シネマトブログ

映画の評論・感想を紹介するサークル「ブヴァールとペキュシェ」によるブログです。不定期ですが必ず20:00に更新します

オタクが妄想する理想の恋愛/「トゥルー・ロマンス」  

 

トゥルー・ロマンス ディレクターズカット版(字幕版)

 

トム・クルーズが主演し、ミュージックビデオを思わせる音楽の使い方とレイバンのサングラスやMA-1などで注目を浴びた「トップガン」、その監督を務めたトニー・スコット監督による、オタクのための理想の恋愛を描いた作品が「トゥルー・ロマンス」です。


キル・ビル」や「パルプ・フィクション」などでおなじみ、クェンティン・タランティーノ監督が脚本をつくったという、映画好きはだいたい見てしまうだろう作品となっておりますが、その魅力の一旦について語ってみたいと思います。

オタクの妄想

本作品を簡単に説明してしまえば、好きになった女性の過去を清算するために映画のように戦いにいったら、間違えて大量の麻薬を手に入れてしまい、それを現金化して彼女と楽しく暮らそうとする話しです。

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主人公であるクラレンスは、コミックショップで働く男です。

彼は、自分の誕生日には好きな映画を見に行くと決めています。

そこで、スタイル抜群の金髪美女にポップコーンをぶちまけられ、それがきっかけで仲良くなり、ベッドインします。


さて。

「トゥルーロマンス」の脚本は何度も描きますが、クエンティン・タランティーノです。

タランティーノ監督は、レンタルビデオ屋で働き、大量の映画を見て、故今東西問わず途方もない量の映画を見ている生粋の映画オタクです。


そんなタランティーノが描いた主人公のクラレンスは、コミック・ショップで働いています。

正直、脚本を手がけたタランティーノ監督の人生と重ねあわさずにはいられない設定です。


映画オタクに突然美女が現れるという出だしは、まさにオタクの妄想そのものといっていいでしょう。


ですが、出だしこそ中学生が考えた妄想ですが、そこからは、タランティーノが何をやりたかったのかがわかってくる展開になっていきます。

 

理想の彼女

少しだけ余談をはさみますが、オタク男子にとって理想の彼女とはどういう人でしょうか。

これは、あくまで映画オタクとして語るところですが、それは、男が好きなバカな映画を一緒にみて楽しんでくれる彼女で間違いないでしょう。


「トゥルーロマンス」のヒロインである、アラバマはスタイルも抜群ですが、それ以上に、主人公が嬉しかったのは、映画の話を一緒にできたことではないでしょうか。

ここには、オタクがもつ偏見が多分にあるのですが、概して女性は恋愛映画のほうが好きで、暴力描写ばかりの映画は好きではない、と決め付けているわけです(筆者が言っているのではありませんのでご注意願います)。


そんな前提の中で、コールガールとかそういうことは一切関係なく、クラレンスはアラバマのことを好きになり、アラバマもまたクラレンスにほれてしまったのです。

いわば、彼らはタランティーノにとって、いや、映画オタクにとってのある意味の理想のカップルなのです。


理想の女性を描いた作品でいえば、本ブログでも紹介したファレリー兄弟による「メリーに首ったけ」でヒロインのメリーを演じたキャメロン・ディアスもまた、オタクにとっての理想の彼女です。

男のくだらない冗談にも笑ってくれて、スタイルも抜群で、マニアックな話しにもついてきてくれる。

 そんなあまりに男にとって都合のいい女性なんているわけないでしょ、と怒った方も当然おりまして、それが前面に押し出された作品は、ギリアム・フリン原作、デヴィット・フィンチャー監督による「ゴーン・ガール」だったりします。

理想の女性を演じている女性だっているんだからね、というメッセージがわかります。

 

ゴーン・ガール (字幕版)
 

 
さて、本作品は、あくまでオタクにとっての理想の彼女であり、カップルとなっているのですが、どんな形で物語は進んでいくのでしょうか。

 

アメリカン・ニューシネマ。

1960年代から1970年代にかけてつくられた若者達の反抗などが多く描かれた作品群をアメリカン・ニューシネマ(または、ニューアメリカンシネマ)と呼びます。

ハッピーエンドばかりの映画ばかりが主流であった中で、世間はベトナム戦争など政府などの体制側に対する不満などから現れたムーブメントの一種であり、「トゥルー・ロマンス」もそのような時代の作品をリスペクトしたものと捉えることができます。


特に判りやすいのは、ロバート・デニーロ主演にして、マーティン・スコセッシ監督「タクシー・ドライバー」のオマージュです。


「トゥルーロマンス」のヒロインであるアラバマは、自分がコールガールであることを主人公に告白します。


主人公は気にしてない様子でしたが、彼女をコールガールにした元締めが許せなくなり、その元締めを亡き者にすることを決意します。


その姿は、「タクシードライバー」の主人公トラヴィスです。

タンカースジャケットに身をつつみ、鏡で自分の姿を見る。

そして、愛する彼女のために、元締めに殴りこみに行く。

まさに、漢(おとこ)です。

殴りこんだ場所も、限りなく「タクシー・ドライバー」のジョディ・フォスターがいた場所に非常によく似ています。


結果として、彼は元締めのところから持ち帰ったバックには、大量の麻薬が入っていて、その先々でマフィアに狙われることになっていきます。


その逃避行は、アメリカン・ニューシネマの代表作の一つ「俺たちに明日はない」のボニー&グライドのようであり、また、テレンス・マリック監督「地獄の逃避行」のように、愛する男女が次々と事件を巻き起こす作品を思い起こさせるものとなっています。


「トゥルーロマンス」は、アメリカンニューシネマ的な作品群を下地に、オタクが求める愛が描かれているのです。

 

ギャグについて

さて、作品そのものの概略は映画そのものを再確認してもらうとして、本作品は、とこどろころにタランティーノ特有のギャグがちりばめられているところも面白い点です。


たとえば、ブラット・ピット演じる主人公の友人の同居人フロイドがいますが、彼は、ひたすらマリファナか何かでラリラリになってしまっています。


他のキャラクターは、主人公達の行き先を教えたりしませんが、彼は、来る敵全部にあっさり言ってしまうのです。

クラレンスを知っているか」

「知っているよ。サファリ・モーテルってところにいるぜ」

場合によっては、拷問をして聞きだそうと意気込んでいるマフィア連中ですが、あまりにあっけなく教えるので、何もすることなく立ち去っていきます。


また、主人公の父親は、息子達の行き先をマフィアに聞かれて、拷問を受けます。

決して口を割りません。

しかし、このままでは口を割ってしまうと思った彼は、とある話を始めます。

「シシリア人の祖先には、黒人の血が流れているんだ。これは歴史的な事実なんだ」

タバコを一本吸わせてもらい、その中での歴史の話し。

察しのいい方は説明するまでもないと思いますが、これは、父親による壮絶な芝居です。

死ぬ前にタバコを一本もらい、おいしそうに吸う。


イタリア・マフィアを明らかに挑発しているのです。

当然ですが、殺されればしゃべることはできません。


父親は、見事に殺されますが、息子の居場所を死ぬまで明かさなかったという、父親の息子に対する深い愛と、強い意志を感じる素晴らしいシーンとなっています。

ですが、こちらもギャグで終わらされてしまいます。

「何も殺すことはなかったんじゃないですか」

という部下に、もう一人の部下が

「黒人の血が流れているって言ったからさ」

と、その死に様が演出されます。

ですが、飲み物をさがして冷蔵庫を開けてしめた部下が、あっさりとメモを見つけてしまうのです。

「行き先、わかりましたぜ」

 

皮肉な笑いは、タランティーノらしくて素晴らしいところです。

 

実はいい女

アラバマというヒロインに話しを戻しますが、映画をみていて思うのは、彼女は本当にクラレンスのことが好きなのか?ということです。


映画とはいえ、コールガールとして主人公にいい思いをさせるためにお金で雇われた女性です。
いきなり、主人公を好きになって、命までかけられるのか。

この映画は、二人の愛を確かめる物語にもなっています。


アメリカ的なバカップルぶりが発揮させられるところは前半部分でこれでもかと描かれます。

クラレンス・ラブと身体に刺青をしてみたり、電話ボックスの中でえっちを初めてしまったり、ところかまわずキスはするわで、見ているまわりが困るぐらいです。


また、クラレンスの父親と会ったときには、頬ではなく、口にキスをするという破天荒ぶりに、彼女の性格や気質まで見えてしまうところも、脚本の巧みさが冴えるところです。


一見、アラバマというヒロインは、頭が悪そうに思えるのですが、そうではありません。


敵のマフィアに殺されそうになったときにも、演技をしてごまかそうとしたり、とっさの機転をきかせて見事に撃退をしたりします。

愛が本物でなければ、すぐにでも相手を売ってしまいそうなのに、決してそれを行わない。


性格、体力、趣味、全てがパーフェクト?なのがヒロインのアラバマなのです。

  

物語のラストについて

 さて、何度も理想の彼女だといいましたが、これはあくまで映画オタク少年にとって、現実的な部分は気にしないで誇張されたものであることは留意していただきたと思います。

さて、有名な話のようですが、「トゥルーロマンス」は、脚本と実際に撮影された映画とはラストが異なっているそうです。


アメリカン・ニューシネマは、最後には主人公達が死んでしまうことが多いのが特徴の一つとなっています。

体制側に反抗したあげく、結局は敗れる、というのは、当時の世相を反映し、且つ、皮肉に満ちた表現として多用されていたのです。


アメリカン・ニューシネマを下敷きにしているはずの「トゥルーロマンス」であればこそ、ラブラブになった二人のカップルは、理想のままに死ぬのが本来だといえるでしょう。


ですが、トニー・スコット監督は、無理やり物語をハッピーエンドにしてしまいます。

結果としてその決断は正解だと思われます。


アメリカン・ニューシネマの終焉を告げる転換点ともなった映画「ロッキー」においても、ロッキーは負けてしまう予定でしたが、最後の最後にラストシーンで彼が、判定負けはするものの、最後までリングに倒れなかったことで、負け犬であっても勝てる方法を教えてくれる、素晴らしいシーンになっています。

トゥルー・ロマンス」もまた、主人公達が死ななかったことで厳しい現実を突きつけられることなく終わります。


ですが、アラバマという女性そのものが非現実的な存在であるわけですから(それをいうと映画の登場人物全て非現実的といわざるえませんが)、せめて、その映画の中では、夢を見させてもらいたいものです。


「トゥルーロマンス」は、タランティーノが脚本をつくり、トニー・スコットが監督するという今では考えられない豪華な映画となっているだけあって、映画を知っていれば知っているほどみるべきところが増える作品となっていますので、気になった方はたびたび見返してみるのも面白いかもしれません。


以上、オタクが妄想する理想の恋愛/「トゥルー・ロマンス」でした!

 

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