シネマトブログ

映画の評論・感想を紹介するサークル「ブヴァールとペキュシェ」によるブログです。不定期ですが必ず20:00に更新します

家を建てるときに、貴方は誰に相談しますか/三谷幸喜「みんなのいえ」

みんなのいえ

 
マイホーム。
その言葉は、かつての日本にとって、いや、今にいたっても特別な響きであることは変わりないのではないでしょうか。


一生を賃貸住宅で過ごすという選択肢もありますが、建売ではなく、設計段階から関わったマイホームとなれば、感動もまた一押しでしょう。


さて、コメディの名手である三谷幸喜監督がつくる「みんなのいえ」では、そんな家づくりをテーマに、色々な思惑が錯綜することで発生するエンターテインメントを知りつつ、自分がマイホームを手に入れようとする人にとっても、参考になる映画となっていますので、楽しみかたを含めて紹介してみたいと思います。

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家は誰のもの?

物語の基本的な構造は、単純です。

放送作家であるココリコ田中が演じる飯島直介は、妻と二人で新居を建てることにします。


妻の提案により、唐沢寿明演じる家具デザイナーの柳沢に家の設計を依頼。

実際の建物づくりは、大工の棟梁をやっている父親に頼みます。

しかし、横文字をつかって、インテリぶった男である柳沢と、昔の人間である田中邦衛演じる棟梁との間で事件が発生し、その板ばさみにあう施主である飯島という構造で物語が進んでいきます。


古い人間(田中邦衛)と、新しい人間(唐沢寿明)との対立と和解という大きな流れをもった映画となっています。


この作品は、家を建てることによって、エンターテインメントとしての楽しさもさることながら、人間の心もまた一つに集まっていくという、テーマと作品内容が合致した作品となっています。


さて、はじめに妻が提案した内容は…。

 

妻の思惑はなに?

「おしゃれな家にしようね。正一郎(お父さん)の知り合いは、年寄りばっかりだし。インテリアデザイナーの柳沢君覚えてる? 柳沢くんならモダンな感じにしてくれると思うの」


妻はおしゃれな家にしたいと思って、知り合いの柳沢に頼むよう夫に提案します。

夫である飯島直介は、正直、どうでもいいと思っています。

仕事のほうが忙しく、自分の書斎があれば家なんてどうでもいいと思っているのです。

えてして、旦那というのはそういうことをいうものです。


さて、「みんなのいえ」で、いやらしいところは妻である民子の考えです。


なぜ、わざわざインテリアデザイナーである柳沢氏に依頼し、かといって、父親を喜ばせるために田中邦衛演じる正一郎に依頼したのでしょうか。

そんなもの、うまくいくわけがないとわかっているはずなのに。


はっきりとは描きませんが、民子は、柳沢氏に対して何らかの想いをもっているからにほかなりません。


設計した家のことを熱くかたる柳沢氏のシーンで、妻民子ははじめこそ「これって中に入れるの?」とか「すごーい」とか言っていますが、その目は、画面ではなく、真剣な唐沢寿明の横顔をみています。


このコメディ映画「みんなのいえ」の根底にあるのは、妻民子のほのぐらい恋心にあります。

ですが、この作品の素晴らしいところは、それが美しく収まったところにあります。

 

夫の思惑は。

夫を演じているココリコ田中は、自分自身の考えがなさそうに見える放送作家です。


プロデューサーのいわれるままに、シナリオの中にゴジラをだしてみたり半漁人をだしてみたり、火星人をだしてみたりと、振り回されています。


妻に何かきかれたとしても「うん、いいと思うよ。すごくいい」ときいていないことがまるわかりな対応しかしていません。


前述した通り、妻である民子が、柳沢に惹かれてしまうのも、そんな夫の弱さに起因しているといっても責められないところでしょう。


みんなのいえ」は、三谷幸喜監督自身が脚本を書いているということもあって非常によくできたシナリオになっています。


物語の主要な人物が、物語の後半にはちゃんと別の側面をみせ、成長しているのです。


他人の意見のふりまわされているだけと思っていた飯島は、実は、柳沢よりもずっとクリエイターとして、しっかりとした芯をもっていることがわかります。


はじめこそ自信に溢れ、新しいものばかりを追いかけているようにみえた柳沢は、古いもの対しても敬意を払っており、自分の中に大事なものをもっていることがわかります。


田中邦衛演じる父親もまた、たんなるガンコじじぃに見せつつ、本当に良いものに対しては、敬意を払う人間であることがわかってきます。


登場人物が、はじめの印象と異なる人間になっている、という逆転が違和感なくえがかれている、というのは脚本として人物描写として非常にすぐれていることがわかり、三谷幸喜の脚本家としての力を感じさせるところです。

 

家について知ってますか

上棟式ってなに?」

「色々あんのよ儀式が。上棟式は大工さんの労をねぎらうのよ。地鎮祭は、土地を守る神様に対するご挨拶」


家を一から建てるに当たって、色々な物事があることがわかります。


そんな家づくりについて知らない素人に対しても、飯島が素人的な視点で質問をし、大工の娘である妻が色々なことを答えたりしていくという形式になっているので、マイホームの本当におおまかな知識を知ることができる、ということについても面白い作品となっています。


「大黒柱がないうちなんてあるか。おいおい、玄関のドアが内開きだ」

「内開きにしたいんですよ。アメリカの住居はたいていそうですけど。今回のテーマはアメリカニズムですから」

 

 より細かいところを指摘してくれる、スガちゃんもいい味をだしています。

「欧米の住居はですね。敷地が広いので玄関が内開きでも支障はないんですが、日本の家具は、狭いスペースをいかに有効に使うかがポイントになるわけで」


「こんな家、俺ぁみたことねぇっ!」


といって、田中邦衛は癇癪を起こしてしまいます。


お互いのポリシーがあるからこそ対立し、その結果の対立がコメディになるというできになっていると共に、家のことについても知れる、一石二鳥の映画となっているのも見所です。

 

ものづくりのプロとは何か

対立と葛藤によるコメディを描いている「みんなのいえ」ですが、本作品は、真面目にクリエイターというものの大変さも描いています。


デザイナーである柳沢は、自分のやりたいデザインをことごとく否定されて邪魔をされたことでやる気を失ってしまいます。

設計図がなければ作業が進まないのに、柳沢氏はいつまでたっても設計図をつくらないまま時間が過ぎてしまいます。


「俺のポリシーは、職人であるまえにアーティストであろうと思っているんですよ。自分の主義を曲げた瞬間に作品は作品でなくなるんです。アーティストとしてはもういい。これからは、たんなる仕事としてやらせてもらいます」


「だったら、期日を守れよな!」

それまで、うろたえてばかりだった飯島が大声を出します。


「仕事ってそういうもんじゃないかな。貴方のやる気が伝わったから僕らは待った。僕もものをつくる人間だし、気持ちはわかる。でも君は間違ってるよ。職人とアーティストは相反するものじゃない」

 このやり取りは、モノをつくる人間であれば、誰しもぶち当たる事柄です。


「問題は、どこで折り合いをつけるかじゃないかな」

 

古いもの、新しいもの

この作品は、折り合いをつける物語にもなっています。


物語の後半、アンティークの家具が壊れてしまったことで、柳沢、田中邦衛演じる棟梁、そして、ココリコ田中が演じる飯島が協力して、家具を直すことになります。


日本の伝統の技術、欧米の文化、一人で生きてきた人間が一人ではできないことを成し遂げるところは、コメディ調であった作品をぐっと引き締める効果をもっています。


そして、ものづくりというのは、人間ではなく、作品にこそ大事なものが宿ることを教えてくれます。

 

柳沢のことを嫌いだった人間が目の前にやってきて言います。


「先生、おれぁあんた好きじゃねぇけどさ、この家は、俺好きだ」


二人の夫婦からはじまった家づくりは、みんなを巻き込みながら、みんなのいえになっていく、というテーマ的にも物語的にも合致した作品となっています。


また、今まで夫のことを愛しているにしても、どこか冷めていた妻が、夫の頬にキスをするシーンがあります。

それは、彼女が、夫を見直し、柳沢というちょっとイケメンに揺れ動いていた心もしっかり繋ぎとめたこともわかるシーンとなっています。

えがきかたによっては、どろどろしてしまうところを、最小限に匂わせながら、しっかりと物語のクライマックスにもっていくところも手腕が発揮されているところです。


以上、家を建てるときに、貴方は誰に相談しますか/三谷幸喜みんなのいえ」でした!

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