シネマトブログ

映画の評論・感想を紹介するサークル「ブヴァールとペキュシェ」によるブログです。不定期ですが必ず20:00に更新します

リメイクを見る前にオリジナルを。「最高の人生の過ごし方」

最高の人生の見つけ方 (字幕版)


日本版としてリメイクが公開された「最高の人生の過ごし方」ですが、2007年に公開された本作について、どのような話なのかということを解説してみたいと思います。

モーガン・フリーマンアカデミー賞の助演を受賞し、ジャック・ニコルソンに至っては主演も助演も複数回受賞する大物俳優です。

そんな豪華極まりない二人を主役に、少年が大人になるわずかな期間を描いた傑作「スタンド・バイ・ミー」や、小説家を愛するあまりに監禁してしまうファンを描いた恐怖映画「ミザリー」のロブ・ライナー監督がメガホンをとったという豪華な作品が本作品となっています。

だいたい、どのような内容か検討がつく方も多いかと思いますが、本作の感想&解説を少し行ってみたいと思います。

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余命宣告

物語は、非常に博学な男であるモーガン・フリーマン演じるカーターが、がんであることが発覚するところから始まります。


歴史の先生になりたかったという設定もあり、モーガン・フリーマンは若いころから自動車の整備工を続けてきたにも関わらず、知らないことはないぐらいの博学な人物です。


知識ばかりで頭でっかちなキャラクターが、死を意識して変わっていく、という物語ではありませんのでご安心ください。


頭でっかちなキャラクターについては、ジャック・ニコルソン演じるエドワードが担当しており、お金はもっているけれど、家族はおらず孤独な老人として描かれます。


「最高の人生の過ごし方」は、そんな二人の老人がたまたま病室で一緒になったことで友情が芽生え、自分自身の人生について考え直す物語となっています。

 

よくあるハートフルストーリー

内容だけまとめてしまえば、老人二人が、やりたいことリストを共有して、死ぬまでの間にやりたかったことをやろう、という話になっています。


当然、いつ死ぬかわからないけれど、半年以内には概ね死ぬだろうという意識の中です。


たんに死ぬ前にやりたいことをやる、という話ではありますが、人間というものが、最終的には何をするべきなのか、どういった後悔が起きるのか、ということを追体験できるものとなっています。


ただし、カーターは、そもそも家族に恵まれています。


彼は学校の先生になりたかったものの、妻が妊娠したことで大学を辞め、自動車整備工として家族が生活するためになんとか働いたら45年がたっていた、ということを話します。


しかし、何かむなしい思いがあり、がんで余命いくばくもなくなった彼は、エドワードの言葉にのっかることになるのです。

女性からすれば都合のいい話

最後の最後には、家族が大事という話に本作はなりますが、女性からすれば、かなり勝手な物語といえるでしょう。


カーターは3人の子供に恵まれ、そのいずれもが成績優秀。孫もいて、奥さんのバージニアからも深く愛されてます。

そんな状態でありながら、カーターは、自分がやりたかったことができないまま死んでしまうのか、という虚無感をかかえるのです。


頻繁にお見舞いにくる子供たち。

「衛生学的に言っておくが、入院患者を殺すのは、見舞客だ」


エドワードは皮肉を言うほどです。


しかし、家族仲がよいカーターですら、自分の人生を見つめなおす必要があったのです。

 

やりたいことをやっちまおう

エドワードのお金と、優秀な秘書であるトマスのおかげで、彼らのリストは次々と消化されていきます。

「世界一の美女にキスをする」

「多くの人に親切にする」


といった一見不可能なこともありますが、見事にやってのけるところはハートフルです。


本作品をみていると、自分もリストをつくってみたくなるような気になりますが、この手のリストは案外に埋まらないものです。


バーで魅力的な美女に声をかけられて意気投合。部屋にこないかと誘われるのは、正直美人局としか思えませんが、夢といえば夢でしょう。


でも、誘惑めいたリストを消化しながら、

「俺は幸せな男だ」

と、妻の愛に気づくところは、安定した物語といえるところでしょう。

ちなみに、モーガン・フリーマンもまたハリウッド業界では珍しく離婚歴がなく、熱心なカトリック教徒として、浮気もしない人物ですので、今回の役柄にはぴったりです。

 

余命がわかったら

さて、日本人が「最高の人生の過ごし方」をみると、すこし違和感があるかもしれません。

何せ、カーターにしても、エドワードにしても恵まれすぎているのです。

エドワードは4回の離婚歴があり、娘であるエミリーに対して罪悪感か何かを抱いているように見えます。

余計なことはするな、と仲たがいの原因になってしまう重要な場面であり、人間関係こそが幸福を左右するという、心理学的な部分においても合致するところです。


ですが、余生がわかった上で何をするのか、という部分において、日本的な作品の代表例として挙げられるのは、黒沢明監督「生きる。」ではないでしょうか。

 

cinematoblog.hatenablog.com

 

志村喬演じる主人公は、役所勤めの課長であり、他人からはおもしろみのない人間として、存在が希薄な人間として扱われていました。

しかし、ある日病院でがんで余命宣告されたことで、自分の立場で、小さな公園をつくろうとする、という物語です。


余命がわかったときに好きなことをするのではなく、当たり前の日常を送り続ける、というのも一種の選択です。

その中で自分でできることをやっていく、ということで、初めて主人公が生きる、と実感するところは素晴らしいです。

コピルアク

さて、作中の中で、涙がでるほど笑うというリストがあります。

自分が死ぬとわかっていて、なかなか笑えるものではないかと思っていましたが、二人は大笑いを始めます。


そんな何気ないことがリスト消化に使われる、というところで、はっとさせられるシーンです。


「俺には、飲ませるなよ」


とカーターがいう、コピルアクですが、あのコーヒーは、希少性が高く、価格が高いコーヒーとなっています。

 

 

エドワードは、正直言って成金です。

たった一人で財を成した人物ですが、そんな彼が愛しているのがコピ・ルアクというところが皮肉だったりします。


ジャコウ猫の体の中で発酵された豆ということで、さぞおいしいかと思うでしょうが、コーヒーというのは嗜好品です。

嗜好品ということは、美味しいと思うかどうかは人それぞれということだと思ってください。

シネマトブログでもごくごく少量飲んだことがありますが、独特の土臭い香りは、値段の高さと比べておいしいと思うものではありませんでした。

でも、彼らは知識やお金だけでは得られないものを、コピ・ルアクを通じで得たわけです。

 

結局どう見るべきか

表面だけ見れば本作品は、余命を知った人間が、満足に死ぬための物語とみるところです。

ただ、見ているとわかりますが、もっと単純に、老人二人が仲良く旅をしているといったところです。


秘書であるトマスもやれやれといった感じで付き合ってくれますし、彼は、最後に違法なことまでして彼らの願いをかなえてくれます。

人はいつか死にますが、彼らのような生き様を見ることで、死や、今を生きている我々の感覚がかわる、というのも映画のいいところだと思いますので、自分自身とうまく向き合えていないな、と思うときには本作のような映画もいいかもしれません。

 


以上、リメイクを見る前にオリジナルを。「最高の人生の過ごし方」でした!

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