シネマトブログ

映画の評論・感想を紹介するサークル「ブヴァールとペキュシェ」によるブログです。不定期ですが必ず20:00に更新します

友情・努力・勝利? 漫画は人を狂わせる/大根仁『バクマン。』

バクマン。DVD 通常版

 バクマンは、かつて「デスノート」で一斉を風靡した、小畑健大場つぐみのコンビによる漫画家漫画です。

絵を書くことが好きな少年が、頭のいい友人に誘われて、強引に漫画家を目指すことになり、二人が夢を叶えるまでを描いています。


2012年に原作が単行本20巻にして終了し、2015年に映画公開がされました。


連載終了から3年を経過して作られた映画「バクマン。」ですが、原作と同じ道を通りながらも、まったく違う切り口によって物語が語られています。

 

漫画家を目指すという大きな夢。

作中でも言われている、漫画は博打。

その現実が、映画というフィルターを通して、どのように描かれるのかを考えてみたいと思います。

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バクマン。原作って?

 

原作は前述のように全20巻を超える作品です。

そして、原作はいくつかのパートに別れていて、主人公である真城最高と、高木秋人が漫画家になるためにジャンプ編集部に持ち込み、ライバルである新妻エイジを追いかけながら漫画家になるまで。

そして、同じ漫画家や、編集サイドと行われるやり取りや、夢に敗れながらも喰らいつこうとする人間模様。

個人的には、女子大生漫画家である蒼樹紅が、おっさん漫画家の中井さんと信頼を築いていくところからは、面白くみれましたが、このあたりは主人公たちは添え物になっていました。

また、編集部と漫画家がどのようにお互いを支えあっているのか。大人とは何か。

自分が描く漫画によって、子供達の人格に影響を与えてしまうといった社会的な側面など、面白いテーマを含みながら、バクマンの原作は語られていきました。

 

バクマン。 コミック 全20巻完結セット (ジャンプコミックス)

バクマン。 コミック 全20巻完結セット (ジャンプコミックス)

 

 

ただ、本ブログでは、原作の概要はこれぐらいにして、このような長尺の世界を、どのようにして切り取ったのかに迫ってみたいと思います。

 

真城の悩み

 

「進路希望の紙、今日中にだしておけよー。今日中といっても、今日の12時じゃないからなー」

 

と、非常に寒い台詞で教師の声が響きます。


一方、先生の話などまったく聞かないで、自分の好きな女の子の絵をノートに書き続けるのが、主人公である真城最高(ましろ もりたか)


佐藤健演じる真城は、進路指導の先生に進路を聞かれて「特に何もない」と答えます。

 

先生は、抑揚のない声で、

「新しいね、本当の自分の姿を見れる機会っていうのを、もう捨ててしまっているっていうのは、わかってる?」

 

教師は、実に嘘臭く、台詞臭く言います。


おそらく、これはわざとこのように言わせているのではないかと思うのですが、佐藤健演じる真城最高は、自分の将来に対してなんら希望をもつことができないキャラクターとして描かれています。


ただ、同じクラスにいる小松奈々演じる亜豆美保が好きで、彼女の顔や姿をひたすら絵で書いています。

原作と同じく、主人公の叔父は漫画家であり、不慮の死を遂げています。
そのために、絵を描くことが好きだった自分を封じ込め、自分の未来に対しても投げやりになっているのです。


部活をするわけでもなく、勉強に力をいれるわけでもない。


そんな彼が、漫画の原作者になろうとしていて相棒を探していた、神木隆之介演じる高木秋人と出会うことで、物語は動き出します。


そして、その際に、真城最高は、自分が好きだった小松奈々演じる亜豆美保に「二人の夢が叶ったら、結婚してください!」

と叫ぶことになるのです。

 

バクマン。の見所

 

作品の具体的奈内容に入る前に、映像的な見所を紹介したいと思います。


まず、開始してすぐに見所です。


集英社に持ち込みにやってきた高木と真城。
二人が見上げた集英社のビルの一部が突然、くるくると回り始め、歴代のジャンプの表紙に姿を変えるのです。


そこから、ジャンプの歴史が端的にし、しかし、わかりやすく語られます。


しかも、実際に今まで連載された作品のコマが次々と動き出し、鳥山明がもたらした影響や、ジャンプがなぜジャンプになっていったかなど、ジャンプがいかにすごいかというのをわずかな時間と、圧倒的な情報量の映像で見せています。

CGをつかって、端的に物事を見せていくという技術と、集英社全面協力でなければ絶対にできない映像を見ることができるという点で、ジャンプが好きな人は見ていて興奮すること間違いありません。


また、漫画を描くときの表現も非常に工夫が凝らされています。


当たり前ですが「バクマン。」は漫画を描く人間の話です。

ですが、漫画を書くということは、別に傍からみていると別にすごくありません。

言い方をかえるのであれば、すごさが映像として伝わりずらいのです。


実際にその場にいて、真っ白な紙の上に漫画が描かれていくのを見れば感動するでしょう。

ですが、それだって、そんなに長くは続かないですし、映画という基本的には座って見続ける媒体においては、机に向かってカリカリと手を動かしている映像なんて、5分とただずに飽きてしまうはずなのです。


ですが、そこへの工夫は凄まじく、始めこそペンをつかってたどたどしく書いていた二人が、徐々にうまくなっていく過程がみてとれます。


また、としても漫画を描く行為を表現しているのが面白いです。
映画をみていると、やけに鉛筆で漫画を書くときの音が気になります。

耳につくぐらい音が大きいので、そんなにペンの音を大きくしなくてもいいだろうと思ったりしますが、それこそが伏線になっています。

漫画家が原稿を書くときの音に慣れたころ、彼らの漫画が本格的に始動するのです。


どういうことかと言いますと、ペンを書く音、消しゴムをかける音などだけが残り、やがてそのリズムに合わせて音が増えていくのです。

リズムに合わせて、彼らが描く漫画のキャラクターやコマが動き始め、そのこと自体が、彼らが楽しみながら漫画を描いているということを、よく伝えてきます。

 

そして、それによって彼らが集中している状態を体験できるような気分になるのが面白いです。


後半、漫画を書きながら、それが戦いのようになっていくというところは、正直、あまり意味がありませんでしたが、漫画を描くという一見地味な物事を、映像的に見せるという点は、非常に面白い試みです。 

 

小松奈々は恐ろしい!?

 

小松奈々演じる亜豆美保は、映画版では非常に重要なキャラクターとなっています。


一つは、漫画家を目指すことに乗り気じゃなかった真城が、「亜豆と結婚する」という目標のため、漫画家を目指すことになるからです。


原作の真城と亜豆は、漫画の世界でありながら、漫画よりも漫画的な恋人として、劇中での癒しであり、一方で、漫画外にいる読者からすれば、あまりに非現実的過ぎて頭にくる二人でもあるのです。

ただし、映画版は高校生だったのに対して、原作では二人が中学生だったので、その一見青臭い台詞や、二人の現実世界に合わないぐらいの純情さというのもギリギリ我慢できたところではあります。

 

ただし、あとになればなるほど、それに無理がでてきて、原作の後半においては、そんな二人の関係が問題なるという時もありました。


さて、映画版でも、真城が告白すると、亜豆も「私も、ずっと前から、真城くんのことが」

とあっさりオーケー。

ここまでは原作と同じです。

そして、佐藤健演じる真城もまた純情であり、小松奈々がやってくると挙動がおかしくなります。

 

「こ、こんにちはー。え、げ、元気?」

とあまりにぎこちない演技をしているのです。

 

それに対して、小松奈々は「がんばってね」とはじめこそ笑っているのです。

小松奈々という女優は、一度でも顔を見たことがある人であればわかるのですが、なんか、目が笑っていないのです。


小松奈々は、中島哲也監督「渇き。」で、主人公の娘役として鮮烈なデビューをかざります。

優等生だと思っていたけれど、調べれば調べるほど、狂気に満ちた、怪物のような精神の女の子であることがわかっていく。その巻き込まれた人間が悲惨な目にあっていく。そんな、謎の美少女としてスクリーンに登場します。

妖艶な目元によって、何を考えているのかさっぱりわからない、何もかも見透かされているような雰囲気が漂っている、非常に特徴的な女優さんです。

 

渇き。

渇き。

 

 

髪型こそもともと亜豆美保と同じですが、原作の亜豆は、聖女のようなやさしさと、母親ゆずりの天然さ、そして、まわりとうまくやりながらも、自分というものを絶対に曲げないキャラクターとして描かれています。


ですが、映画版は、あっさり学校を退学します。転校とかではありません。はっきりと退学。そして、夢である声優を目指すのです。

残念ながら、小松奈々はあまり声優向きの声質とは思えないところはありますが、作中ではすこしずつ売れていくという映像をみることができます。


そんなしたたかな少女である小松奈々が、どうして、真城を好きになったか、という描写は一切ありません。


どんな風に好きになれば、現実の女子高生がいきなり結婚してくれと言われて、うんというのか。

ましてや、自分の授業中の姿だけならいざ知らず、自分の水着姿とかをノートに描いて、始終持ち歩いている人間に対して、好きという感情を失わずにいることができるものなのか。


そんな、現実性のなさこそが、この映画「バクマン。」を読み解く手がかりになってくるのです。

 

現実は、漫画じゃない(ここからネタバレ)

 

佐藤健演じる真城は、頑張りすぎて倒れてしまいます。


入院しながらも漫画を描こうとしますが、当然、止められます。


そんなとき、小松奈々が病室にやってきてくれるのです。

窓の外から彼女を見かけただけで、佐藤健は不自然なぐらいに目を開き、動揺します。


そして、彼女が来るのです。


「あ、来てくれてありがと」

動揺して目もまともにあわせません。


さて、原作であれば、二人は純情すぎて二人きりだと話もできずに、手を握ることもできないキャラクターです。

ですが、佐藤健だけが動揺していて、小松奈々はまったくの自然体です。


その姿を見て、一体誰が、二人が付き合っていると思うのか。


「事務所がね。二人のことがばれると問題だから、もう会うなって」


小松奈々は思いを伝えます。

一応、好意的に解釈すれば、本当は伝えるのも辛い事実なはずです。

それに、昨今のアイドル事情を考えると、アイドル声優に付き合っている人間がいた、というだけで、事務所ともども大損害を受けてしまう時代です。

存在を隠していたことで、損害賠償まで請求されたアイドルまでいるというのですから、世の中というのは変わったものです。

ですが、その原理が実際に売り上げや、現実的な人間の生活に影響を及ぼしていることもまた事実です。


ですが、その事実を伝えても、佐藤健は、挙動不審にしているだけで、男らしく何かを言ったりはしません。

「そ、そうなんだ、へー」

ってなもんです。

そして、彼女は病室からでていきます。

その後ろ姿に、佐藤健は声をかけます。

「あの約束、まだ有効かな。二人の夢が叶ったら…」

「ずっとは無理だよ。先に行くね」

 

小松奈々は、あの笑顔で去っていくのです。


これが漫画の世界だったら、「ずっと待ってるね」と泣きながら去るところですが、現実が濃くなればそんなはずありません。


いつまでたっても、出合ったころのままの挙動不審さ、目もあわせない主人公。

現実的な小松奈々が、去っていくのは当たり前です。 

小松菜奈 first photo book 18

小松菜奈 first photo book 18

 

  

漫画はつらいよ。

 

真城最高は子供であり、漫画的な人間です。

漫画的というのは、ある意味、現実を認めず、闇雲に物事を進めようとしている部分です。

彼は、小松奈々が去ったことで、何かふっきれます。

何がふっきれたのかはわかりません。

小松奈々が「先に行くね」といったことで、早く追いつかなきゃと思ったのかもしれませんが、追いついたところで、彼女はもう振り向いてはくれないでしょう。

 

でも、佐藤健はそれに気づいているのかいないのか。

これは、強烈な失恋の物語でもあるのです。

 


そして、身体の状態を無視して病室から抜け出し、編集長にとめられていたのに、主人公は漫画を描きます。


そこで、漫画家仲間があつまってきて、みんなで原稿を書いて、友情、努力によって、彼は勝利を勝ち取ります。


ですが、映画版の「バクマン。」は、漫画を原作にした漫画家の話を原作にしながら、現実を描いているのです。

 

彼らは勝利を手にしますが、あっさり連載は打ち切られてしまいます。

それまでのやり取りは、一体なんだったのか、と思うほどに。

 

そして、彼らは高校を卒業します。


「俺達ってすげーよな、ジャンプに連載してたんだぜ」


新妻エイジはもっとすげーよ」


教室で二人は言います。

 

結局、彼らは何にもなれませんでした。

 

彼らの行く先は進路プリントに


この作品のはじめに、進路のプリントが配られます。


実は、この作品。

夢とか希望をもてない若者たちに向けた進路についての物語とみることができるのです。


ぼうっとした表情の中、佐藤健が先生に


「新しいね、本当の自分の姿を見れる機会っていうのを、もう捨ててしまっているっていうのは、わかってる?」

といわれたことは書きました。

本当の自分を見れる機会なのに、見なくていいの? と、言っているわけです。

 

これは、明らかに進路指導としては間違ってます。

進路指導は自分の姿をみる機会ではありません。進路を決める場所です。ましてや、17,8歳で、自分をわかる機会が、進路希望ぐらいで発生するとは到底思えません。


でも、あえてこんな台詞を言わせているのは、映画「バクマン。」が、本当の自分の姿をみようとする若者の物語でもあるためなのです。


ただただ夢に向かって頑張る。
もちろん、うまくいかない。

でも、その現実をみなければ、人間は大人になれないのです。


原作では、真城と高木の二人は、保険という意味も含めて大学に行きます。

漫画を描きながら、受験勉強もするのです。

ですが、映画版ではそんな描写はなく、ただ卒業するだけです。

 

二人は何者にもなれないままに卒業。

ですが、大根仁監督は、そのことを否定的に描いているわけではありません。

だって、彼らは自分と向き合ったのです。
身体を壊すぐらいに情熱を注ぐことができるものを見つけることができた。

彼女もいなくなったし、連載も終わった。

でも、挑戦することの素晴らしさは伝わるはずです。


「おい、いいアイデアが思いついたぞ」

神木隆之介が演じる高木が、言います。

そして、次々と彼らは教室にある黒板に漫画を描き始めます。


それは、原作で、そのあと登場する漫画のキャラクターや設定です。

原作を読んだ人間からすればわくわくするシーンです。今後彼らには、まだまだ情熱を注ぐことのできるものがある。


佐藤健演じる、真城は間違いなく、本当の自分と向き合うことができたはずです。

進路は決まらなかったかもしれないけれど、でも、あの奇妙な教師が言った、自分と向き合うということはできたのです。

 

一見輝かしい未来が待っているように見える世界ですが、この映画の根底に流れているのは、夢を追うことの難しさと、何かに打ち込むことでしか自分自身を知ることができないという事実です。

自分にとって何が大事で、何が大事ではないか。

少なくとも、佐藤健にとっては、小松奈々はそれほど大切なものではなかったのでしょう。


この物語は、厳しい現実の中でうまくいくかはわからなくても、その中で自分とどう見つめることができるのかを問いただす作品としてもみることができるので、自分の中にある情熱に疑問がある、または、自分には何もないと思っている人は、是非、心の炎に火をつけるために、見てみるといいのかもしれません。

 

 

以上、「友情・努力・勝利? 漫画は人を狂わせる/大根仁バクマン。』」でした!

 

 

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