郎が警察に化けてめちゃくちゃにし、その報復で五郎が矢倉一家にボコボコにされる。助けにいった国分はしかし、ドスに巻かれた白い紙を見て親分との約束を思い出す。そこに明石がかけつけ、さらに警察も突入し、大事にはならなかった。
矢倉一家は女プロレス興行の邪魔をしにきて、レスラーも入り乱れての乱闘。
矢倉に重傷を負わされた国分は三軒家でしばらく療養することとなり、引地や志津らは先に旅を続けることとなった。
休養中の国分に時枝が見舞いにくる。
戦災孤児だった自分に源田の親分が白いシャリを食わせてくれた、と語る時枝。
それがお前の義理か、と呟く国分。
ここは後の決闘につながるいいシーン。
引地と志津、志津の母は一緒のトラックで旅を続ける。その道中でどちらも岩手出身ということがわかるなどして、引地と志津は次第に惹かれあっていく。
引地は国分のことを考え、志津に尋ねるが彼女は国分のことは「お兄さん」としか思っていない様子。
二人は結婚の約束をする仲になる。
そして福島に到着。
当地を仕切るのは大瀬戸一家四代目・大島。その大島に対し、テキヤを強請る存在である馬賊が絡んでくる。そこに傷の癒えた国分が登場。大島をオジキといって慕う国分。
そんな国分は引地と志津の様子をみて逆上。引地はこれまで散々女遊びをしたが今回は本気だ、結婚の約束もしたと告げる。その言葉に国分は身を引く。
東日本神農睦会(むつみかい)の結成準備会会場に集まる、関東のテキヤの親分衆。
発起人の銭村が、テキヤ組織の安定した運営のために露天商から会費を得ることを提案。しかし市井は庭場を商人に明け渡して自主運営させるべきと主張、大瀬戸の大島、三軒家明石もそれに乗り、会は流れる。市井は東京、酉の市での再会を願って大島、明石と別れる。
いよいよ対立が激化したため、源田は時枝に市井抹殺の指令を下す。義理を通すため、時枝はその命を受ける。
再び東京~哀しき雨降り~
浅草一家への戻った市井を時枝が尋ねる。名乗りをあげ、市井を刺殺しようとするが国分に防がれる。国分はドスを引き抜こうとするが、そこには紙が。躊躇した時枝を浅草一家のものたちが始末する。
夜、ドスを手に源田を討とうとする国分を引地がとめる。
「このままだと男が立たない」という引地。国分を気絶させ、一人で乗り込もうとする。
その途中、待ち合わせ場所で志津とその母が談笑しながら引地を待っているのを物陰からそっと眺める。意を決して源田一家へ。
しかし多勢に無勢、源田を討つ目的は果たせず、パチンコ店であえなく絶命。
浅草一家に引地の死体が帰る。
憤り、源田との喧嘩だと意気込む若い衆に、市井は「庭場を露天商に渡して、菊水一家は裸で出直しだ」と語りかけ、全面戦争は免れる。
しかし、その市井の乗った車が源田の手下により狙撃され、市井も殺される。
大島、明石も菊水一家に駆けつける。再会を楽しみにしていたがまさか死に顔を拝むことになるとは…。
暗い部屋でドスを握る国分。巻きつけられた白い紙は時枝の血で汚れていた。ついにその封印を解く国分。
国分は時枝の家による。妻には帰って下さい、と泣かれ、時枝の息子には「おじちゃん、お父さんいつ帰ってくるの」と問われる。その言葉に何も答えられない国分。財布をそっと置いて土砂降りの外へでる。
仁義のない源田という親分のために、義理を通して死んでいった、哀れな時枝。
そして最後までテキヤの矜持を捨てなかった市井親分。
国分はドスを片手に神農会準備会場に乗り込む。
そこに日本刀を持った大島、拳銃を持った明石も参線。
大雨の中を銭村らを駐車場まで追い詰める。
血、雨、涙。
それぞれが入り混じる中、国分らはついに悪の枢軸を葬り去る。
そして大島が呟く。
「たとえ馬鹿といわれようとも、俺たちにはこうする生き方しかねえんだ…」
鈴木則文の演出術
内容をざっと振り返ったところで、今作を監督した鈴木則文の演出に関して触れたいと思います。
鈴木監督といえば、下品な下ネタという印象が強い(?)かもしれませんが、それはソクブン監督の持つ上品な画面構成があってこそのものです。本作は任侠映画のメソッドに従って作られており、『トラック野郎』や『まむしの兄弟』などにでてくるような明確な下ネタはありません。それでもソクブン監督特有のうまい演出が至るところでなされており、観ていて飽きがきません。
まず、オープニング後の映像がいいですね。文太の背中を映しながら、背景のうごめく組員もカメラの中にいれて動きを絶やさない工夫をしています。
ソクブン監督はじめ、画面構成に定評のある監督は、集団を撮るのがうまいです。
ピタッと画面にその時その時のキーパーソンを入れて、次に誰が喋るか、誰が重要人物なのかはっきりとわかるように撮っています。そのおかげで頻繁にカットを変える必要もないですし、逆にカットを変えて役者の顔のアップを挟んだりすると、それが効果的な役割を果たすわけですね。
それを上品な撮り方、と表現できると思います。あまり何度も何度もカメラが切り替わると印象にも残らないし、バタバタした印象を与えてしまいますね。
映画を観終わって、あの構図は綺麗だったなーとソクブン監督の作品を思い出すことも多いです(中身はウンコだのナオンだのの下ネタのオンパレードだったとしても)。
他に印象的なシーンを幾つかあげます。
女プロレスの興行を矢倉一家が邪魔をするシーン。ここはにんにくを焼いた悪臭だったり、蛇をリングに投げこんだりとわりと可愛らしい(?)復讐シーンで、プロレスラーに組員が投げられたり、とお笑いを含まれています。前半は他にもコメディシーンが多いですね。ソクブン監督の得意とする演出ですね。
その手前のストリップ劇場でボロボロに殴られ、夕暮れの道をトボトボと帰る国分たちのシーン。それを遠くから映しています。ここは非常に綺麗なシーンであるとともに、少しトボけた印象も与えるいい映像だと思います!とても印象に残ります。
遠景を使った演出といえば、引地と志津のトラック移動のシーンもそうです。走るトラックを背景込みで遠くから映しています。『トラック野郎』でも度々でてきますね、こういうシーンは。
この演出によって、画面にふり幅を持たせているわけです(役者の顔ばっかだと単調で飽きますからね)。
こういうシーンをポーンと放り込む巧みさはやはりソクブン監督ならではです。
さらにはその引地が源田への討ち入り前に、談笑する志津たちを見つめるシーン。画面の上下に風車が回っており、幻想的なシーンになっていると同時に、その後の引地の運命を端的に表現していますね。引地、最後は筋を通したよお前は…などといってやりたくなります。
時枝が命尽き果てるシーンもいいです!
時枝の血が、懐から落ちた妻と息子の写真の上にボトボトと落ちる演出。家族や友人よりも渡世人としての義理を優先した時枝。その壮絶な生き様/死に様をあらわす熱いシーンです。
そして最後の駐車場での決闘シーン。この駐車場は何度か劇中に登場するのですが、ほぼ一方向からの映像のみで、まあ、何の変哲のない場所という感じでもありました(菊水一家から源田一家に向かう中途にあるようです)。
しかしラストの親分衆撲滅シーンでは車体の後ろからガラスを通して戦いぶりを見せたり、壁に貼られた日の丸のポスターを血で真っ赤に染め上げたりとやりたい放題です。
ただの駐車場がバトルシーンではとても輝いてましたね!
これもソクブン演出のなせるわざでしょう!
戦い終わったあと、雨と血に濡れるドスを映して映画が終わるのも最高です。
この映画でのドスは親分との約束の証でもあり、親友の命を奪えなかった武器でもあり(あの時、国分がドスを躊躇なく抜いていたら時枝は果たして国分を殺そうとしたでしょうか。あの場面でも市井親分との約束を思い出し躊躇った国分を見て、仁義のなんたるか、親分と子分の関係はどうあるべきなのか、を時枝は考えてしまったのではないでしょうか)、がまんにがまんを重ねてきた静かな国分の心の底に隠していた怒りの感情でもあるのです。
そして、結局はその感情を爆発させることでしか物語を終わらせることができない、悲しさ/哀れさを表現しているように思えてならないのです。
写真やドスなど、ソクブン監督は小道具を使うのがとても上手です。同じ菅原文太主演の『まむしの兄弟 恐喝三億円』という作品でもその特別な才能が発揮されていますので、改めてその作品を取り上げる時に紹介したいと思います。
さて、テキヤの矜持と渡世人の義理のぶつかり合いを描いた本作、未見の方はぜひ一度ご覧下さい!
鈴木則文監督作品レビュー